第18話 絶望


震える手から本が滑り落ちる。


落ちた本がパラパラとめくれ栞の挟まっていたページが開ける。

そこに書かれていたのは...


134人


という数字、その下に書かれた文字は...死亡数という字。

過去に僕が、どれだけの過ちを愚行を行ってきたのか、その結果一体何人が死んでいったのか...いや、を感情が一切入っていない統計的に纏められたもの。


ああ、やっぱりどうあっても僕はこの世界の害悪でしかないじゃないか。


何もしていない善良な一般人を無自覚とはいえ殺しまくった、それも三桁も...立派な歴史的な大犯罪者だ。


「...僕は...僕は僕は僕はッ!」


何が「...誰か...死んだのか?...」「...今のところは、大丈夫です」だよ、ふざけるな。


あの人達がそんな聞かれ方をして、貴方のせいでこれまでで134人死にましたよ、なんて...


「言えるわけねぇだろぉッ...」


おふざけでこの力を使った。


父を救うためにこの力を使った。


友人の体を改造した時、綺麗な景色を見るためにこの力を使った。


結果僕は、134人という命を奪った。


何をしているんだ僕は...無自覚だから、知らなかったからで許されるほど人の命は軽くはない。


「あ!ここにおられましたか!美幸様!ネム殿!」


「いきなりいなくなられたので心配いたしましたよ」


こっそり抜け出してきた廊下から聞こえるその声、僕はその人達に目を向けることができなかった。

実際どうかなんて分からないけれど、もしかしたらこの2人の友人を父を母を妹を恩人を彼女を妻を...僕が殺しているかも知れない。


表に出さないだけで、心の奥底では僕のことを憎んでいるんじゃないだろうか。

それが怖くて、怖くて恐ろしくて僕は...顔を上げることもできず...


「ッ!!」


気づけばその場から逃げ出していた。


「み、美幸様!?」


「どうかなされたのですか!?」


「.....」


逃げて逃げて逃げる、この場所から、僕を助けてくれた、陰ながら支えてくれていた人達の前から逃げ出す。


僕は、いつだって逃げてばかりだ。


友人から逃げて


異能から逃げて


辛い現実から逃げ出す


けれどここから逃げて一体どうするというのだろうか?


...いやそういうことじゃないんだ、一番ムカついているのは優柔不断だったことだ。

逃げることを決めたのなら逃げ続ければよかった、能力になんか向き合わなければよかった、玲香や連斗達の関係に一歩踏む込まなければよかった。

そうすれば僕はこんな事知らずに済んだ、能力を封じてこれ以上人を殺さずに済んだ。

父さんを助けた結果5人、他人を殺した、いや犠牲にしただなんて思わなくて済んだんだ。


どんな顔して家族に会えばいい?

どんな顔して玲香達に会えばいい?

そんな事以前に僕はどうやって死んだ134人にお詫びをすればいい...

現実から逃げるように走り続けて、どれくらい移動したのか...いつの間にかここは僕が最初に逃げだしたとき見かけた鳥居がある神社の境内だった。

周りの人はいない...かもしれない、いやもうそれすらもどうでもよかった。

ただもう無理だった、吐き出したかった。

空を仰ぎ見るように、雪が降る空を眺めながら荒い息を吐き、一気に空気を吸い込んで肺を満たして胸の内にある言葉を吐き捨てた。


「死ねよ!伊那美幸は死ね!!お前なんか存在しちゃいけなかったんだ!」


今まで必死に封じていた言葉は、雁字搦め閉じていた蓋はいとも簡単に決壊していく。


「お前なんかが生きてるから誰かが不幸になっていくんだ!自分で一度決めたことも守れないような奴ならさっさと死ね!」


掻き毟るように頭を押さえ罪悪感からか瞳から涙が零れ落ちていく。

こんな事ばかりだ、いつもいつも少しでも人生が楽しくなった瞬間、まるで世界は馬鹿にするかのように僕に現実を教えてくる。

いや、それすらもすべて自己中心的な発言に過ぎない、結局すべて僕が悪いことに変わりはないのだ。


「もう嫌だ、こんなモノがあるから僕は...僕は...!」


喉を裂くような嗚咽を漏らしその場に力なく膝をついた。

自分自身の首に手をかけて、指の一つ一つにぐっと力を籠めた。

はぁはぁ...と洗い息を吐きながら、少しずつ自身の首を締め上げていこうとして...


