第6話 遺跡とはぐれ者
——————やっぱり、ここはなにかが変だ……どこかずれているというか、ひどく噛み合わない感じがする……
市場を後にして、リフィーと並んで歩きながら、アルチェはそんなことを考えていた。
ジャルト鉱の鉱脈にほど近いのであれば、耐性を持ち実ることができる作物はそう多くはない。だから、アルチェが道中にリフィーから聞いた情報と掛け合わせて想像したのは、もっと慎ましやかな暮らしぶりだ。
ところが彼女と共に市場を回ってみれば、予測していたよりはるかに多くの種類のものがこの地では育てられていた。町々も市場も人も、どこもかしこが想定よりはるかに豊かだったのだ。
——————それも、乗っ取り叔父様が治めていたこの十年で、急激に成長している……
パン屋台の人が、植えてみたら黒麦よりテテ麦の方がよく育ったと言っていたのも、アルチェにしてみればごく納得できることだった。
——————そもそも黒麦は……降雨量の少ない地域に適している品種だし……
エブローテに到着して二日目に、地域の地図や地史の記録を図書室で見ていたアルチェは、言いようのない違和感を覚えていた。この立地であるのに、なぜ黒麦やロロ芋の耕作が主体になっているのだろう、と。
あくまでも地図上で地形を見た限りの予測ではあったが、レグピオン山をはじめとしてこの地に南北に伸びている山脈が流れを
そしてひとまずエブローテ側の土を見てみれば、これまた黒麦にもロロ芋にも適したものとは言えなかった。どう考えても最適解ではない作物に頼って、この地は長く生活を営んできたことになる。
単純に歴代の領主にそういう知識が欠けていたという可能性もあったが、そこにあの嫉妬深い女神とやらの伝承が出てくると、また話が変わってきた。
——————どうしたものかなぁ……
決定的ではないにしろ、どこか不審な死に方をした先代領主。
あまり人様の家に首を突っ込むのはよろしくないかと、詳しく事情を聞くことを控えていたが、恩人の命が
「ほら、見えてきたぞ」
ふいにリフィーの声がして、アルチェは現実に引き戻された。
草が青々と繁った木々の間、彼女が指し示した先にあるのは、古い時代の遺跡群だ。
石積みの大きな建物は年月を語るように崩れ苔むして、生命力溢れる自然の中に埋もれるようにしてそこにあった。
「……思ったよりしっかり形が残っているんだね」
「そうだな。物とかは全然残っていないが、いくつかしっかり形を保っている部屋もあるんだ。小さい頃に、こっそり秘密基地にしたりしていたなぁ」
リフィーはそう懐かしそうに笑うと、建物の脇を指差す。
「そこの奥に階段があって、中に入れるよ」
「入ろう!」
と、アルチェが勢いよく言った時だった。何やら二人が来た方向から、ばたばたと人が走ってくる。見慣れたお仕着せを着ていたため、すぐにエブローティノの館の使用人だとわかった。
「ああよかった、いらっしゃった……」
雑役担当の少年は全速力で走ってきたらしく、荒い息をつきながら二人に駆け寄ってくる。
「ルース、よくここがわかったな」
「市場のクゼイさんに聞いたんです。アルチェさんが遺跡に興味津々だったと。それでここに向かわれたのではないかと思いまして」
少し照れたような顔をして答えた少年は、ハッとしたように本題を切り出す。
「実は今、館にシェパリー卿がお見えになっているんです。近くまで来たから、挨拶に寄ったということだったんですが」
「ああ、それは急いで戻った方がいいな」
「近くに馬車を待たせています」
リフィーはアルチェに目をやると、中も見ずに去れないという顔だなと呟き、笑いながら告げた。
「アルチェ、すまないが私は先に戻るぞ。帰り道はわかるか?」
「大丈夫、ちゃんと覚えてるよ。ここをしっかり見てから、町をぶらぶら見物して帰るよ」
