第十八話 スミルの場合(1)

「おい、スミル、遅刻だぞ! お前、今日がどういう日なのかちゃんと分かってるのか!?」

「ひゃっ! すすす済みません!」


 憮然ぶぜんとした顔付きをしたまま隊列の正面中央で仁王立ちをしている門番長にどやされて、スミルは走るスピードをなお上げた。なかば呆れ顔で居並ぶ他の門番たちが身じろぎをするようにわずかな隙間を空けてくれたのをこれ幸いと、スミルは細い身体を捻じ込むようにして隊列に加わった。


 ようやく揃った面々の浮かない顔付きを端から端まで睨み付けてから、門番長は腹の底から声を張り上げる。


「よし! ようやく揃ったな、ぼんくら共!」


 根は悪い人間ではないのだが、どうしたって口が悪いのがこの門番長である。

 ついでに言えば酒癖も悪い。


「お前たちも、今日がどういう日なのか分かってるな? 隣のアーセンから視察目的で役人連中がいらっしゃる。くれぐれも粗相そそうの無いように! 余計なことをしでかして、目を付けられたりしないように! 奴ら、つまらないことをほじくり返しては大騒ぎするのが大好きときてる。特に……スミル!」


 また始まった――スミル以外の門番たちは、御愛想混じりの引きった笑みを仕方なく浮かべた。恒例のスミルいびりの時間の始まりである。


「おい、スミル! 俺はお前さんに言ってるんだ! 分かってるのか?」

「は、はあ」


 スミルの細い顔にもまた、形ばかりの弱々しい微笑みが浮かんだ。


 こんなやりとりはもうすっかり慣れっこだ。それに、大事な集合時間に遅れてしまったのは事実なのだし、門番長もスミルが憎くて言ってる訳じゃないのだ、と、根が素直で気の弱いスミルはあまり腹を立てもしない。


「済みません」

「謝ったところでどうにもならんだろ、馬鹿者!」


 低くうなって眉間のしわを揉みほぐす。


「お前さんが一番の不安の種なんだよ! 全く!」

「はあ」


 やっぱり飛び出してきた気の抜けたような合槌に、門番長の心に兆したもやもやはいや増すばかりである。そうこうしているうちに、幾重にもうねる街道の向こうから、一台の豪奢な竜車の姿が徐々にせり上がってくるのが誰の目にも見えた。


「お、おい! 来なすったぞ!?」


 門番長はうわずった声でそう呟くと、部下たちの方を振り返り顎をしゃくるようにして今一度隊列を整えた。じれったい程長くて短い時間が過ぎた後、竜車はグレイルフォークの正門の前で歩みを止めた。


「どう――!」


 ぶふるるる。


 一仕事終えた二頭の竜が首を振りながら鼻息を吐くと、精緻できらびやかな意匠を施した車体のドアが、かちり、と小気味よい音と共に内側から開かれて、浮かない表情をした一人の痩せぎすの男が姿を現わした。


「ふー……こ――こほっ」


 長い金髪を油で撫でつけた身なりの整った瘦身の男は、わずかに眉を顰めるとハンカチで口元を押さえながらひとつ咳をした。まるで、ここは埃っぽい、とでも言いたげである。


「こ、これはこれは。ナルセン様」


 早速揉み手でもしそうな勢いで門番長が近寄ると、


「私は父ではない。ナルセンと呼びたまえ」


 ったく。


 はなからそう呼ぼうものなら、なおのこと不機嫌なつらぁ見せるくせによ――そう言いたいところを門番長は御愛想笑いの下に丁寧に押し込めた。


「でしたな。で、本日はどんなご用件で?」

「別に」


 だろうとも。

 ああ、そうでしょうともさ。


 毎度毎度『視察』という名目でこの小ナルセンという男――ナルセン・フルードルは、しばしば隣町のアーセンからこのグレイルフォークを訪れる。だが、取り立てて何かしらの用件があった試しがない。


 それすなわち、この『視察』をすることそのものが用件なのであって、貴族の子息として課せられた彼なりの役割であり、勤めなのであろう。だが、そのためにわざわざ呼び立てられ集められる門番たちにとってはいい迷惑である。


「王は息災かね?」

「ええ、お陰様で」


 大して気にも留めていないだろうに――そんなやりとりをする。これも毎度のことである。よっぽど気になるのなら、自分で謁見でも何でもしたらいいだろうに、と思わずにはいられない。日に一度、王様の姿を遠目から見かける程度の門番長に聞いたところでどうなるものでもない。


「変わったことは?」

「別にありゃしませんよ! こんな片田舎に」

「ま、だろうな。だろうとも」


 アーセンは、ここグレイルフォークと比較すると石造りの近代的な街並みが広がっている。当然、土埃などというものとは無縁だ。それを持ち出してやると少しは機嫌が良くなることを門番長は知っていた。


「それではいつものように一回りさせてもらおうか。付いてくるかね、ケ――門番長?」

「喜んで」


 こいつ……まだ俺の名前、覚えてやがらねえ。


 もう面倒臭くなってしまって、わざわざ自分から名乗り直す気にもならない。代わりに、肩越しに二人の門番にここに残るよう合図を送ると、残りの面々を引き連れて二頭の竜の前に隊列を作った。


「では、参りましょうか」

「どう――!」


 門番長の問いかけに応じるように御者ぎょしゃが鋭く声を張り上げ、竜車はゆるゆると動き出した。


「おい、スミル。そうびくつくなって」

「って言われてもさ」


 スミルは背中から門番仲間にからかわれ、情けない声を出した。


「すぐ後ろに竜が二頭もいるってだけで、落ち着かないんだよ……あれ、人は喰うのかな?」

「ばーか。あれが喰うのは草だけだって」

「そうだろうけど――」


 そう言ったスミルの背中が縮こまった途端、横合いに並んできた門番長に脇腹を肘で小突かれた。


「無駄口きいてる暇あったら、背筋をしゃんとして周りをよく見ろ!」

「す、済みません!」


 恨みがましそうにさっきまでの会話相手の門番仲間の方を盗み見ると、しれっとした何食わぬ顔付きで悠々と歩いている。そいつの方はおとがめなしだ。


 どうせ何も出てきやしないのに――と、スミルがそっと溜息を吐いたところで、


「お、おい!」


 もうその手は喰わないって。


「あれ……何だ? 何かが――!」


 さすがにスミルもそちらを見る。




 と――!



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