第三十二話 夜の追いかけっこ

「……?」


 その日の夜のことである。


「……おい? シオン? シオン、どこ行った?」


 胸騒ぎがして夜中に目を覚ますと、隣の布団ふとんで寝ているはずのシオンの姿がなかった。


「シオン! おぅい! シオン! どこにいる!?」


 急いで身を起こし、部屋のあかりをけようと天井から吊り下げられた行燈あんどん型の蛍光灯のひもを引いてみたものの、うんともすんとも言わない。おかしいと思ったがそれどころではなかった。すぐにも先だっての大地震から枕元に置いてある大きなラジオ付き懐中電灯を拾い上げ、スイッチを押して部屋中を照らしてみる――が、やはりシオンの姿はどこにも見当たらなかった。


「どこ行っちまったんだ、シオン! 返事をしてくれ! おぅい!」


 廊下側の障子が開いている。

 シオンがって通れるくらいの幅だ。銀次郎は後を追った。


「参ったな……ひとりで便所にはいけねえはずだし……おぅい、シオンや!」


 普段使わないのであまりの惨状に放っておいたが、家の奥へ行けば行くほど、例の大地震のせいで家具が倒れていたり壁まで崩れてしまっていたりしている箇所があって|子どもでなくとも危険なのだ。二階はまだマシな方だが、元から物置代わり同然だったし、ましてや年老いてからというもの登るのも億劫おっくうなので行った試しがない。板張りの階段はほこりは積もったままだ。


「上がった跡がねぇ……じゃあ、やっぱり下だな。店の方は……開いてねえか。なら――」


 崩れかけた家の奥ということになる。


「……ここにもいねえ。ますます参ったぞ……」


 冷たい板張りの廊下をすり足で進み、途中にある便所の戸を開けたが、そこにもシオンの姿はなかった。となると、もうこの先の崩壊しかけた危険区域に入っていったことになる。


 そして、


「おぅい、そっちは危ねぇんだ! いくらおめぇさんが頑丈でも、崩れて埋まっちまうぞ!?」

「――――――ぷぅ!」

「!! シオンか!?」


 確かに聴こえた。


 銀次郎は大慌てで懐中電灯の灯りを四方に向けて居場所を探す。しかし、どこにもその姿は見当たらない。苛立いらだちとあせりが銀次郎の心をぎりぎりと締め上げる。じんわりと汗が額ににじむ。


「シオン! 返事しろ!」

「――――――ぷーっ!」


 もう一度喉を枯らして叫び、声を頼りに懐中電灯の灯りを動かすと――そこに穴があった。正確に言えば、折り重なった壊れた壁と家具と瓦礫がれきの中に、丁度ひとひとりがくぐり抜けられそうなトンネルができていたのだ。


「シオン! 戻って来い!」

「ぷぷぷー? ぶぶーっ!」


 両手をメガホンのようにして穴の中に呼びかけるが、シオンは嫌だと言っているようだ。銀次郎はむすりとした顔をますます厳めしくしかめると、ためらいもなく四つん這いになった。


「ったく……どこのどいつに似たんだ、この頑固モンめ! 捕まえて、尻、引っ叩いてやる!」

「ぷー! ぷー! ぷぷー!」


 近づくどころか徐々に遠ざかっていくシオンの声を追って、銀次郎は右手で懐中電灯を構えた不安定な恰好かっこうのまま勢いよく這い進んで行く。急がなければ、この穴がいつ崩れるかも分からない。年老いた自分はあきらめもつくが、まだ幼いシオンはそういう訳にはいかない。


「こら、待て! こンの、悪戯いたずら娘め!」

「ぷー! ぷー!」


 ひとたび崩れでもしたらどちらの身も危ういのだが、銀次郎の中では『せめてシオンだけでも』と思って必死に追っている。しかしそんな親心もどこへやら、シオンはますます奥へ行く。


「こらこら! いい加減に観念しやがれ、シオン! そんなに奥にゃあ行けねえんだからな!」

「ぷー! ぷー!」



 ――おかしい。

 今しがた自分で口に出したセリフに疑問が生じていた。



 もうかなり奥まで進んできたはずなのに、いつまで経ってもトンネルの終わりが見えないのだ。トンネルはまっすぐではなく、右や左へ、上や下へとぐねぐね続いていたが、それでも銀次郎の家の中という『果て』はあるはずで、じきシオンの下へと辿り着くはずだった。だが。


「お、おい! こいつぁ一体どういう理屈ンなってやがる!? おぅい、シオン!」

「ぷぷぷー! ぷー! ………………ぷっ!?!?」




 ――落ちた!? こりゃてぇへんだ!!




「お、おいおい! ど、どうした!? 一体何が――!!」


 銀次郎は一心不乱に四つ足で駆けるようにして這い進んだ。


 悪い予感が頭を駆け巡る。そのたび白髪頭を振ってそれを必死に追い払う。元々キレイな恰好をしてはいないのだからとちりが舞おうがほこりを吸い込もうがお構いなしだ。道はどこまでも一本で、どうやっても迷いようがない。心の臓が早鐘を打ち、このままじゃ近々御陀仏おだぶつだと思うも、意地でも止まる訳にはいかなかった。




 もう駄目か――と半ば諦めかけたその時。




「ぷぷー! きゃっきゃっ!!」

「……ようし、見つけたぞ、こンの悪餓鬼がきめ! なに手ぇ叩いて喜んでやがるんだ、このっ!」


 そこでトンネルは行き止まりらしかった。


 そこだけぽっかりとした少しばかり広めの空間があって、その真ん中で転げ落ちたらしいシオンが鬼のような形相で這い進んできた銀次郎を見つけてにこにこと笑っているではないか。


「ったく……!!」



 腹は立つ。



 さんざ虚仮こけにされて、息も絶え絶えになって追いついてみたら、大はしゃぎで手を叩いて喜んでいるのだから。とはいえ、シオンはどこも怪我をしていないようで、おまけに見たこともないくらいの満面の笑みを浮かべているのだから、銀次郎の怒りもじきに収まってしまった。


「しっかし……こりゃあ一体なんなんだ? ええ、シオンお姫様よ?」

「ぷっ!」


 突然シオンが上を指さした。


「?」


 釣られてシオンの隣で胡坐をかいたまま上を見上げると、そこには見慣れた物が見えた。




 仏壇である。

 そして、その観音開きの扉の隙間からは、まばゆい陽の光が差し込んでいたのだった。



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