「わかった。脆くなっている部分もあるだろうから、足元にはくれぐれも気をつけてな」
彼女はそう言い残して、ルースと共に急ぎ館へと戻っていった。
* * * * *
一人になったアルチェは、しん、と静寂に浸る遺跡の内部を見て回る。
石造りの建物はひんやりとして、アルチェの思考も冷たく研ぎ澄まされていくような気がした。
——————この石材といい、積み方といい……相当に古い時代のものかも……
そんなことを思いながらいくつかの部屋を見て回り、廊下の奥の小さな部屋に足を踏み入れたその瞬間だった。上から大きな音がして、ハッとした時にはもう遅い。
「……っ!」
天井が崩れてきたのと、腕を強く
「おーおー、まだ子どもだってのに情けも容赦もないことで」
天井が崩落していく轟音の中、低い声が耳元でそう笑う。
「ま、国崩し相手なら、それくらいが妥当なのかもしれんがな」
恐る恐る振り返れば、青い双眸と目が合った。アルチェを部屋から間一髪で引っ張り出してくれたのは、まるで古代遺跡で発掘される彫像のような、背が高く均整がとれた体つきの男だ。彼はにっと笑うと続けた。
「警告だろうよ。物騒な奴は、早く出ていってくれってさ」
彫りの深い顔立ちに、少し日に焼けた肌。単に整っていて美しいというよりは、どこか野生的なものが強く滲む、そんな男だった。年齢は三十代に差しかかっているくらいだろうか。
「助けてくださってありがとうございます……でも、私は国崩しではないです」
アルチェは突然の崩落と、久しぶりに耳にした言葉に内心
「ん?違うのか?……でもお嬢ちゃん、〝国崩し〟って言葉は一応知ってんのな?知ってる奴は、あんまり多くないと思うが」
「それは……祖父から聞いたことがあったので」
彼は顎を撫でつつ呟く。
「祖父、ね……じゃあ、お嬢ちゃんはパラケラルの出じゃねぇのか……あ、その顔はそもそもパラケラルを知らないな?うん、ならいいんだ。はぐれ者同士、仲良くやろうじゃないか」
——————パラケラル……?
祖父からも聞いたことがない単語だった。
ここにいてまた頭上から狙い撃ちされるといけないから、と言う男に続いて、アルチェは遺跡の外へと出る。
——————ああ……私のせいで……いや、私がやったわけじゃないけど……価値ある遺跡の天井……上の階としては床か……とにかく遺跡に穴が……
そんなことを思いながらぼんやりと遺跡を見つめていると、
「お嬢ちゃん、ちょっと遊ばないか」
と、男が笑いかけてきた。
「遊び、ですか」
——————どういう意味の遊びかで、恩人から加害者に変わるかも……
というアルチェの懸念を汲み取ったのか、彼は喉の奥で笑いながら付け足す。
「心配しなくても俺は少女趣味じゃない。むちむちボインの熟女がお好みさ」
そう告げた後、彼は膝をついて向こうを向くと、何やら周り中の石や枝を拾ってごそごそしていた。しばらくすると立ち上がり、こんもりと組み上がったその小山を示して小首を傾げる。
「これ、ルールはわかるか?」
「……はい」
じじ殿と散々やった、〝山崩し〟という遊びだった。交互に取っていくのではなく、勝負はたった一発で決まる。一手で完全に崩せれば崩し役の勝ち、崩しきれなければ組み役の勝ち。ただし崩せなかった時は、組み役は一手で完全に崩せることを示さなくてはならない。そういう遊びだ。
「……その髪色は、父ちゃん譲りか?」
小山に近づいて観察し始めたアルチェに、男が問う。
「……いえ、父方の祖父からの隔世遺伝です。父はこういう色ではなくて、明るい栗色の髪をしていました。祖父から聞いた話では、祖母がそういう色だったそうで、父は母親似だったのだと思います」
しばらく小山を見ていたアルチェは、ややあってから、ひとつの石を
「お見事」
男は拍手をしながら、続けた。
