胡蝶の夢物語②

『世界五分前仮説』という思考実験がある。

哲学者の間では有名な思考実験であり、具体的な話としてはこんな話であった。


もし、儂等わしらの現実世界が全て、今から五分前に作られており、儂等の記憶も全て植えつけられたものであったとしても、今ここで生きている儂等には、否定する方法がない。


過去があるから現在がある。

記憶があるから今の自分がいる。

そのような考えを真っ向から否定されているような感覚に陥ってしまう思考実験であった。


そんな突拍子もない荒唐無稽な話。

いきなり誰かにそんな話をしたとして、笑って軽くあしらわれるのが大概たいがいの反応であろう。


普通の状態ならそうである。

しかし、現に今儂は、そのような世界五分前仮説の世界に身を置いてしまっているのであった。


ここで、この世界の規則の序文を再確認する。


『開催地は参加者が決まった五秒前に上位存在によって作られた仮想の日本』


『その仮想世界には現実のように生活する人間が一億人存在する』


これは、まさしく世界五分前仮説の世界ではないだろうか?

この世界は、それこそ今からほんの少し前に作られた世界であるのだ。

そして、この世界が出来てから作られた人間達も存在する。


もし、その人間達が、自我を持ち合わせていたとするならば、それ以前の記憶は全て、神の使いに植えつけられたものであろう。

その人間達に、この世界が五分前に作られたと伝えても、絶対に信じることはないであろう。


儂等参加者だけが、この世界が少し前に作られたのを知っている。

参加者達の記憶は、断言こそ出来ないが、その神の使いに植えつけられたものではない。


そうでなければ、恐らく知識を欲しているであろう神の使いは、この大会を開くことはないのだから。

しかし、そのような参加者達までもが、巻き込まれている可能性を考えなければならない思考実験というものも存在する。


それが、『水槽の中の脳』という思考実験である。


儂等が五感に触れている現実世界というものは、本当に実在しているものなのだろうか?

もしかしたら、水槽の中の脳に電極を繋ぎ、そこに映像を流しているだけではないのだろうか?


という思考実験。


ことこの世界の儂等参加者に至っては、『世界五分前仮説』以上に現実味を帯びてくる思考実験である。

そもそも、この世界自体に現実味がなさすぎるゆえ、参加者全員が脳に電極を繋ぎ、この戦場に来れるようになったと言われた方が、納得いくというものだ。


これも、有名な思考実験である故に、儂以外にもこの仮説に至った参加者がいるのかもしれない。

その参加者は、その時どのように行動するのであろうか。


空想の世界になげくのだろうか、世界を受け入れ順応してしまうのだろうか、それとも、そんな世界である可能性を好意的に受け入れ、


もしそのような結論に至ったのであれば、ルールを見せられた時点で、神の使いと交渉をし始めることだってありえる。

」と。


もし、他人の状況をのぞくために、そこまで交渉したがる参加者がいたとしたのならば、その人物は、自分がどうなったって構わない人間なのだろう。


この条件を飲ませる為に、自分が本質的に死なないように細工をしながら、わざと自分が脱落することを約束することだってありえてしまう。

この世界がそんな空想の世界ならば、早めに脱落し、閲覧する側に回った方が賢い選択とまで言えよう。


これは仮定に次ぐ仮定の話。

普通、脱落というのは死ぬということである。

まさかそんな考えを持ちながら、この戦場を早めに抜け出そうとしている参加者なんてものが本当にいるなんてことは、儂は思いたくもない。


『参加者が一人死亡しました。残り参加者は七人です』


参加者が脱落するアナウンス。

どうやら、この早い段階で誰かが死んでしまったらしい。


この早いタイミング。

本当に参加者が、『水槽の中の脳』の考えを実践している可能性というのは、儂の考えすぎなのだろうか。

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