第14話 国崩しの孫娘
「私がまず違和感を感じたのは、エブローテが豊かな土地ではないと思われていることでした」
大きな円卓を囲った人々の前で、アルチェはそう話し始める。
「というのも、植生や土壌に差異はあれ、カルセンテ公国のエルパルドなどに地理的条件が近しいからです。ご存知の通り、あの地は大変豊かな場所として知られております。ここも適切なものさえ選べば、本来は実り多き地なのです。ですが来てみれば、育ちはするが適してはいないものをわざわざ選別したとしか思えない……どこか不自然な状態でした。先代様の代で手を入れた部分だけが、この地に適していたんです」
監査官たちの方を見て、アルチェは続けた。
「そして市場を訪ねた際に、女神ロティナリーの話を聞きました。作物が育ちにくいこの土地に黒麦などを伝えたその女神は、伝統を破ると災いを起こすということでした。新たな作物を嫌い、領地改革をすれば領主やその家族に病や死が襲いかかり、またレグピオン山の洞窟も大昔に女神が怒ったことであのようになった、という
そこでひと息つき、今度は領内のまとめ役たちの方に視線を移す。
「ただ、私が実際に山に入って確認したところ、そもそもレグピオン山は死の鉱脈筋などではありませんでした。本物のジャルト鉱脈を見た人に以前話を聞いたのですが、明らかに周辺の植生が違うんです。今あの山に生えている草花は、ジャルト鉱の近くで生きられるものではありません」
「ちょっと待ってくれ。そうは言っても、あの洞窟には確かにジャルト鉱が群生しているぞ?私も実際に見たことがある」
と、警吏院長が疑問の声を上げた。
「仰る通りです。間違いなく存在していますが、あの鉱石は洞窟内で育ったものではありません。移植されたものです」
「……移植?」
彼は唖然とした顔で呟く。
「はい。鉱石を気をつけて見れば、接着した痕跡が確かにありました。しかし持ってきたところでジャルト鉱に適した土地ではないので、非活性状態になります。そうなると内部に蓄えられた毒は少しずつ発散していき、経年と共に無毒化が進む白化現象が起きます」
アルチェは簡略な洞窟の図を机に置き、指差して説明する。
「入口あたりは定期的に移植作業が行われていたようで、毒性が強いものばかりですが……危険性が認知されるにつれて人も近寄らなくなったので、手前側だけの再移植になっていったのだと思います。……ちなみにこの辺りから最奥部のものは、このようになっていました」
防毒手袋をして、袋から出した真っ白な結晶を机に置く。
「ほぼ無毒だとは思いますが、念の為素手では触れないでください。現場には山守りのヴァスティンさんと共に行きましたので、洞窟内の状況については彼が証人になります」
「中は本当にそのように?」
監査官の問いかけに、ヴァスティンは緊張しつつもはっきりと頷いた。
「はい、奥に行くにつれて色が薄くなっていき、一番奥のあたりは白くなっていました」
面々は手袋越しに白い鉱石を持ったり、興味深げな目で見つめている。
「だが、なぜ毒の石を移植など……」
そう呟いたまとめ役の一人が、ハッとしたように付け足した。
「そうか……それがさっき言っていた水に繋がるのか」
「その通りでございます」
「この地を潤す水は、そもそもジャルト鉱に汚染されていません。むしろ、浄水を
あらかじめ配っておいた水質検査結果に、全員が視線を落とす。
「今回問題があったのは、二つの館がある北一区と、新しい作物の導入試験が行われていた畑で使用していた水です。すでに定着しているテテ麦などは今さら枯らすと不自然になりますので、あくまで新しいものを狙ったと考えられます」
「……浄水管理局から公開されている定期水質検査の結果も、詐称されていたということか?」
管理局全てに容疑がかかるのかという上等警吏の疑問に、アルチェは首を振った。
「いえ、検査対象ではないですものですから、検査薬に引っかからないのは当然です。そもそも検査の目的は、ジャルト鉱の無毒化の確認……検査を担当する一般局員たちは恐らく無関係かと」