「……ならこれを教わったのも、じいちゃんか。……驚いたろうな。せっかく子どもに継がれなかったと思ったら、孫の方に出ちまうとはね」
まるでそれがまずいかのような言いように、アルチェは眉根を寄せて彼を見上げる。
「……ただの髪色の遺伝ではないのですか」
男はしばらく黙ってアルチェを見ていた。
「……まぁここで俺が黙っていても、いずれどこかで知ることにはなるだろうからな」
彼はそう呟いてから、指を自分の頭のあたりに向けた。
「牛飼いがさ、角に印を焼き付けたりして、これは『うちのだ』ってするだろ?」
「……ええ」
「あるいは犯罪者がさ、手の甲に焼き印とか
男の指が、すぅとアルチェの夕日色のひと房を指す。
「それはな、そういう類のものなんだよ。お嬢ちゃんのじいちゃんも、きっと知っていたはずだ」
祖父はそんなことはひと言も言っていなかった。だが、
「……そんなの、一体誰が」
「縁がありゃ、いずれ嫌でも知ることになる。だが、こうして俺と出会っているあたりからして……たとえパラケラルの出じゃなくても、世界の方にはお嬢ちゃんを見逃す気がないってことだろう。お嬢ちゃんが自由を愛する
「……世界?」
あまりにも抽象的な言葉だった。
「まぁ気にするなよ。大袈裟に聞こえるかもしれんが、
「……」
「ま、それについては遅かれ早かれ動きがあるだろうさ。今気にしても仕方のないことだ。そもそもお嬢ちゃんは、なんでこんなところに来たんだ?ルギオラの生まれじゃないだろう?」
相手の正体も底もしれないため、どこまで情報を出していいものか判断に迷う。
「……亡くなった祖父に、しばらく母国から出るようにと言いつけられたんです。それでエゼッテ山を越えている時に、ここの新しい領主様に拾ってもらってついてきました。意図して来たわけではありません」
ふぅん、と呟くと彼は言った。
「お嬢ちゃんは、この地にある
しばらく黙った後、アルチェは口を開く。この男がエブローティノの不穏に関わっているのかは定かではない。だが可能性がある以上、牽制はしておいた方がいいだろうと判断する。
「恩人の邪魔になるのであれば。少なくとも、あの人に危害を加えられる可能性は、根こそぎ潰してから去ろうと思っています」
ジェルビィの強奪も心配ではあったが、それ以上にこの不可解な状況をはっきりさせなければ、リフィーがディフィゾイの二の舞になる可能性も否定できないことが問題だった。それだけは、なんとしても避けなければならない。
「恩人、か……じゃあなおのこと、何をどこまで解いて崩すのかは、よく考えて見定めるようにしろよ」
言いながら彼は、先ほどアルチェが崩した山を指し示す。
「これはいい遊びだ。思考を巡らすにも、勘を鍛えるにもいいし、パターンを知るのにも有効だ。組む方も崩す方も真剣勝負、集中力だって強化できる。だがひとつ、決定的に足りないものがある」
「……足りないもの?」
「それがわからなきゃ、お嬢ちゃんはただの
青い目が、何かを試すようにアルチェを見下ろしていた。
「……あなたは一体何者なんです?」
男は小さく笑うと答える。
「まぁお嬢ちゃんの同類というか、お仲間ってとこかな。いや、元、か。俺も昔は、ここのところに青いひと房があったんだ」
彼はそう言って、自分の前髪の一部に触れた。ただ、そう言われても今は見る限り焦茶色の髪しか見当たらない。
「でも、俺は誰かに首輪をつけられていることに我慢ならなくなってな。紆余曲折の果てに、苦労してそれから自由になった。今はたまたまやむを得ない事情でここにいるが、ここの歪みには興味がないし、手を出すつもりは一切ない。だからそのへんについては、心配しなくていいぞ」
じゃ、お嬢ちゃんも気をつけて帰れな、と言い置くと、男はアルチェを残して歩み去っていった。
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