第五十七話 魔性長屋の大家

「よう。ここ、いてるかい?」

「おっと。いいぜ、座んな。……またその風体ふうていってこたぁ、お忍びってことだな、ミサーゴ?」

「ま、そんなところだ。ははっ」



 あの会合の日から数週間が過ぎていた。



 いつものごとく一番端の、一番遠いカウンター席にくたびれた身体を預けるように腰を下ろした旅人風の装束しょうぞくの男――《勇弟》のミサーゴは、スツールの下に薄汚れたズタ袋を放り出す。そして、その上に身の丈ほどある大剣を乗せてから、目の前に置かれたカップに目を輝かせた。



「ほれ、飲みな」

「さすがはじじい、仕事が早い。俺はすっかりこの味のとりこでな――」



 ずず――。



 この姿の時なら、作法さほうもなにも口うるさく言われまい、と音を立ててすすり、たちまち恍惚の笑みを浮かべる。その様を見つめながら、銀次郎は苦笑していた。


「で……? こんな真っ昼間っからお出ましたぁ珍しいじゃねえか?」

「ちと、報告に、な――」


 ミサーゴは意地汚くも急いでもうひと口欲張ると、拳で口元を拭うようにして前を向く。


「ほら、爺が言っていただろう? 大家おおやと言えば親も同然、店子たなこと言えば子も同然、とかなんとか。なら、さぞやきもきしてるだろうと、途中までの状況を知らせに来たってワケなのだ――」






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 あの会合の日――。



「だからよ? 俺ぁこう思ったのさ。お前様がたに、ここに腰えてもらったらおもしれえだろ、ってな? なあに、人間と神様が一緒に暮らしちゃいけねえ、って決まりはねえだろ?」


 この『喫茶「銀」』の店内に招かれた『魔性の者』、テウメサとホルペライトは、銀次郎の口から飛び出したその予想をはるかに凌駕した提案に、あんぐりと口を開けて凍りついた。


「そ、それは――」


 やがて、ひと足早くその呪縛から脱したホルペライトは喘ぐように尋ねる。


「貴方、正気ですか!? 我々は、貴方がた人間に対して宣戦布告した身なのですよ!?」

「だからぁどうした? ん?」

「ど、どうした、って……憎き相手、かたきの仲ではないですか! それが――一緒に暮らす!?」

「ふぅむ……おかしいか?」

「いやいや! どう考えたってまともじゃない! 大真面目で言ってることとは思えない!!」

「それがですね――銀じいは、ウチのマスターはこれでも大真面目なんですよ」


 慌てふためくホルペライトをいさめるように、この場でもっとも冷静さを保っている――半ば呆れてはいたが――香織子かおりこが言葉を添えた。


「失礼ですが、テウメサ様、ホルペライト様。今までの人間族との抗争で、双方に犠牲が出ているのではないですか? そのことをうれいていらっしゃるのでは、と思い申しあげましたが」

「……っ」


 あいかわらず香織子の言葉は一切の容赦がない。

 だが、無駄がない、とも言えるだろう。


 押し黙ったホルペライトの代わりに、と、テウメサが静かにつぶやくようにこたえる。


「へぇ。おっしゃるとおりだんすよ。けンど、まだ人死にまではありんせん。こちらもそちらさんも」

「……姫様の仰ったとおりです。もう……はじまっちまってるんですよ」

「では、まずはじめに、その方々をいやすところからはじめませんか?」

「え……?」

「まだ間に合う、そのように申しあげているのです。そう、今ならば。そうですよね、王?」

「おいおい……急に振るなよ、寝こけていたらどうするつもりだったのだ?」


 肝心な時に、絶妙なタイミングで万全備えているというのも、王となる者に絶対不可欠な能力なのだろう。いつの間にかうつらうつらをやめていたグレイルフォーク一世は、カウンターの奥からゆっくりと歩み出て、テウメサたちの座るテーブルまで近づいた。


「たしかに、我らが精鋭たちの受けた被害は甚大だ。このままにしておけば早晩死ぬだろうな。だが、癒して生きるものであれば、どいつも俺の可愛い兵どもだ、ぜひ助けてやりたい」


 眼差しはまだ鋭く、少しも切れ味は衰えていなかったものの、幾許いくばくかの希望と願いもまたその奥に宿っていた。テウメサとホルペライトはそれを目の当たりにして、表情を引き締めた。


 グレイルフォーク一世は続ける。


「もしも奇跡が起きて、あいつらが助かったとしても、それでわだかまりが消えることはない。傷つけたのは貴様らだし、殺そうとしたのも貴様らだ。そう簡単ではないからな、人の心は」



 いくら冷静さを装っていても、グレイルフォーク一世の言葉の奥には明確な怒りがあった。



 だが。

 それは、テウメサとホルペライトにとっても同じだ。



「それはわっちらとて――おンなしざんすね。力が底を尽いたらば、消えちまう定めさね」

「そして……たかが人間なんぞに、と、不服に思う者も、少なからず出てくるでしょうね」

「それでいいのさ。はじめはな」

「ち――ちょっと!?」


 徐々に互いの本心が見え隠れして、ただでさえ不穏な空気が漂っていたところでこのセリフだ。さすがに無責任すぎると思ったのか、香織子は銀次郎を目をいてにらみつけるととがめた。


「よくはないでしょ、銀じい! もしも何か起こったら――」

「起こったって仕方ねえこった。だろ? だが……それを丸く収めるモンがいねえと困るわな」


 そんなもの誰が――という四人の視線が銀次郎を見つめる。

 なので、こう告げた。


「だからよ? それを俺ぁがやってやろうってえのさ。お前様がたの住む『長屋』の大家ってワケだよ。大家と言えば親同然、店子と言やぁ子も同然。子の悪さは親が引き受けるってな?」




 長い沈黙。

 そして、やがて、くすり、と笑いがこぼれた。




「ふふふ。ほんなら安心だんすね。銀さんにゃ、敵いまへんえ。ねえ?」

「ははっ。たしかに。それはまさにうってつけの役どころだな」

「え――!? ち――ちょっと、銀じい!?」


 そう油断ない目つきで笑みを交わすテウメサとグレイルフォーク一世だったが、孫娘の香織子にとってはたまったものではない。ただでさえ、この異世界での暮らしに不慣れなところに、さらに輪をかけて厄介事を引き受けようというのだから、慌てもするし、戸惑いもする。




 が――。




「ま、心配しなさんな、香織子」


 案の定、その銀次郎の口からは、お決まりのセリフが飛び出した。


「なんとかならぁな。何事もやってみなくちゃはじまらねえ、ってえだろ? 大丈夫でぇじょうぶだぜ」



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