第1話 普通じゃない日常


「お前さ、夢とかやりたい事ってある?」


6月7日(水)時刻は午後4時22分。

部室を淡く照らす夕暮れ空は、少し黒を混ぜたような黄ばんだ空で、何度か見た事のあるありきたりな茜色ではなく、黄ばむと言うと少し悪く聞こえるけど、良く言えば威光が差しているような空だ。

それが実に美しく、神々しさすら感じさせる空、もし神様がいるとしたらこんな所に住んでるんじゃないのかと思えるような空を、僕は部室の椅子の背にもたれかかるようにして呆然と眺めていた。


「おーい、聞いてんのか?」


空から視線を戻し、なんとなく軽く足を伸ばす。

ここは私立遊佐高校、普通高校の名はほとんどが地名を使用したり、意味のある単語を使うことがほとんどだと思うがこの高校は理事長の自己顕示欲が高く、理事長の遊佐部郎という名前からとって遊佐高校、なんでふざけた学校だ、と思うが実際は偏差値65以上のかなり頭の良い高校だったりする。

そんな高校の西棟、三階の一室で僕達は部活動を行っている。

いや、部員数が必要数に達していないから部活動ですらない、ただの集まり、お遊びクラブのようなものだ。


「なぁおい、無視すんなよ〜?」


僕の正面に座り、携帯型のゲーム機をずっといじりながら同時に机に置いたスマホをいじる。

口には一瞬煙草に見える棒付きの飴を咥え、パイプ椅子の上で見るからにだらしない体制でこちらをじとー、と見ているのは...僕の知り合い。

別に友人というわけじゃない...なにせし。


「おーい?死んでんのか?」


流石にそろそろ何かしら返事を返そうと、机の上に置いてあった携帯機器を手にすると、タッチペンを片手にそこに文字を書き綴る。


『悪い、空を見てた』


それを見せると、呆れたように口を開いて、飴をがりっと噛み砕いた音がする。


「ったく、お前はのんきだな...俺なんか限定インベントに配布キャラの育成に忙しいってのによ」


『ゲームしかしてないお前に言われたくない』


「おいおい、ゲームだって立派なスポーツだぜ?大々的に授業に取り入れてもいいくらいにな」


日本の偉大な歴史においてゲームは伝説的なファクターだろ?なんて、そう語った滝蓮斗たきれんとは、「あ~」という言葉に続けておもむろにつぶやいた。


「てか、話を戻そうぜ...おまえ夢とかねぇの?」


『いきなりどうした?将来が不安にでもなったのか?』


「なんていうか...知り合いがな、夢が決まってて行く所も決めててさ、必死に頑張ってますって感じでよ...まるで自分が何もしてないみたいだろ?」


なんて少し不貞腐れたようにぼやく、要するに怖いのだ。

周りはみんなやりたいことが決まっていて、それに向かって努力をしていて、自分だけが取り残されているように感じて...

だから、今の自分を肯定できるように仲間を探す。

それを自分でも理解しているからか少しバツが悪そうな顔をしていた。


『そんなの決まってる方が少ないだろ』


「そうなんだろうけどさ...美幸みゆきはなんかあんの?」


そう問われて、ふと考えてみる。


夢、誰だって口にするのは簡単で叶えるのは難しいものだ。


けれど、僕にとっては...これほど難しく簡単な事もないのだろう。


(夢、か...子供の頃は何かあったんだろうか...)


