第3話 不穏とエブローテの館

 ——————結局、ここまで来るのに八日か……やっぱり気が重いんだろうなぁ……


 アルチェはそんなことを考えながら、リフィーと並んで街道を歩いていた。


 山道を転がり落ちていたところを救ってくれた命の恩人は、通過する者も多いらしいサファイの町に迷いなく立ち寄り、それぞれの町や村でも寄り道の良い理由を次々に見つけ出しては、道中を引き伸ばしていた。


 もちろん、アルチェが旅慣れていないことや、色々なものを見せてあげようという配慮もあったのだろう。ただ、意識しているかしていないかは脇に置いておいて、帰郷を遅らせたい気持ちの表れでもあったに違いない。彼女の境遇を思えば、それも無理はなかった。


 その間かかった費用は、全てリフィーもちである。目的地も所持金もないアルチェにとっては、文句などあるはずもなかった。何か提案されるたびに喜んでお相伴しょうばんに預かり、初めての異国をすっかり満喫させてもらっている。


 しかしそうは言っても、元々さほど長くもない距離だ。どんなに理由をつけて引き伸ばしたところで、たかが知れている。いよいよ目的地は間近に迫ってきていた。


「そろそろエブローテが見えてくるぞ」


 山脈を迂回するようにつくられた道を並んで歩きながら、目を細めてリフィーが言う。


 その言葉通り、ややあって白い壁に赤茶けた屋根の建物が立ち並ぶ町が見えてきた。アルチェが住んでいた王都ノイエ・デュノーと比べれば、規模はそこまで大きくはない。とはいえ、遠目に見てもかなり小綺麗な印象を受けた。


 ——————住み心地はなかなか良さそう……


 いざ町の中に入ってみれば、道々リフィーから聞いていた話から想像したものより、だいぶ栄えているように感じられる。石畳は綺麗に保たれているし、汚水のにおいもしない。街路樹や花壇はしっかりと手入れが行き届いていて、全体的に町と緑が気持ちよく調和している。何よりすれ違う人々の顔に、笑顔と活気があった。


 リフィーの気持ちをおもんばかって口にはしなかったが、乗っ取り叔父様は領地の経営手腕はしっかりあったんだな、とアルチェは思う。ここまで立ち寄って来た領内の他の町も、それぞれの特色を生かして町をおこそうという気概が感じられた。もし彼が私腹を肥やすことにしか興味のない人間であれば、この十年で町々は荒廃の一途をたどっていたはずだ。


「……よかった」


 多くの人で賑わっている広場の入り口に立ち、辺りを見回していたリフィーが、ほっとしたように呟くのが聞こえた。十年の空白の間に町がどう変化しているかわからず、ずっと不安だったのだろう。


「安心した?」


「ああ。私がいた頃より領内が良くなっているようで、ほっとしたよ。あの叔父が領民たちに無体を働くとは思わなかったが、それでも町を目にするまではわからなかったから……」


 リフィーはそう頷くと、ぐいーっと大きく伸びをしながら笑った。


「ほっとしたら、なんだか腹が減ってきたな。アルチェ、そこの屋台のロッカンを食べよう」


「ロッカン?」


「黒麦を練ってねじって揚げて、砂糖をまぶした菓子だ。素朴だけど、香ばしくて美味しいよ。おまけに揚げたてみたいだから、間違いない」


 騎士団という雑多な中に長くいたためか、元々そういう気質なのか、リフィーは本当に気さくだった。


 親戚のお姉さんのつもりでごく気楽に接してほしいと言われ、育った環境のために元々相手の身分にひる性質たちではないアルチェはその通りにし、八日に及ぶ旅の間に二人の距離感はすっかり近くなっている。


