第11話 迷い

 少し小高くなっているこの辺りからは、エブローテの町がよく見下ろせる。


 ごちゃごちゃした気持ちを抱えてやって来たアルチェを、少しばかりひんやりした日暮れどきの風が幾度も撫でていく。胸ぐらいまでの高さの壁に歩み寄り、夕日に染まる建物の群れを見下ろして、ため息をひとつ。


 そこに、コツ、コツ、コツ、と背後から靴音が近づいてきた。


「浮かない顔をしてるな、お嬢ちゃん」


 聞き覚えのある低い声。まるで図ったように現れたのは、遺跡で出会ったあの男だ。なんとなくそんな気はしていたから、振り返ることはしなかった。


「どうだ、ひずみはうまく崩せそうか」


 アルチェの隣に並び、煉瓦積みの壁に両肘をついた彼は、そう聞いてくる。


「……崩せはしますけど」


 歯切れの悪い答えに、男が微かに笑ったような気配がした。


「迷ってるのか」


「……。……だって、人は棒や石とは違うじゃないですか」


 ぼやくように言ったアルチェの視線の先には、店から出てきて手を繋いで歩いてゆく家族の姿があった。何かおもちゃでも買ってもらったのか、子どもは大いにはしゃぎ、大人たちはそれを見て嬉しそうに笑っている。


 この町にはリフィーやグラムスなどの館の人間をはじめ、泣いたり笑ったりして日々を生きている人が確かにいて。何か事が起これば、その人たちがその余波をこうむることになる。


「崩してはい終わり、まっさらにして次の回を、というわけにはいかない……迷いもしますよ」


 命の終わりのその瞬間まで、営みは続いていくのだから。


「ましてや私はここに骨を埋めるわけじゃなくて、ほんのひと時訪れた旅人に過ぎません。この先もこの地で生きていくわけじゃない。そんな人間が……行く末を大きく変える決定的な手を、入れてしまってもいいものですかね」


「そういうことにも考えが及ぶなら上等だ、お嬢ちゃん。いや、あの時言ったことは、いらん世話というか、杞憂きゆうだったな」


 彼はどこか苦笑を滲ませて続けた。


「俺がお嬢ちゃんくらいの歳の頃は、そりゃもう俺には力があるんだって、ただただ示したくて仕方なくてなぁ……それしか己の表し方というか、計り方というか、価値の確かめ方を知らなくてさ……そもそも力ってもんを誤解してたし……そのパフォーマンスに巻き込まれた方は、えらい迷惑だったと思うよ」


 アルチェはしばらく迷った末に、男を見上げて尋ねる。


「……あなただったら、どうしますか」


「俺なら触れずに去る」


 低く穏やかに、彼は告げる。


、俺ならな」


 もはや二人の立ち位置には乖離があると、自分の意見は参考にはならないだろうと、彼は言っているのだ。


「私はここに……友達、って勝手に呼んでいいのかわかりませんが……できるだけ笑って、幸せに生きていってほしいなと思う人がいるんです」


 だが考えれば考えるほど、わからなくなる。アルチェの思うところの幸せは、もしかして独りよがりに過ぎないのではないか、と。


 自分の選択は、本当に彼女たちの幸せに繋がっているのか?解き明かしたことで、逆に後々泣かせるような事態になりはしないか?自分が来たことで、彼女たちをかえって不幸や困難に巻き込むのではないか?そんな答えの出ない疑問に絡めとられて、どうにも動きが取れなくなっていたのだ。


「……ひとつだけ伝えてやれるのはなぁ……どんなに頭を悩ませても、誠心誠意向き合っても……結局お嬢ちゃんは、誰の幸せにも責任なんかとれやしないってことだよ。不幸にしてやりたくても、幸せにしてやりたくても、それを最終的に判断するのは……決められるのは、その当人だけだ」


 町を見下ろしながら、彼は静かに言葉を紡ぐ。


「……前に俺の先生が言ってた。この世には正解も間違いも存在しない。ただそこには一個人の選択があるだけだって。覚悟っていうのは、誰にも何事にも自分の選択の責任を押し付けずに、その一個人の真ん中にある本心を……その者がその者たる選択を、選び取ることなんだって」


「……その者がその者たる選択を」


 思わず呟いたアルチェに、彼は困ったように笑いかける。


「そんなん言われても、なかなか難しいよな。見栄に嘘に建前に誤魔化し、そんなものでこの世は溢れているんだから。その中で溺れないようにするには、随分と胆力がいる。……どうして手を出すか迷っているのか、聞いてもいいか?」


 アルチェはしばらく黙った後、口を開く。


「この地の領主一家が、変化を嫌う嫉妬深い女神様とやらに祟られてるというのを、聞いたことはあります?」


「噂程度には」


「その女神をかたる人間の、背後にいるものがまずいかもしれないんです。十年近く前に壊滅したって聞いていた組織なんですけど……でももし、まだ勢力が大きく残っているのなら話は別です……何か切り札があればともかく、一地域で抵抗し切ることは難しいのではないかと思います。そうなれば、私が事態を明かすことで、ここの人々が別の意味で危険にさらされてしまうかもしれません。でもこのまま放置していけば……私の友達が殺されてしまうかもしれない」


 呻くようにそう言えば、男は告げられた内容に動揺する様子もなく頷いた。


「確かに潜む神ザグラを崇める連中は、大陸に広く深く根を張っていたからな。全盛期であれば、逆らうことが狂気の沙汰さただったのは間違いない」


「……本当、あれもこれも全部わかってて黙ってるんですから……意地悪な人ですね」


 アルチェが不満を隠さずに睨むと、


「拗ねるなよ。軽い口は、災いのもとだろ?……ああ、わかったわかった。持ってる限りの情報はやるから」


 笑いながら彼は答える。


「それについては、正直そこまでは心配いらないと思うぞ。主な部分というか、それまで権勢を誇っていた部分については、間違いなく潰れているからな。いかな〝潜む神の使徒ザグラニゥ〟と言えども、本気のを相手取って、何事もなく済むわけがない。……ただまぁ、あそこも一枚岩じゃないからな。生き残って主力の座を奪い取った一派が、多少残っているんだろうさ」


「……その座を奪い取った一派とやらから、派遣されてきた人でした。なんてオチじゃないですよね、あなた」


 アルチェが腹立ちまぎれに疑いの眼差しを向けると、男は吹き出した。


「馬鹿言わないでくれよ。俺はむしろそいつらに狙われる側だったんだ。それも熱烈にな。あんまりモテすぎるんで、困ってたんだよ。そしたらリヴァルト王国のおっかない宰相殿が、あいつらを本気で潰してくれたって聞いて、拍手喝采で三日三晩祝杯をあげたくらいなんだぞ?」


「……」


 彼はむっつりしているアルチェに微笑んで付け加える。


「だから義理堅い俺は、返せない恩を彼に返す代わりに……その愛孫まなまごちゃんに、もうひとつくらいだったら手を貸してやってもいいと思っているよ」


「……なら、今晩ちょっと手伝ってください」


 アルチェはむくれたままそう呟いて、憤懣ふんまんやるかたないというように大きなため息をついたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る