いつしかそんな事も考えなくなっていた。

ただ、なんとなく生きて、なんとなく老いて、誰にも関与せずに死んでいく、それが僕のあるべき姿だ。


そもそも自分に夢を語る資格なんてない。


『特にないな、それに喋れない俺じゃ、夢を叶える所か追いかけるのも無理だろ』


なんとなく、自分のことを下げてそう文字で綴って見せる。

その言葉に少しだけゲーム画面から視線をそらした蓮斗は、僕の顔を呆然と眺めて、遠慮がちに呟いた。


「...なんで」


『?』


「...聞いて良いのか分かんないけどよ、どうして喋れないんだ?いつも黒いマスク付けて口元隠してるし...事故とか?」


一応、蓮斗なりに気を使ってくれたらしい。

その、珍しく遠慮がちな態度に小さく微笑を浮かべる。


「なんで笑うんだよ...」


『お前気遣いなんてできたんだな』


「んだとッ!俺は優しさだけで道徳の成績評価5取れる男だぞッ!」


『はいはい、それよりも−』


なんて、適当にあしらいながらそれとなく別の話題にすり替える。

もしかしたら蓮斗は気づいていたのかもしれないが、それでも話には乗ってくれた。

なんだかんだこいつは気のいい奴だ。

その後、たわいない雑談、何かのゲームの厳選孵化?とかいう作業をやり終え「色違いで理想値5V!?はぁ!?」という蓮斗の謎の絶叫を聞いた後、クラブを後にした。




部室から出た後手提げ鞄を肩にかけ廊下を歩く。

吹奏楽部の練習音が開けられた窓からうっすらと耳に届く、いつもこの時間は吹奏楽部の音楽が人気のない校舎に響いている。きっと吹奏楽コンクールの優勝を狙っているのだろう、それくらい熱心にいつも練習している。それが分かるほど毎日この時間に聴いているからか、かなり音の良し悪しがわかり始めてきた。

今日はかなりご機嫌らしい、少しだけ聴いていこうか、なんて窓枠から中庭に視線を落とした時、少し先の木製の両開きの扉が開いた。


「これは美幸さ...くん、部活が終わった所でしたでしょうか?」


出てきたのは背の高い黒髪、黒縁眼鏡をかけた鋭い目つきの男、脇には何かの書類を挟んでいる、生徒会は今日も忙しいらしい。

はぁ、少し音楽を聴こうなんて思うんじゃなかった、遊佐高校生徒会長、北代龍星きたしらりゅうせい正直僕は色々あってこの男が苦手だ。

わざわざ会話をするために携帯機を出すのも面倒くさい、軽く会釈だけしてそのまま通り過ぎようとして...


