第4話 町へ

 応接間サロンに戻ってきたアルチェが『後学のために色々見て回りたいから、しばらく館に滞在させてもらえないだろうか』と、おずおずと打診してきた。


「もちろん。もちろんいいとも。私としても願ってもないよ。好きなだけいてくれていいからね」


 なんなら三年間ずっといてくれてもいい、とさえ思いながら、リフィーは二つ返事で頷く。


 ここしばらく道行きを共にして、アルチェにはすっかり親しみが湧いていた。十歳以上年が離れてはいたが、言動が大人びているせいかあまり違和感はない。容貌は年相応かやや幼く見えるくらいなのだが、国から出たことがないという割にその知識は広く、洞察力は鋭かった。


 非常にものをよく見ている少女で、どうやら物事の表側よりも、その仕組みや裏側の方に強い興味があるらしい。道々見たことがないものに遭遇すると、その素材や、材料がどこから来ているのかとか、あるいはその形になった理由だとか、そういうことを知りたがることが多かった。


 打てば響くような彼女と話すのは楽しかったし、なにより領主という地位にたじろがない相手は、とても貴重だ。玄関エントランスで顔を合わせた使用人たちの中に、見覚えのある者はほとんどいなかった。そんな中で気安く話せる相手がいることは、今のリフィーにとっては何よりも大事なことである。


 ただ、ひとつ問題があるとすれば、長期滞在を勧められるほどにはこのエブローテの町は大きくないということだった。観光という意味合いであれば、二日もあれば充分だろう。そして穏やかな町であるがゆえに、若者が好むような刺激もそう多くない。そんなわけで、好奇心が強い彼女であれば路銀だけ稼いですぐに次に向かいたいかもしれないと思い、「しばらく泊まっていったらどうだろう?」と言い出し損ねていたのだった。


「……ただね、アルチェ」


 ソファから立ち上がったリフィーは彼女に身を寄せると、その耳元で囁く。茶を出したメイドはすでに下がっていたし、執事は一時的に場を外していたが、念の為だ。


「たぶん大丈夫だろうとは思うが、一応身の回りには気をつけてほしい。……少しばかり、戦いの前のようなきな臭さを感じたのでね」


 叔父が雇っていた使用人たちは、今のところは様子見なのか、さすがに職は失いたくないのか、予想していたよりも遥かに丁寧にリフィーを扱ってきている。


 ただそれでも、この館に足を踏み入れた瞬間から、なにか言葉では言い表せないきな臭さも感じていた。幾度も戦に身を投じた、戦士の勘だ。根拠などなくとも、こういうものは経験上当たることが多い。


「……わかった。リフィーもくれぐれも気をつけて」


 アルチェも何か感じるところがあったのか、笑い飛ばすことはせずに真剣な顔で頷く。


 頷き返したリフィーがソファに戻り腰を下ろし直すと、折りよく執事のグラムスが戻ってきて、アルチェが使う客室の用意ができたと告げた。



 * * * * *



 そんなこんなで、アルチェがエブローティノの館に滞在し始めてから、早くも三日が経とうとしている。


 初日はゆっくりと疲れを癒し、二日目は一日中雨だったため館の図書室で郷土史や地誌の本などを借りて読みあさって過ごした。


 そして三日目の今日、アルチェは前日の雨で潤った庭の植物を朝から見て回っている。


 ——————町でも思ったけど、ノイエ・デュノーでは見たことがない草花が結構あるなぁ。なんだろうこれ……葉っぱ?いや、この部分ががくっぽいし、もしかして花なのかも……


 気になったものをつたない絵で手帳に書きつけていると、そこに息せき切ってリフィーがやってきた。


「アルチェ、アルチェ!今日は天気もいいし町へ行こう!」


「どうしたの、リフィー。そんなに慌てて」


 その勢いに驚いて、思わず手帳を閉じて見上げれば、


「いやそれが、今しがた花風呂と香油マッサージを強要されそうになってな。ひとまず視察を終えた後にお願いしたいって逃げてきたんだ」


 そうリフィーは苦笑する。


「花風呂や香油は嫌い?」


 肌にいいとかで、上流層の入浴にはつきものだ。


「いや、嫌いというか……似合わないだろう、私みたいなのには」


「そんなことないと思うけど……」


 荒事を担当する組織の中で長年揉まれたせいか、どうもリフィーは己のことを著しく粗野であると思っているらしい。が、アルチェの目からみると、別にそんなことはなかった。


 叩き込まれた所作しょさや行儀というものは、意識せずともその行動の端々に出る。仮に、出会った時に身の上話を聞いていなかったとしても、彼女が貴族出身であることにアルチェはすぐに気づいただろう。


 見てきた限り、それこそ食事の仕方などは文句のつけようもなく美しかったし、口調も騎士的ではあったが、それも領主であることを考えればさほど違和感はない。


 仕事柄日に焼けることが多かったせいか、さすがにその金髪や肌はいくらか乾燥気味のようだったが、それもあのメイドたちの手にかかればすぐに輝くばかりになるだろう。昨日問答無用で磨き上げられ、未だかつてないほどのつや髪つや肌になったアルチェが、我が身をもって知ったことだから間違いない。


 騎士服ももちろん似合うが、健康的に引き締まったその身体にドレスをまとえば相当に見栄えするだろうに、残念なことに本人にはまったく自覚がないのだ。


 ——————領地を治めるにあたって、その容姿も含め使えるものは全部使った方がいいように思うけど……まぁそこまで口を出すのは余計なお世話かな……


 アルチェは少し考えてからそう結論づけ、黙っておくことにした。


「あとは正直、そんなところに金を使うのはもったいないという気持ちがどうしても消えなくてね……家を出て以来、優雅に花を浮かべるどころか、うっかりすると濁った水で体を拭わざるを得ない時だってあったし……というか拭えればまだましで、戦地に出ればそんな余裕なんかないことの方が多かったからなぁ……私が風呂に入れなかった連続最高記録を伝えた日には、きっとここのメイドたちは卒倒するぞ」


 苦笑いしているリフィーは、少しばかり疲れた顔色をしているように見える。


 ——————思っていた以上に、息が詰まってるのかも……


 話を聞いた限りでは、リフィーはどちらかといえば元々お転婆な気質であるらしい。ところが今いる使用人たちは、彼女が追い出された後に叔父が雇い入れた者たちであるため、リフィーの武勇伝を知らない。よって彼らは有無を言わさず、一律リフィーを優雅な貴族として扱ってくる。


 自己認識と他者からの扱いのその大きな齟齬そごが、どうやら想像以上に彼女の負担になっているらしかった。


 ——————まぁリフィーの人間性については、追々使用人たちもわかっていくことだろうし……今必要なのは気晴らしかな。色々調べたいこともあるし、ちょうどいい。


「ねぇ、リフィー。町に出るなら市場に行ってみたいんだ」


「市場か。いいな、行こう」


 こうして、二つ返事で頷いたリフィーと連れ立って、アルチェは市場に向かうことになった。

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