「ダメです」


優しい声が耳に響いて体が何か温かい感触に包まれた。

優しい香りが鼻腔をくすぐる、瞳に映るのはサラリと流れるブロンドヘアに、どこかで見たような既視感を感じた。


「死んじゃダメですよ」


「.....」


優しい手つきで頭を撫でながらそっと抱き寄せてくる。

まるで母親のように、子供を優しく叱るように。


「美幸様が死んだら私は、なんのために生きているのか分からなくなります」


「あなたは...」


あの部屋で寝ていた時に僕のおでこにキスをした...


「それに美幸様が死んだら、一体誰が彼女達を助けるんですか?」


その言葉にハッとした。

もしこのままここで僕が死ねば一体誰が玲香達を助けてくれるのだろうか。

自暴自棄になりすぎて大局を見失っていた。


「このままじゃ道連れにしちゃいますよ、それが美幸様の望みなら私は何も言いませんが...」


「違う、僕は...」


そうだ、ネムにも言われたじゃない、君はどうしたいのか?って。

その時僕は言ったはずだ、決めたはずだ。


「あいつらと一緒に、平和に...」


「無理だろ」


そんな淡々とした声がその場に響いた。


「神と人が仲良く?笑わせんなよ、神は完成された存在だ、神は群れねぇ、それは弱者の発想だろ」


神社の境内からゆったりとした足取りで降りてくるのは、髪の毛から和服まで黒に身を包み腰には小刀をぶら下げている。


「まあそもそもお前はここで死ぬんだから関係ねぇか、ん?」


目はまるで刃物のように鋭く常に何かを睨んでいるかのように見える。

いや、実際に僕を睨みつけているんだろう。


「お前は!...美幸様私の後ろへ」


「動き出しが遅ぇよ」


瞬間、僕の視界に捉えていた男の姿が消えた。

気がつけば男はすぐ近く、隣の女性の目の前に立っていて、右手で顔を掴んで引き寄せるようにしていた。


「気にくわねぇ、お前は俺のモノだ何他の男に尻尾触ってる」


「私はお前のものじゃない、気安く触るな」


「くくっいいねぇその気概、ぐちゃぐちゃに

してやりたくなる、心も身体もなぁ」


そう言って何故か男は手を離し、それを見ていた僕の腹部に激痛が走った。


「ぁッく...!!」


「美幸様!」


腹に足がめり込んで頭に嫌な音が響き、僕の体はまるでゴムボールのように跳ね飛ぶ。

それを受け止めるように飛んだ先に移動していた男の足が美幸の頭を地面に叩きつけた。


「このまま頭蓋骨へし折ってもいいんだぜ」


「美幸様から足を退けろクズ野郎!」


「なんだぁ?足を退けて欲しいのか悠奈ぁ、だったら誓えお前は一体誰のモノだ?」


「.....ッ!」


その言葉に悠奈はギリっと歯噛みし、すでに意識がないだろう血溜まりに沈む美幸を一瞥した後...いやいや口を開いた。


「...わ、私は...!」


「何をしているか!!」


野太く低い声が辺りに響き、その声にニヤリと男は顔を歪めた。


「何って、実力で白黒付けたんだよどっちが神にふさわしいかってな」


「それは神候補である貴方の独断で決めるべきものではない!」


「神候補、それに独断?...おいおい、これは全ての賛同によるものだぜ、そうだろぉ!なぁおい!」


その声に反応して境内に姿を表すのは、杖をついた1人の老人と無数の和服姿の者達。

その中には美幸を襲ったシンメトリーの少年もいる。


「その通りでございます韋駄天様」


「義継ッ!」


その老人の姿に則義は感極まったように苛立ちを混ぜて叫んだ。


「久しいな則義、何やら幸節は怪我人に死人続出で大変らしいのぉ、まあ本家たる我等に雑用係の分家の事情など知ったことではないがな」


「まだどちらが本家かは決まっておらぬ!」


「ふっ世迷言を...時透と幸節連れてきた神子の優劣によって本家が決まる慣わし!長年神子を見つけることさえしてこなかった幸節がようやく連れてきたかと思うたら...この有様、もはやどちらが上かなど決まったようなものではないか?」