「なるほど」
「先ほど問題、という言い方をしたのは、正確にはいわゆる毒薬ではないからです。特別な状況下でのみ、毒として威力を発揮するものになります。……そしてこちらが、それぞれの濾過器から回収した内部フィルターです」
アルチェが頷くと、グラムスが大きな三枚のフィルターを運んできた。
「こちらが通常のもの、こちらが北一区、こちらが新規作物のものです。ご覧の通り見た目の差異はほぼありません。こちらの鑑別を、帝都スガルクの業者にお願いしました。その報告書がこちらになります」
この地の納入業者は恐らく黒であるため、リフィーの
「結果として、三枚のフィルターは全て別のものでした。通常のものは、ごく一般的な濾過機能のもの……つまりジャルト鉱の毒を除去できる特注品ではありません。畑のものには、育成中の作物が苦手とする植物の濃縮液が染み出すようになっていました」
「……枯らすためにか」
領内のまとめ役の一人が、
「はい。記録によれば、テテ麦やアルラ草なども過去の試験栽培時には失敗しています。その時も恐らく作物に合わない何かを流して、意図的に枯らしたのだろうと思われます」
アルチェは管理局の二人を見つめながら続けた。
「各所の濾過器を解錠する鍵は、鍵部屋で厳重に保管されています。その部屋に入るには、水主と副局長だけが持つ鍵が必要です。一般局員が検査時に持ち出す際は、必ず持ち出し記録をつけるそうです。……そして、もうひとつ気になる点として、執務室に保管されていた先代様の業務日誌が、一部盗難に遭った可能性があります。亡くなる前ひと月分ほどが見当たらないそうです」
「……領主様の館に入れる人間は、限られているな。執務室であればなおのこと」
ぽつりと警吏院長が呟く。
「私の記憶にある限り、館内に副局長様をお通ししたことは一度もありません」
グラムスがそう付け加えた。
「確かに僕は水主として、執務室にお邪魔したことは何度もありますけどね……外部の人間に忍び込ませるという手もあるのでは?」
ルギオンがそう発言する。
「もちろんその可能性を否定するつもりはありません」
その通りであるため、アルチェも同意した。
「あの……その前に、ひとついいでしょうか?フィルターに問題があったとして、濾過器を通った水は館の使用人たちも飲んでいたのでしょう?その中で領主様方だけに影響が出るというのは、少し不思議なように思うのですが」
まとめ役の一人が上げた疑問の声に頷いて、アルチェはあらかじめ借り受けていた祝福の杯を彼らの前に出す。
「それには、我々エブローティノに古くから伝わるしきたりが関係します。初心を忘れないという意味を込め、食事時に水を飲む際には、皆その特別製の杯を使用していました。彼女の進言に従い杯の使用をやめたところ、体調を悪くしていた甥の具合が良くなりつつあります。ニレナ様は……間に合いませんでしたが」
説明したリフィーの言葉を引き取り、アルチェは再び口を開く。
「北一区のフィルターには、この杯に使用されているイルス銀と反応すると微毒をもつようになるものが仕込まれていました。微毒といえども、その摂取が続けばいずれ臓器がやられて死に至るような代物です。領主やその家族が死亡したという伝承に、少なからず関わっていたと思われます。そして話を元に戻しますが……業務日誌には、持ち去った人間にとって何か不都合なことが記されていたと考えられます」
アルチェはそっと、赤い本を机に置いた。
「こちらは先代様の日記です」
ルギオンが眉根を寄せるのを横目に、該当するページを開いて人々に見せる。
「失われた日誌にも、恐らく同様のことが記載されていたのだと思いますが……亡くなる前日、何かに気づいた先代様は、一部とはいえ濾過器を停止させる要請を伝えたとあります……相手は記されていませんが、このような重大事項を伝えるとしたら、裁量権をもつ人間に他ならないでしょう。そしてこの地においてその決定権を持つのは、水主ただ一人です。聞いて回った限り、そのような通達は副局長含めて局内の誰にも伝わっていませんでした」
