第13話 領主の覚悟

 グラムスから聞いた医者の見立てでは、ニレナはもってあと数時間だろう、ということだった。


 リフィーは扉の前で大きく息をつき、それから柔らかくノックをして中に入る。


「ごめんなさいね、お仕事中に呼びつけてしまって。少しお話しがしたかったものだから」


 寝台の上で上体を起こしたニレナは、眼前に迫る死を既に受け入れているようで、とても静かな目をしていた。


「リフィーさん、あの時は本当に申し訳ありませんでした。あなたにあんなものを向けるなんて、わたくしどうかしていたわ」


 彼女はそう謝罪をすると、深々と頭を下げる。体裁至上主義で、謝ったら負け、というような空気感のあるルギオラ貴族において、それはかなり稀なことだった。


「いえ、思わぬ災難ばかり起これば混乱するものです。大切な夫と娘さんを亡くして、その上病の身ともなれば、苦悩は計り知れませんから」


 驚きつつ首を振ったリフィーの言葉に、ニレナは唇の端に微かに笑みを浮かべる。


「わたくしもまさかこんな風に、大切な夫、になるなんて思いもしなかったわ。結婚したばかりの頃はね。……家のための選択、家のための振る舞い、家のための結婚……伯爵令嬢なんてつまらない身分に生まれつくなんて、本当に運がないわって思っていたのよ」


 やつれこそすれ、まさしく貴族という雰囲気の人だったから、そんなことを言われるとは意外だった。


「笑われてしまうかもしれないけれど……わたくしね、ここに嫁いで来てあの人を見て……ようやく自分がただただ文句しか言ってなかったことに気づいたの。与えられたものを着て、与えられたものを食べて、与えられた部屋で過ごして、その与えられたものが気に入らないって不平不満を言いながら生きてきたのよ?そのくせ自分ではなにもしようとはせずにね。今思うと、我ながら信じがたいわ」


 ニレナは苦笑する。


「でもここに来て、ディフィーの生き方を間近で見るうちに……あの人と一緒に、ささやかではあっても自分にできることをして、ここで生き直そうって思えたの」


 彼女は窓越しに揺れる梢をしばらく見つめ、それからリフィーに向き直った。


「追い出されたと思ったら呼び戻されて……散々振り回されたあなたには、本当に申し訳ないことで……許してほしいなんて、とても言えないけれど……それでもあの人はずっと、あなたのことを気にかけていたの。どうかそれだけは知っておいてほしくて」


 思いが綴られた端正な文字が、リフィーの脳裏に蘇る。


「……知っています。あの人が、私も含めてどれだけ人々のことを思っていたか……どれだけ自分のすべてを、この地の人々の笑顔のために注いでいたか……きっと今は、誰よりも私が一番わかっていると思います。私はが築いてくれたものを、ひとつだって無駄にする気はありません。その意志はこの先も、私とテルゾイで継いでいきます」


 リフィーが真っ直ぐに告げると、ニレナは花のつぼみがほころぶように微笑んだ。


「ありがとう。どうかあの子を……よろしくお願いします」


 母の顔をした彼女は、再び深々と頭を下げる。もっと早くに腹を割って言葉を交わしていれば、また二人の関係性は違うものになっていたかもしれないと、リフィーは内心悔やんでいた。それでも、すれ違ったまま終わりにならなかったことだけは救いかもしれない。


「家族と思う叔父の家族なら、彼ももう私の家族です。心配は無用ですよ」


 最期に残された時間は、ここ数日でいくらか元気になってきたテルゾイ少年と二人きりで過ごせるように計らって、リフィーはニレナの部屋を後にした。











 それから一時間ほどして、ニレナが亡くなったという知らせが入ってきた。


「……ごめん、もう少し早くに気づけていれば」


 黒いリボンを襟元に結びながら、アルチェが呟く。


「いや、君が謝ることじゃない。そもそもアルチェがいなければ、私はなにが起こっているのか気づくこともできないまま、テルゾイまで失っていただろう。……グラムスは保管棚の鍵を紛失したと言っていたが……祝福の杯を使うのをやめさせたのも、このところ頻繁に果実を絞った飲み物を私たちに出させていたのも、君なんだろう?」


 アルチェは小さく頷いた。


「あの果物はね、毒素の排出を促すんだ。リフィーはここに戻ってきてまだ日が浅いから、さほど影響はないと思うけど……それでも、用心してしばらくはできるだけ摂るようにして。実をそのまま食べるとかなり苦味がきついから、砂糖とか蜂蜜を入れてジュースにしてね」


