『ドリーム・ライター』

小田舵木

『ドリーム・ライター』

 書いたつもりだった文章はPCの何処にも存在しないし、エディタは空白のままだった。

 

 俺はライティングデスクの前で頭を抱えて。まずいなあと思う。

 何故か?編集氏との約束まで後2時間しかないからだ。

 2時間。持ち時間としては決して多くない。

 タイピングするだけなら一時間も要らないが、推敲すいこうしながら書けと言われれば確実に倍の時間は欲しいのだ。そこに校正を足すと更に時間は伸びる。


 幸か不幸か、俺は主に原稿用紙10枚程度の短編書きだが。

 意外と短編は書くのに時間がかかる。

 ゼロから物語を立ち上げるのは案外に時間がかかる。長編なら続きを書けばよろしい。


 まったくこれだから春先はるさきは。

 春眠しゅんみん暁を覚えず…これが諸悪の根源である…爆睡してたのだ。この春の陽気にいざなわれ。

 その夢の中で―俺は書いていた。編集氏に渡すはずの文章を。出来はそこそこ。

 

 アレがあれば、今のようにうなっていない。

 さっさと提出して次の作業に移るだけなのに…

 

                    ◆


 だ…かく思う。

 キーボードに指をわせても、ピクリととも動く気配がない。

 ディスプレイ上のエディタには茫漠ぼうばくな空白が広がっており。それはまるで砂漠のようにも思え。

 

 素直に編集氏に謝るべきか?と俺は煙草を吸いながら考えるが。

 もうデッドラインを2、3ぶち切っていることを思い出す。

 今日日きょうびWEBで連載が行える時代であり、印刷所で云々うんぬんのプロセスはもうないのだ。


 そう。

 あと二時間で何とかでっち上げなくてはならない。

 しかし。

 全くネタは出ず終い。これはまずい。大してない俺の信用がガクッと落ちる…と言うか地べたに落ちて踏みにじられる絵が見え。

 

 微かな道を往く今の作家生活さっかせいかつ最大の危機。

 それがちょいとした昼寝で起きようとは夢にも思ってなかった。


 。その際はコーヒーを飲み、携帯のアラームをかけておく位の事はするのだが。



                  ◆


 変な夢だった。俺の夢はシチェーションを描くモノではなく…文章を描く、思考の夢だった。

 背景はおなじみのエディタで。黒い背景に白い字が踊る夢であり。夢の中では絶好調だったよなあ、と思う。

 しかし。全く内容を覚えていない。俺は夢日記が書けるクチではないのだ。


 夏目漱石なつめそうせきの『夢十夜』はまさしく夢日記なのだが、流石さすが文豪であり、イマジネーションの嵐な訳で。

 貧弱な駄文だぶん書きの俺が適うはずもない。日々の短編のネタにも事く男なのだ、俺は。

 

                  ◆


「すっぽこぺんぺんぽん…」間抜けな着信音が鳴り。

「はい太田おおだ」わざとらしく名乗れば。

原稿げんこう上がってる?」編集氏の声である。

 

「…夢で原稿げんこう書いたんですけどね?」まな板の上のこいである俺は即座に言い訳。

「書けてないわけね?」りんとした声が俺をなじり。

「…ネタ切れですよお」情に訴えてみ。

「なら、。代わりはいくらでも居る。君の枠の後ろに数十人が並んでる」剛腕で知られる彼女はいくらでも新人作家を抱えているのだ。

「んな後生な…」

「後生もクソもあるか。こっちは商売してねんぞ?」似非エセ関西弁は止めて頂きたく。

「分かってる」

「…デッドラインを超えまくる君がそこを意識しているとは思えない」

「物書きは繊細なの」

「どのクチが言う?」

「…済みません」

「この通話が最後通告。上げてよね?」

「やってはみるが―俺の後ろのヤツの代理原稿だいりげんこうも用意しといてくれ」であり。

「了解」これで通話は切れ。

 

                  ◆


 通話を切った俺は家の中を歩き回る。こういうネタが出ない時は体を動かすに限る。

 歩む脚。それに反して推敲すいこう一切いっさい進まず。

 こういう時は―寝るに限るんだが。時間は2時間を切り、一切の余裕がなく。

 渋々しぶしぶライティングデスクに向かい、椅子に腰掛け、PCのスリープを解除し。 

 

 『Untitled―1』ウィンドウに表示されたその文字は呪いの一部だ。

 その下には黒一色の世界が広がり、文字数カウンタはゼロを示す。


 はてさて。一応枚数に制限はもうけられていないのだが。

 文章というのは短くなればなるほど難易度が増すものだ。

 かと言って。今から物語を起動させれるか?―ノーであり。

 

 こうなると。

 

 だけど。

 夢というのは日々の記憶の強化を補助するため、再生を行うと聞いた事がある―即ち、昨日書いた作品をなぞっていただけなのではないか?

 いや。

 そうじゃなかったはずで。全く記憶に無い事を書いていたような気がするのだが。

 

                  ◆

 

 夢ははかない。

 微睡まどろむ俺の脳に一瞬あった虚像であり、そこにリアリティはない…はずなのだが。

 俺はそいつを現実に引張ひっぱりこむ必要があり。


 一番簡単なのは寝ることなんだけどなあ。それが許されない現状、如何いかにすべきか―


 んな訳で。PCの前の椅子に座禅する俺が居り。

 それははたからみたら寝ているように見えるだろうな、とも思い。


「夢よカムバック!!」とつぶやく俺は滑稽である。しかし、そこには確かな祈りがある。

 

                  ◆


 

 まったく思い出せやしない。それが夢の本質かも知れず。

 一応、代理原稿だいりげんこうを頼んでいるので、落ちたところで問題ない。そもが新人短編たんぺん書きの紹介コーナーであり。俺が毎度まいど原稿を出す必要もない。

 

 そう。諦めは如何様いかようにもつくのだ。

 もし、作家である程度の収入を得たとして―何時までそれが続くのか?