人々は厳しい表情で日記帳の文字を追っていた。
「呼び出して故意に殺したのか、何か言い争った上での事故なのか、あるいは体調不良が進んでいた先代様が偶然急死されたのかはわかりません……ですが彼が泉に浮いていたのは、ロティナリー女神の伝承を想起させるためだと思います。新しい作物を害そうとしたのも同様です」
重い沈黙が、場に満ちる。
「……そんなことをしたのは……追い出されてしまったリフィーリア様を、思うあまりにですか?」
副局長がルギオンを見つめてぽつりと呟いた。彼のリフィーへの接し方を目にしていたからこそ、出た言葉だろう。しかしアルチェは首を振り、きっぱり告げる。
「いいえ。……ルギオンさんが先代様を排除した目的は、確かにリフィー様の爵位継承だったのだろうとは思います。ですがその動機は恐らく、好意やエブローティノへの忠義などではありません。自分に優しいリフィー様の方が都合が良かったからです」
アルチェの『ルギオンから何かしらの忠告を受けたか?』という問いかけに『それはなかった』とリフィーは首を振った。アルチェは考えた末に、なんの警告も与えず、そして害する切り札を迷わず残している彼を、リフィーの側に置くわけにはいかないと判断したのだ。だからこのような告発の形をとった。
「〝
古くから各国を
「そうです。この
趣味の悪い冗談などではないと、彼らを真っ直ぐに見つめ返す。
「水主は、これまで言われていたような領主の盟友ではありません。管理者、あるいは看守、そして搾取する者です。彼らの意に沿わなければ介入を行い、女神の怒りを恐れて行動を改めればよし……そうでなければ始末する。組織のために、代々そういう役割を担っていた者たちなのです」
静まり返った部屋に、アルチェの声が淡々と響く。
「女神の伝承がそのために作られたのか、元々あったものを利用したのかはわかりません。あまりに栄えて人の出入りが多くなれば管理もしにくくなりますし、不都合なことに気づいたり、反抗する者も出てくるかもしれません。ですので、このように調整したのだと思います。ジャルト毒対応のものと通常機能のものでは値段が大きく違いますので、その差額を利用し、組織の財源として継続的な搾取を目的としていたのでしょう」
そもそもエブローティノが
「水主、ルギオン・ハインダー。調査人の報告に異議はありますか?」
立ち上がった監査官が重々しく言い、彼を見る。
「……仮にあったとして、聞くつもりがあるのですか?大きな裁量権を持つ上位の監査官が、このような地方に派遣されてきた理由はひとつだけでしょう。どうあっても僕を連れて行くつもりでしょうに」
ルギオンは皮肉げに笑った。その視線がアルチェに向き、
「やれやれ……あの時に邪魔さえ入らなければね」
そう苦笑する。
「……天井を私に寄越したのは、やっぱりあなたでしたか」
「天井とはなんだ、アルチェ」
眉根を寄せたリフィーに答えたのは、アルチェではなくルギオン自身だ。
「君のようなものを遺跡を崩して始末するなんて、なかなかいい演出じゃないかと思ったんだけどね」
「なっ……」
暗に殺そうとしていたという発言に、リフィーが絶句している。
「まぁ結局は、余計な邪魔が入ったんだよ。さすがは悪運が強いことだ。見つけ次第、即刻駆除すべし。我が神の尊い教えが守れないとは、僕もまだまだだった」
「……言っておきますが、私はあなたが思っているものではありませんよ」
アルチェがそう眉根を寄せると、彼は小馬鹿にしたように笑った。
「君の意思など関係ないさ。その特徴を継ぎ、教えを受けた。そして今、僕の前にこうして立ちはだかっている。ならば君は、我々が築くものを破壊する害虫に他ならない。……知っているよ?君の祖父殿は、それはそれは立派な大害虫だったそうじゃないか。あの国も餌食にするつもりかと思いきや、思いのほか座り心地がよかったのかな?最後までご立派な椅子に座ったままだったのは意外だったね」