「美幸..くん、先日失礼を働いた横山の件ですが、こちらで処理しておきました」


その言葉に体が止まり背中がぞくりと嫌な感じがした。

すぐにカバンから携帯機を取り出すと文字を打ち。


『処理って何をしたの?』


「美幸様の偉大さを理解させ、2度と舐めた口が聞けないよう恐怖を刻み込み、美幸様のお目汚しならぬよう教職を首にいたしました」


僕と向き合って、問い返されたことになんの疑問も浮かばない、そのまるで、当たり前のことでしょう?と言わんばかりの真顔。

昔から彼は何も変わっていない、昔から理解できない、だからこそ怖かった。


『前から伝えてたと思うけど、僕はただ普通に生きたい』


「わかっております、そのために邪魔な教師を消しておきました」


『普通の生徒が、少し嫌味を言った教師を首にすると思う?』


「ですが美幸様ッ...」


その言葉を遮るように携帯機を目の前に突きつける。


『その様ってのも辞めて、僕は君の期待には答えられない』


「それが...美幸..くんの、お望みとあらば...」


まるで臣下の礼のように膝をつき頭を下げるその姿。

きっと彼はまるで分かっていない。

この学校で喋れない僕に対し、憐れみの視線や嘲笑以外の視線を向けてくるでもなく、ただひたすらに敬意を表してくるヤバい奴は彼だけだ。

やっぱり関わってはいけない、僕はそのまま逃げるようにその場を後にした。




「龍星くん、まだいる?って何してるの?...」


美幸がいなくなった後、龍星の後を追うように木製の両開きの扉が開いた。

そこから顔を出すのは少し長めのブランドヘアの女子生徒。

廊下に膝をついている龍星を見て不思議そうに首を傾げている。


「悠奈か、つい先程まで-」


「大丈夫匂いでわかるよ、美幸様がいらっしゃったんだね」


ぽっと顔を赤く染め、うっとりとしたように顔を破顔させる。


「美幸様呼びはお気に召さないそうだ」


「え...君呼びはちょっとまだ照れ臭いんだけど...め、命令なら仕方ないよね」


「それ以前にお前、美幸様に謁見したのか?」


「うーん、その...美幸...君の匂いだけで心臓痛くて...顔見るとお腹の奥がこう...」


だらしのない顔に匂いを嗅いで胸を抑えた様子に呆れたように龍星は視線を外す。


「それより、何か用があったんじゃないのか?」


「えぇ、実は幸節家からたった今連絡が、琉脈から一体、白邪が逃げ出したそうです」


悠奈の報告に龍星は忌々しそうに顔を歪める。


「なんだとッ...美幸様に危害を加える前に、確実に処理せねば」


「白邪は高い知能があります、町に降りてかなり時が経っている事から何かに擬態している可能性が高く−」


「理解している、すぐに処理する」


話してる最中生徒会室の中へと入り、生徒会の書記や会計、事務が仕事をしている隣を通り抜け、会長と書かれた席、その後ろの壁に飾られた薙刀を強く握りしめた。



※1※



ほとんど人気のなくなった校舎から出ると、運動部の練習風景に努力の声が耳に届く、その様子を少しだけ視線を向け、すぐに校門から外に出て家路に着く。

高校から家までの距離はそこまでなく、遠いか近いかで言えば電車や自転車通学の人に申し訳ない程近いので、普段は歩いて通っている。

いつも通り、空を見上げながら、声を漏らさないように静かに息を吸って吐く。耳の感覚を研ぎ澄まし町の何気ない音を聞く、犬の吠える声だったり鳥の鳴き声や子供達の笑う声木々を揺らす風の音。


これが僕の日常だ。


ありふれた程普通の日常、これからも繰り返していくだろう日常。

ただその日は少しだけいつもと違った。


(珍しいな、中学生がこの時間に帰宅なんて...)


家までの道のりの途中、十字路を曲がると、目の前には学ランを着ている男子中学生達が目に入った。

とてもにこやかに喋って、笑いあって、ふざけあう。


その様子が頭の中で昔の光景と重なり合って...すぐに目を逸らした。


(...あいつに変なこと聞かれたからか?)


普段は気にもならないはずなのに...珍しい、の感想しか抱かないはずなのに、どうしても視線が彼らを追って、余計なモノが頭の中に浮かび上がる。


(今日は、もう...寝よう)


僕は余計な事を考えてはいけない。


余計なことを口にしてはいけない。


それは、その行為はこの世界を侮辱する事と同義だから...


雑念を振り払い、彼らが目に入らないようにいつも通り...とは少し違う道に向かう。


(少し、遠回りだけど...たまにはいいか...)


中学生を避けるように、普段とは違う道に曲がった。


それが、間違いだった...

もう既に、今日この後、ああいった事になるのは必然だったのだろう。


何も知らない僕は、本当に今日は変わった夕焼け空だな、なんて思いながら公園前の開けた道を歩いていた。


(ん?...)


視界外から突然足元に黄色いゴムボールが転がってきた。


「もう飛ばしすぎッ!」


「あたしとってくるね!」


公園の入り口付近の青いポール、その横から顔を覗かせるのは小さな小学生くらいの女の子達で...


(やんちゃな子だなぁ...)


僕をみて少し心配そうな顔をする女の子に対して、僕は不審者じゃないよ〜と安心させるような笑顔を浮かべてボールを持ち上げる。


(軽く投げてあげようか...)


なんて思っていると、女の子がそんな事する前に自分で取りに来ようと、走って道路に飛び出してきていた。



―それは、運命だった。



トラックだった。

普通の、一般的な、誰もが一度は見たことがあるような...

ただ、状況だけが普通じゃなかった。


(え...ちょッ!?...)


今まさに、飛び出してくる女の子に対してトラックが突っ込んできている。

その状況を理解した瞬間、一目見た瞬間...


声は出なかった。


日頃から硬く固く強く閉じた口は、こんな状況でも声ひとつ漏らさない。

少女に全く気づく様子のないトラックはさらに速度を上げ、もう間近に迫っている。


後ほんの数秒であの子は...


そう脳がもう無理だと、あきらめの警鐘を鳴らしていた。


(え、あ、やば...声を出せば...けど、何を言えば...助けないと...庇えばいい?...間に合わない...何もできない...また、変える気か?...警察...今更何を...)


脳が良く回らない、こんな状況の予行練習なんてしていない、グチャグチャとかき混ぜられていく思考回路、身体はまるで鉛の塊になったようにぴくりとも動かない。

そんな自分に嫌悪感を抱き、もう無理だと諦め、これから迎える悲惨な現実、残酷な映像から目を逸らすために目を閉じかけ.....


確かに、アスファルトを蹴る音が耳に届いた。


その足音は公園の中から聞こえて、颯爽と蒼色のポールを飛び越えた、そいつは...


(なッ...)