 確実にすぐ終わる。今の連載だってネタが尽きかけているのだから。


 書き始めて3年で掴んだチャンス。それを不意にする。

 そこに悔しさはないのか?

 ない、と言い切れるほど俺はクールでもなく。

 しかし、そこにぶら下がるガッツもない。

 

 

 ただ、眼の前にある現実をルーティンしていけば、いつかは死ねる。

 それが我慢できなくて挑戦したのではなかったか?

 かく問われれば。そうなのだが。

 。いつかは目覚めるモノであり。

 積んでも積んでも終わりの見えないさいの河原に似るのだ。

 書いても書いても…読者はつかず。最初の内は自分でも自信のあるい作品を書けてはいたが、最近は書き飛ばす事も増えており。

 

 。俺はそこで辟易へきえきしていて。

 だからこその現状なのかも知れず。

 

                  ◆


 夢を殺すを見た。

 俺は―を絞め殺そうとしていて。

 あふれる吐息といきが俺の手にかかり。それは酷く熱く。

 首を締める感触が嫌にリアルで。俺の手のなかでの筋肉はうごめいて。

 ある一瞬を超えれば―彼は息絶えて。

 

                  ◆

 

 目覚めれば。俺はPCのディスプレイに向かっており。

 猛烈にタイピングをし始め―30分で書き上げて。残りの一時間を校正にかけて、アップローダーにぶち込んで―


                  ◆

 

 と、目覚めれば。

 俺はまだ1字も書いてないディスプレイの前に居り。

 やっぱ、夢じゃんよ、と思いながらキーボードを叩くのだが―1字も進まない。

 ただひたすらにキーボードを叩く俺、1字も入力されない小説―

 それはまさしく地獄の有様であり。

「コイツも夢だな」と俺はつぶやき―

 

                  ◆


 素っぱだかで街を徘徊している俺。何故かそこに羞恥しゅうちを感じない。

 ああ、夢だなと思いながら股間をブラブラさせながら歩いて。

 視野の外から走ってきた車に引かれ、俺は死ぬ―

 

                  ◆

 

 つらなる夢。そこに俺が居るのを感じ。そこでもがいて見るも。

 その行為こうい自体が夢であり。そこには現実はなく。

「こんな夢を見てるって事は原稿落としたよな」と冷静に考え。

「ああ。これで作家という夢は終わったな」と思い。

「いい加減かげん起きても良いぜ?」と自分に語りかけるのだが。一向に夢はめず。


 

 


 そう。駄文だぶん書きの俺が作家になってる訳がなく。

「そういや俺は下らないWEB物書きな気がしてきたぞ?」

「そもそも―ペンネームは太田おおだじゃない」

小田おだであり。要するに。この一連の流れそのものが夢では?」

 

 浮上する。都合のいい夢を見ていた俺。そこにるのは虚しさで。

 いい加減目覚めたくあるのだが。一向に目覚める気配はなく。

 気合を入れてみるのだが。

 この空間にとらわれた俺は全く動けず。ただ揺蕩たゆたうだけ。


 

  

                  ◆

 

 遠い次元の先に俺は居り。夢から目覚めることを願う。

 こんな現実は要らないぜ?

 作家になって原稿を書いている。まさしく夢じゃないか。

 俺は太田おおだなんて作家ではなく、タダの小田舵木おだかじきなはずなのに。

 膨れ上がる現実の束の中、無数に分岐する宇宙の中に―太田おおだである世界が在り。

 俺は書こうともがいているのだが。

 書けはしないといく現実に阻まれて。そこから未来が収束していく。

 そうやって俺は夢を潰して。そこに悲しさを感じはするのだけど。

 

 どうすれば。

 書ける並行宇宙へジャンプ出来るのか?

 夢のような平行世界では書ける俺で在りたいのだが。

 そこには袋小路が存在し。何処にもいけない俺が居り。

 

 このまま―?俺は悩むのだ。

 

 そう、

 太田くんは書けない事に絶望して―自ら命を終えるのだ。つまらない自分の夢と共に死ぬ。

 それが必然のように思えたが。虚しくなってきたのだ。

 そういう自己破壊願望じこはかいがんぼうめいたところが俺にはあり。

 それは自殺へ向かう歯車の1つなのであるが。

 どっこい。ナルシズムはキチンと生きており。

 。そして、

 

 ああ。のだ。

 だが同時に

 こういうディレンマは―ある種の病気である。

 

                    ◆

 

 …とまあ。こういう夢の中に俺は囚われているのだ。

 それを文章にして作品にしてしまおうと思った訳だが。

 これは中々に難しいぜ―


「という原稿を書いたが如何いかが?」俺はチャットシステムの向こうの編集氏に問い。

「ボツ」と言う返事を頂き、これはまずい、別の原稿を用意しなくては、とPCに向かい。

 空っぽのエディタを眺めて絶望し。

 諦めてベッドに向かい、ふて寝をしてみ。

 そこから。新しい文章を探し求め。

 こうして

 

 

 なんて言えば、この無様な執筆生活にハクがつくだろうか?

 

 

                   ◆


 という夢を見て目覚めた俺が書いた作品は以上です。

 我ながら―鬱陶うっとうしい文章になったよな。

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