「……」
二人は黙ったまま、鋭い視線で互いを見据える。
「……あなたが忠誠を誓ったものは、その立派な大害虫とやらのせいで壊滅したんですよ。ご存じないんですか?」
「もちろん知っているよ」
「ならばあなたが従うべきものなど、もう何もありません。消えたものにいつまでしがみついているおつもりですか」
「君にはわからないだろうけどね。我が神も我らが使徒も不滅だ。組織の減退など、ほんの一時的なものに過ぎない。我々が世界の
ルギオンはそう言い放った。
「だから手を下されて当然だと?盟約など、片腹痛いですね。ここにあったのは、ただの強引な搾取と抑圧に過ぎません」
反論したアルチェに、彼はにこりと微笑む。
「そもそもの前提が間違っているんだよ、アルチェ。世界はもともと我が神のものだ」
「……先代の水主は、あなたと同じ意見ではなかったようですけど」
少なくとも、黙認期間があったはずだった。そうでなければ推奨作物のお触れを出し、テテ麦などを次々に導入した時点で、先代領主は殺されていただろう。
「そうだね。僕の父は、元々我が神への忠誠心が薄かったからね。組織の壊滅を聞いて、もうやめようとしていたよ。正真正銘、この地の人間になろうって。だから盟約が破られるのを黙認していた。まぁそのせいか先代ご当人は盟約の存在に、なかなかお気づきにならなかったけどね。その点は先々代の方が、考える頭があったんだろう。リフィーのお父上はかなり早いうちに気づいて、方向転換したらしいよ。家族を死なせたり領民に苦労を強いるよりは、って思ったんだろうね」
リフィーの父親が治めていた頃はまだ、
「では帝都にて、あなたの神についてたっぷりとお聞かせいただくことにしましょう」
これ以上様子を見ても平行線だと判断したのか、監査官が部下に命じてルギオンを拘束させた。リフィーとアルチェとグラムスは、彼らを見送りに外までついていく。
「では、またご連絡を差し上げますので」
リフィーにそう頭を下げた監査官は、部下たちと共に玄関前の階段をおりていった。
「……」
遠ざかっていくルギオンの背に、彼女がふいに声をかける。
「ルギオン、叔父の業務日誌の最後の部分はどうした?焼いてしまったのでなければ返してくれ」
「……なぜだい?君を追い出した奴の記録なんかいらないだろう?」
振り返った彼は、そう静かに問い返す。
「必要だ。彼は私を望んで追い出したわけではなかったし……私はその意志を継いで、この地を治めていくつもりだから」
束の間見つめ合った二人の間に何が行き交ったのかは、アルチェには正直わからない。リフィーに下手に情を残されることを危惧したため、好意ではなく打算だと言い切ったが、彼の動機が本当にそれだけだったのかも。
「……僕の机、五段目の引き出しの中」
それだけ言い残して、ルギオンは去っていった。
「……」
そう、アルチェがどんなに想像したところで、誰かの気持ちを完璧に推しはかることなどできやしない。さっさと焼き捨ててしまう方が安全だったろうに、危険を冒してまでそれを残していた、彼の気持ちは。
三人が黙って立ち尽くす中を、強く風が吹き抜けていく。
「……大丈夫?」
アルチェはリフィーを見上げて、そっと聞いた。
「大丈夫だとも。礼を言わせてくれ、アルチェ。君がいなければこの地の呪縛は解けないまま、いずれは私の身も危うくなっていただろう。本当にありがとう」
彼女はたぶん、アルチェがルギオンのことを聞いたとわかっていて、あえてそのことには触れなかった。きっと気持ちの整理がつききるまで、まだしばらくかかるだろう。
それでもその持ち前の快活さで、いつかは乗り越えていってくれると信じることだけが、今やアルチェにできる唯一のことだった。
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