「危ないッ!」


何のためらいも、迷いも、躊躇すらなく。


人間としてブレーキが壊れているとさえ思えるその彼女は、亜麻色の髪をなびかせて道路へと、その少女へと手を伸ばした。


助ける、それ以外何も考えていない必死な表情を、姿勢を見たとき、脳裏に浮かんだのは...


思ったのは一つだけだった。



(助けないと...)



纏まらなかった考えが、纏まっていく。

バラけていた思考が急速に当て嵌められていく。


(動けッ!)


僕は、左手で咄嗟に黒いマスクを下に下げると...右手で目の前のトラック、の運転手を指さして全力で声を上げた。


「トラックは〝ぶっ飛べ″ッ!!」


その言葉を放った瞬間、何も気づいていないトラックの運転手の腕が異音を響かせながらありえない角度で急にハンドルを横に切り、あまりに不自然に、子供の目の前でトラックが巨大な手にぶっ飛ばされたように、折れ曲がった。



壮絶な破壊音の後に残ったのは折れ曲がった電柱に前面、左側面が崩壊し窓ガラスが砕け散っているトラック。

半壊したトラックからは、音楽なのかそれとも機械音か、掠れた音が響いてくる。

だが、それすらもかき消すように女の子の鳴き声も混じっていて...収拾がつかない。

そんな混沌な様子など気にもならないほどに、僕は胸を撫で下ろしていた。


(誰も死んでない...上手くいった...)


心臓を握りしめるように肩で息をしながら、背中を垂れる冷や汗の気持ち悪い感触が逆に自分の意識を冷静に保ってくれている。


「すいません!!私が目を離したばっかりに...」


「いえ、怪我もなくて良かったです」


「ママッ!!」


「ほんとに...何事もなくてよかったわ...」


ちらりと視線を向けると、先ほど女の子を救った女性が、子供のお母さんにお礼を言われていた。

...というか、あの制服。


(同じ高校か...)


変な勘繰りされなければいいけど、ってそんな事よりも...

その人たちを無視して、トラックの窓をコンコンとノックして...そこに人はいなかった。


「え、は?...」


先程まで目の前に確かにあったトラックは、トラックじゃない白い塊になっていた。

全身真っ白い塊、所々透明な液体のような箇所が混じっていて黄色い血管のような亀裂も走っている。

ゆったりと体を揺らし、何重にも瞳孔が重なったような真っ赤な瞳がこちらを見ていた。


(トラックじゃない...なんだよこの化け物...)


白い塊から、何か細長い触手が何本も伸びてきて僕に触れようとしたその時...ちりのように先端から砕けた。

そのひび割れは全身に伝播し、すぐに全身が黄色いちりに変わる。

気づけば全てが風に舞うようにして消えた。


残されたのは折れ曲がった電柱と破壊されたコンクリートだけ。

何が何だか分からないけど、結局僕はまたこの力を使ってしまった。


(くそ、最低だな僕は...)


結局ルールを守れなかった自分に嫌悪感を感じて、そのまま逃げるように帰路に就こうとするが...



「待ってッ!」



それが、彼女との出会いであり。



これから先の人生を、歪ませる元凶。


「君...何かしたよね?」


彼女は、とても不思議そうに、それでいて興味深そうに満面の笑みで聞いてきた。


「...」


「とぼけないでよ、絶対になにか、別の力が働いてる、それくらい変な曲がり方だったし...というかトラックどこいったの?まさか逃げた?」


女生徒の質問責めに対し、この人は何を言ってるんだろう?ただの通行人ですよ?的な雰囲気を醸し出しながら自分のマスクを口元に戻す。


「前輪浮いてたのよ!?おかしいでしょ!...それに君、何か叫んでたでしょ?飛べ、的な...」


訝しむようにしながらも、真っすぐとこちらを興味の視線で貫いてくる彼女。


「...」


記憶を消してしまおうか...そんな考えが一瞬浮かんだが...これ以上言葉を口にしたくないし...

ならば、するべき事は決まってる。

目の前の彼女の事など完全に無視して、帰り道の方を向くと..,


「ちょっとッ!?ねえ待ってよ!?」


全力で走り抜けた。


彼女の焦ったような戸惑った声なんて聞こえない。


今日は、少し違ったけど、普通じゃなかったけどいつも通りの日常だった!


そうやって自分を誤魔化しながらも、今日自分のしてしまったことをしっかりと受け止めて、より一層口を無くす事を決意した。



「.....美幸様...」


その姿を薙刀を握る影が静かに眺めていた。


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