目を細めてやれやれとため息混じりに美幸を見つめる義継に則義は苛立ちを隠す事ができない。


「ふざけるなよ義継!美幸様は心根の素晴らしいお方だ!素晴らしいお力を持つお方だ!」


実際に則義達は美幸の事を昔から知っていた、だからこそ美幸の持つ力の大きさを正確に理解していた。

けれど義継にとって則義達幸節家が調べていた神子がどれほどの力を持つかなど知る由もない。

だから、この様に馬鹿にした態度になってしまうのも仕方がないことなのかも知れない。


「ふ、老いぼれてついに目も腐り落ちたか...悠奈様幸節家など早く捨て、時透家に鞍替えし神の巫女となる決心をしていただきたい」


「嫌です」


悠奈は韋駄天にふまれていた美幸を、装束が血で汚れる事も厭わずに胸の内で庇う様に抱きとめながら嫌悪感を隠す事なく即答した。


「本来ならば幸節の血などいれたくもないが...我らが韋駄天様の要望とあらば容認すると寛大な返事をしておるというに...」


「美幸様が本当に力を自由に使えるのなら誰が神にふさわしいのかなんて、韋駄天なんかと比べるべくもない」


きっと睨みつける悠奈においおい、と肩をすくめてみせる韋駄天。


「今そこで意識なく守られてるだけのそいつが俺より優れてるとでも?笑わせんなよ」


「そっちこそ、あなたの方が優れているなんて思い上がりも良いところですね」


「じゃあ試してやる、よ!!」


「ッ!?」


またしても姿が消えた韋駄天によりいっそう美幸を抱き止めていつ来るか分からない衝撃に目を閉じた。

だが、それは一向に来る事がなく...うっすら目を開ければそこには悠奈にとって見慣れた青年がいた。


「北代龍星ッ!!」


「ふんッ!」


そこには薙刀で韋駄天の蹴りを受け止める龍星の姿。

邪魔だと言うように韋駄天の体を薙刀で吹き飛ばす。

けれど韋駄天はなんともないかのようにゆるりと着地した。


「これは一体どう言う事か、まさか時透家が神成る法を破ると?」


普段と変わらない淡々とした視線を龍星は義継に向けると、おやおやと微笑を浮かべた。


「これはこれは調停者よ本日はお日柄も良く...」


「くだらない世辞はいい、これは一体どう言うことかと聞いている」


当然質問を理解した上で義継はそう返す。


「ちょっとした神子の力試しを行っていたに過ぎません」


「ほう?では目的は達したわけだな、だがまあこれ以上やると言うなら調停者として、天の使いとして俺が相手をしよう」


「...韋駄天様、ここが引き際かと」


「まあ今回は幸節家の力の無さを理解できただけよしとするか、神決め、恥ずかしさのあまり逃げんなよってその無能に伝えとけよ」


まあこの様子じゃ無理そうだけどなぁ、なんて嘲笑を浮かべながら韋駄天と時透家は屋敷の中へと帰っていく。

その後ろ姿が消えるまで睨みつけ、消えたのを確認してから声を上げた。


「誰か美幸様に手当を!...」


「まかせろ」


平然と龍星が自分の服の裾を引きちぎると、美幸の頭に止血の為に巻き付ける。


「ねぇその服...確か天から支給された服じゃ...」


確か神による強力な癒しの力が込められた、着物だったはず。


「知った事か、服や立場などよりも優先すべきは美幸様だ」


相変わらずね、と呆れるべきかむしろ尊敬するべきなのか。


「則義、安全な部屋を教えろ」


止血をしっかりと行った龍星は下手に頭を動かさないように丁寧に美幸を抱き上げると屋敷の中へと足を踏み入れる。

同じように則義が慌てた様子で屋敷に入り龍星を先導する。

その様子を黙っていた悠奈は、少し寂しそうに自分の胸に残る美幸の温もりを惜しむように抱きしめた時のことを思いふける。


「あんな感じ、なんだ...」


今まで見つめている事しか出来なかった存在に触れられた、こんな事今考えるのは不躾だって理解している。


けれどこの胸の高鳴りを誤魔化すことはできなかった。

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