第二十七話 持ちつ、持たれつ

「ギンジロー! いるかい?」

「おう、シリル。……一体どうした?」

「もう昼時だよ! ほら、これはウチからのおごりさ! で……お嬢ちゃんにはこれでちゅよー」


 南中にあった陽がやや傾いた頃、清潔な布巾ふきんをかぶせた木のトレイを抱え、シリルはいそいそと銀次郎の店――喫茶『銀』へとやってきた。ずいぶん親切で世話焼きだと思いきや、シリルの目当てはどうやらシオンらしいと分かって、銀次郎は思わず苦笑する。


「じゃあ、遠慮なく」


 ぱちりと手を合わせ、ゴードンたちと同じまかない飯を頬張ほおばり、銀次郎はたちまち目を丸くした。シリルの豊満な胸に顔を埋め、次々と繰り出されるさじの一杯一杯に同じく目を丸くしているのはシオンである。さっきも喰ったばかりで食欲旺盛おうせいだねえ――銀次郎は、くく、と笑った。




 さて――。

 今朝の出来事は実に奇妙だった。




 占い女の店を一歩出た銀次郎が再び振り返ると、そこには占い館のかげはもう欠片かけらもなく、不思議そうな顔をした別の店主――馬具屋なのだそうだ――が立っているだけであった。念のため尋ねてみたが、このあたりに店を構える占い女はいないらしい。


 銀次郎は思い出す。


(呪いもせず、託しも負わせも致しません。ただ我々は、どうか――どうか、と願うのみ――)


 あのからすは結局なんだったのだろうか。


(魔族が角持ちだってことくらい、そこいらにいるちっちゃな子供でさえ知ってることだ――)


 ゴードンが、シオンの頭の『角』を見た時にそう言っていた気がする。


 となると、あの鴉もまた、魔族の生き残りだったのだろうか。

 そう考えれば筋は通る。


(だが……ちいっとばかりせねえな……)


 しかし、ゴードンが語った『人間と魔族との戦い』というのは、かなり昔の話だったはずだ。


 数万の軍勢を率いた魔族の首長の進撃を、銀次郎と同じくこの地に招かれた『異世界びと』の勇者の活躍により見事撃退し、人間側が勝利した――そういう言い伝えだと聞いている。



 ただそれのみで、すべての魔族が滅びたなどとは聞かされていない。



(……ま、その方がシオンにとっちゃあ幸せなことかもしれん)


 銀次郎は、最後のひと匙を宙にとどめたまま、ぶすり、とした顔つきでうなずく。



 人だ魔族だなどという違いにはよらずとも、望まぬ縁で生涯苦労してきた者を銀次郎は数多く見てきた。悲願だと余計な重荷を負わされ、旗印だと勝手に担ぎ上げられて、他人勝手な運命に翻弄されて、知らぬ大義のために命を削る。そういうはた迷惑なことは当たり前に起こる。



(……シオンはだ。そう約束しちまったからにゃ、面倒事に巻き込む訳にゃいかねえ)


 うむ、とうなずく。


「……なんだい、ええ?」


 と、少し前から様子をうかがっていたシリルがからかいの言葉を投げてきた。


「そんな気難しい顔しちゃってさ? そのひと匙で最後だからって、むくれてんのかい?」

「ばっ、馬鹿言え!」


 意表を突かれた銀次郎は慌てふためいた。

 にしても、やはりゴードンは腕がいい。


 けらけらと笑いたてるシリルを横目に、銀次郎は食器をキレイに洗ってトレイに戻した。


「いやあ、実に美味かった! なんだか申し訳ねえや」

「困った時はお互い様って言うだろ?」


 ほら、あーん、と最後のひと匙をひな鳥役のシオンの口に押し込んでシリルは言った。


「そのうちあたしらがギンジローに助けてもらう時が来るんだから。気にしちゃいけないよ」

「ぶぶー!」

「はいはい! そうでちゅよねー? いい子いい子ー!」


 迫力ある全身で最大限の愛情を表現するシリルにかかっては、シオンも借りてきた猫のごとくおとなしい。髪はぼさぼさ、もうあちこちわやくちゃに、なすがままにされているようだが、本人がいたくご機嫌なのでよしとする。


「朝からこっちにもぼちぼち客が来てくれててな。あんたのところで聞いたって連中ばかりだよ。実におありがてえ話だ」

「いいのよ。お陰であたしはこうやってシオンのお世話できるんだもの! ねー?」

「ぶーっ!!」

「ほーら! そうだーそうだーって言ってるわよ? シオンも。ねー?」

「ぶーっ!!」

「おいおい……俺より話が合ってそうだぜ。ったく――」


 むふー! と鼻息荒く両手を挙げてガッツポーズするシオンを見て苦笑する銀次郎である。


「ああ! そうだった!」


 ぽん、と手を打ち鳴らしてシリルは言った。

 驚いたシオンが転げ落ちそうになっている。


「ギンジロー? スミルには会ったんだろ?」

「ああ、昨日な。……今日はまだ見てねえな」

「あの子は勉強熱心だからさ。この世界のこと、いろいろ教えてもらうといいよ。あたしらは料理のこと以外はからきしだからね。あの子は教え方も上手だし、頭もいいの。ね?」

「ね、って言われてもだな……スミルが良いってんなら良いんだが」

「あの子もあんたのこと、気に入ってるみたいだし。大丈夫、あたしからも言っておくわ」

「何から何まですまねえなぁ」

「……あとね?」


 そこで急にシリルは声をひそめてみせる。


「今朝がた、今日はフレイの日だ、って言っただろ? 夜は少しばかり荒れた客が来るかもしれないから、気をつけておくれよ? フレイの日、ってのは週の最後なのよ。それでさ」

「ふむ。そうか――」


 よくは分からないものの、銀次郎はもっともらしくうなずいてみせる。今の話から察するに、フレイの日、というのは元の世界で言う金曜日にあたるのだろうか。


「じゃあ、あたしは店に戻るから! またあとで!」

「おう! ゴードンにもよろしく伝えてくれ!」




 だが、この時の銀次郎は、まさかあんなことになるとまでは思ってもいなかったのである。



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