第12話 ディフィゾイの日記

 リフィーは今、執務室の棚の書類を片端から引っ張り出していた。


 ——————違う、これじゃない……これも違う……


 なぜなら叔父が残した日誌の、最後の部分が見当たらなかったからだ。手元にある最終ページは、彼の死のひと月ほど前の日付になっている。あれだけ日々丹念に記録をつけていた人間が、突然書かなくなったとは考えにくい。しかし部屋中の書類を全て確認して回っても、それはどこにもなかった。


 ——————……誰かに持ち去られたのか……


 もしそれが、人目に触れさせたくないが記されていたからだとしたら、すでに処分されてしまっているかもしれない。


 焦燥感で胸の奥がじりじりと焼ける中、昨日の出来事が思い返される。


、お願いがございます。わたくしはこの地でたびたび起こる、理不尽な死を取り去りたいと考えております。危急であるのは先代様のご家族ですが、いずれは貴方様ご自身にも関わる可能性のあることです。いまだ証拠と呼べるものは多くはなく、不確実であることも承知の上で、どうかお聞き届けいただきたい』


 まるで臣下が王に忠言を伝えるように頭を下げ、アルチェが頼んできたことがあった。夕刻話した時には確かに迷いが見えた彼女が、何かの覚悟を決めたことが伝わってきたため、リフィーはとるもとりあえず頷いたのだ。


 そうして深夜、嘆願されたことに同行して気づいた。アルチェの行動から導き出されることの意味と、その可能性に。彼女がどうしてあのような結論に至ったのかは、リフィーにはまだわからない。


 なぜなら怖気づいて、聞かなかったからだ。もちろんその場に見知らぬ男がいた、ということもある。だが、そんなものは言い訳に過ぎないと、自分自身がよくわかっていた。


 今こうして情報源になりそうな日誌を探している最中も、確かめたいという気持ちと、確かめて事態が決定的になることへの恐れがせめぎ合っている。知りたいという思いと、知りたくないという思いの狭間はざまで、リフィーは揺れていた。


 ——————あのような少女が覚悟を決めているというのに……鍛え上げた上等騎士としての矜持きょうじはどうしたのだ、リフィーリア・エブローティノ……!


 己を叱咤しったしたリフィーは、ふいにハッとして床に膝をつく。


「……そうだ、日記」


 リフィーは剥ぎ取るような勢いで絨毯をめくり、隠し収納から日記帳を引っ張り出した。個人的なものを覗き見るのは気がとがめたが、今は背に腹はかえられない。


 几帳面な叔父であるから、恐らく最初は時系列順に並んでいたのだろう。しかしアルチェと一緒に確認して戻した時に、適当な順に重ね変えてしまっていた。


 日付を確認しようと開いた一冊は、彼が爵位に就くずっと前のものだ。リフィーも館にいて、まだ父テルフィゾイが生きていた頃。目を引いたのは、〝あれだけ長年一緒に練ってきた領地計画を、「現実的ではなかったのだ」というひと言で片付けられてしまった〟という悲しげな一文だった。


 ——————お父様も元々は、叔父様のように色々取り入れるつもりだったのか……?


 読み進めていけば、その後も叔父は度々、兄が心変わりしたことにいきどおっていた。どんなに忠言を繰り返しても、リフィーの父はかたくなに拒んだらしい。誠心誠意の思いが一向に受け入れられないことを嘆き、文字は悲しげに荒れていた。


 どんどん文面を追い、そして次の一冊を読み始めてすぐに、リフィーは衝撃的なものを目にして手を止めた。


 ——————お父様が私を領地から出すように言った……?


 病床にあった父テルフィゾイと、「もし爵位を求めるつもりがあるのなら、その時はリフィーを絶対に領内から出す」旨の約束をした、という記述があったのだ。


 ——————私が邪魔で追い出したわけじゃなくて、お父様との約束だったから追い出したのか……?でも、お父様はなぜそんなことを……領地経営への心変わりとも、何か関係が……


 そしてリフィーがエブローテを出た後は、領地のことや新しい技術のことなどに混ざって、時折リフィーの情報が記されるようになった。配置変更や功績などの細々したことまで書かれているところをみると、どうやら騎士団内のことを見聞きできる人間に頼んで、情報を得ていたらしい。リフィーが無事に暮らせているかを、ずっと気にかけていたことが文の端々から伝わってきた。


「……」


 いよいよ日記は終盤に差し掛かっていく。彼は亡くなった娘のことを悲しみ、病身にある妻や息子の心配をしていた。そして周りに不安を抱かせまいと隠してはいたが、自分自身も体調の悪い日が続いていたようだ。


 そんな最中に、ある要請を行ったことが日記にははっきりと記されていた。


 そして「もし、これが兄が懸念していたことなら、事情を聞こうとせずにただ責めてしまったことが悔やまれる」という言葉で、端正な文字の連なりは終わっている。


 彼が泉で発見される、前日の記録だ。


「……」


 リフィーはその赤い日記帳を、きつく握りしめた。


 叔父が泉で亡くなったのは、きっと事故ではない。ましてや女神の祟りなどあり得なかった。


 きしる音がしそうなほどにリフィーが歯を食いしばった時、ふいにノックの音がしてグラムスの慌てたような声が聞こえてくる。


「お仕事中に申し訳ありません。ニレナ様のご容態が……」


 リフィーは急いで日記帳を隠し収納の中に戻すと、慌てて部屋から飛び出してニレナの部屋へと向かった。

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