 彼女はしばらく黙った後、リフィーの問うような目に答えて話し始める。


「単体同士では害がなくても……合わせ技で毒になるものがあるんだよね。イルス銀自体がかなり珍しいものだから、あまり知られていないけれど」


 微かにため息のような音をもらしてから、アルチェは続けた。


「いきなり死ぬようなものじゃなくて微毒だけど、蓄積していくと内臓とかがやられていずれ死に至る。耐性って、人によって結構差があるんだ。二人とも体調がかなり悪くなっていたから、大元の方もできれば断ちたくてあんなお願いをしたけど……ニレナ様はもう手遅れになってた」


 すまなそうに彼女は呟く。


「テルゾイ様の方は杯をやめた時から良くなってきてるから、このまま毒の排出を進めれば元気になると思うんだけどね」


 満ちた沈黙の中で、リフィーは大きく息を吸った。


「……アルチェ、頼みがあるんだ」


 彼女に向き合い意を決して口を開く。


「どうかあばいてくれ。わかっていること、すべてを」


 日記によれば、その死の前日に、ディフィゾイは濾過器の一部を停止させる要請を出していた。そしてアルチェも「すべてが難しければ、まずこの北区のものだけで構わないから」と、濾過器の内部フィルターを取り外す許可をリフィーに求めたのだ。


 目を疑うほどに瓶だらけになっていた客間の中で、彼女はなぜそうする必要があるのかを淡々と説明した。そして深夜、本来であれば浄水管理局で厳重に管理されているはずの鍵を持ってやって来た男と共に、そのフィルターを外したのである。


 アルチェは嘆願する時に、


『浄水管理局の人には、今はまだ絶対に知られないようにしたい』


 と口にしていた。それが意味するところはひとつだけだ。


「私は領主としても、ただのリフィーリアとしても、この地に住む者の笑顔を増やすためなら、叔父同様になんだってするつもりでいる。ただ、この不可解な状況をこのままにしておけば、本来芽が出るはずのものさえ芽吹くことができないような気がするんだ……我が領民たちを不条理にむしばむものを、見過ごすようなことはしたくない」


 彼女はしばらく黙った後、真っ直ぐにリフィーの目を見返す。


「それを知ることで、厄介なものと相対することになったり……あなたが大切に思う者を……側に置けなくなるとしても?」


 リフィーは腹に力を込め、そして言い切った。


「それでも、だ」


 幾度かまばたきをしてから、アルチェは頷く。


「……わかった。全て崩すよ。この地の枷になるものは」


 用意をする、と部屋から出ていきかけた彼女がふいに足を止め「リフィー、最後にひとつだけ教えて」と言って問いかけてきた。


 その質問に「それはなかった」と首を振ってから、リフィー自身もまた準備を始める。長くこの地を縛りつけていたものから、自由になるために。



 * * * * *



 場にはどこか重々しい空気が満ちていた。


 部屋にいるのは、要請に応じて帝都から派遣されてきた監査官とその部下が三人、領属の警吏院の院長と上等警吏が一人、浄水管理局の水主と副局長、領内のまとめ役が三人、それからリフィー、アルチェ、山守りのヴァスティン、そして執事のグラムスだ。


 混乱を避けるため情報を開示する先は限定せざるを得ず、最低限の者だけを呼んでいる。先ほどまで茶を出して回っていたメイドたちはすでに下がり、いよいよ告発は始まろうとしていた。


「本日の議題は〝先代領主一家三名の死亡における不審点について〟です。では調査人、報告を始めてください」


 王の名の下に場を取り仕切る監査官がそううながし、アルチェが立ち上がるとにわかに場がざわめいた。調査を行った者が、まだ少女であることに驚いているのだろう。


 人々の反応にたじろぐことなく、彼女は堂々と彼らを見返して口を開いた。


「皆様、お初にお目にかかります。この度領主様より命を受け調査を行いました、アルチェ・ヴィンスカーと申します。どうぞ、以後お見知りおきを。ではさっそくですが、結論から申し上げます。先代領主ディフィゾイ様、その妻ニレナ様、そして息女のオルーナ様の立て続く死は、事故や遺伝及び流行性の病によるものではなく、意図的な弑逆しいぎゃくであることを、ご報告申し上げます」


 朗々とした少女の声は、さらに告げる。


「そしてそれに深く関わるものとして、長くジャルト鉱脈の影響下にあると言われていた当地域ですが……それが周到に仕組まれた虚偽であることを、重ねてご報告申し上げます」


 さすがに監査員は表情を動かさなかったが、他の人々はどよめいた。それはそうだろう。それが遥か昔からの、彼らの当たり前だったのだから。


「この地の水には、本来毒などありません。人の営みに必須であるものを制御下に置き、思うように管理する力を得るために、全ては古くから仕組まれていたことです。そうでしょう?ルギオンさん。いえ……女神ロティナリーとでもお呼びした方がよろしいですかね?」


 夕焼け色の鮮烈な双眸が、言いようもなく鋭い光をたたえて水主を見据えていた。

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