 アルチェにとっては素直で気取らない彼女が好ましく思えたし、リフィーの方も相手の肩書きに怖じることのないアルチェに好感を抱いてくれたらしかった。


 広場に置かれたベンチのひとつに腰掛けて、二人で揚げたてを頬張る。


「あつっ……でも、これだこれ!帝都なんかは都会すぎて、こういうのはなかなかなかったからなぁ……やっぱり故郷の味というのは、落ち着くものだな」


 熱々でザクザクのほの甘いロッカンをかじりながら、アルチェは尋ねた。


「やっぱり帝都は都会的でお洒落なの?」


「ああ。私には理解し難い高尚こうしょうなものとか、芸術的とかいうものがたくさんあったよ。興味があるなら、一度行ってみるといいかもしれない」


「そうだね。三年もあるから、寄ってみてもいいかもしれないな……じじ殿から、大陸一の図書館があるって聞いたことがあるし」


「ああ、私も何度か行ったが……元々貴族が住居として使っていた大きな館を、丸々図書館にしたものでね。その中にみっちり本が詰まっているんだ。本好きの聖地らしいな」


「なにそれ、最高だね」


 ロッカンを食べ終えた二人は、包み紙を捨てに立ち上がる。


「この後すぐに館に行くの?」


 道中聞いた話によると、エブローティノの館は町の奥の方にあるらしい。


「いや、その前にひとつ寄っておきたいところがあるんだ。この辺り一帯の浄水設備を管理する役所があって、そこの責任者を水主みずぬしと呼ぶんだが……」


 ゴミを捨てながら、リフィーは微笑んで言った。


「一昨年代替わりしたらしいから、一度挨拶しておきたくてね」



* * * * *



 町の中心部に固まっている役所の建物のひとつに、リフィーと共に向かう。


 中に入って近くにいた職員に声を掛けようとした時に、奥のひときわ大きな机で作業していた穏やかそうな眼鏡の青年が、リフィーに気づいて勢いよく立ち上がった。


「リフィー!戻って来たんだね……!」


 責任者というにはまだ随分と年若そうに見えたが、彼がリフィーの挨拶相手で間違いなかったようだ。軽く手を上げた彼女に、嬉しそうな顔をした彼が駆け寄ってくる。


「……久しぶり、ルギオン」


 ——————ははぁ……なるほど。


 アルチェは二人の邪魔にならないように、少し距離をとることにした。


 貼られた掲示物に強い関心があるような顔をして壁際に近づき、整然と並んだそれを眺めながら時折ちらちらと二人の方をうかがう。〝全域定期設備点検の予定日〟、〝拡張三区域の試験運用〟〝北区の水質再検査日程〟……


 ルギオンと呼ばれた彼は明らかに熱のこもった目でリフィーを見ているし、リフィーの方も嬉しそうに見えた。


 二人はしばらく仲睦まじげに言葉を交わしていたが、やがて頷き合って話を切り上げ、


「待たせたね、アルチェ」


 と、リフィーが戻ってくる。


 部屋を出る時にちら、と振り返れば、眼鏡の青年が名残惜しそうにまだこちらを見送っていた。


 建物の外に出てから、アルチェは口を開く。


「……あの方が未来の婿養子さんで?」


「ち、違う!何を言い出すんだ、アルチェ。私は騎士だぞ?」


 リフィーはあからさまに狼狽うろたえた様子になった。


「騎士だって恋人つくったり結婚したりしても、別におかしくないよ?もちろんご主人様一筋って人もいるんだろうけどねぇ」


「いや、それはそうだが……私と彼は、別にそのようなものでは……」


 どうも剣一筋でやってきたらしい彼女は、こういう話題に慣れていないらしい。


「でも、あの人が前に言ってた〝全てが嫌なわけじゃない〟の〝嫌じゃない〟部分の人なんでしょ?隠したところで、ばればれなんだけどなぁ」


「こ、こらアルチェ!大人を揶揄からかうんじゃありません!」


 普段は明確な物言いをする彼女が、しどろもどろになるのがおもしろくて思わず追求すると、リフィーはいよいよ顔を赤くしてそう声を上げた。


「部屋を出る時気づかなかった?あの人名残惜しそうに、リフィーのこと見てたよ。手のひとつでも振ってあげればよかったのに」


「えっ……そ、そうだったのか?」


 気づかなかった、と呟くリフィーに、次は振り返ってあげるといいよ、と言いながらアルチェは笑いかける。


「でもよかった。安心したよ。確実にリフィーの味方になってくれそうな人がいるみたいで。万が一エブローティノの館が、視線で細切れにされそうな敵地になっていた場合は、あの人のところにひとまず逃げようね」


「……確かに他にあてはないな」


 ため息まじりにそう同意したリフィーは、気合を入れるように唇を引き結ぶと告げた。


「では行くとするか。吉と出るか凶と出るかまったくわからない、我が屋敷へと」



* * * * *



「お帰りなさいませ、リフィーリア様。館の一同、お帰りを今か今かとお待ち申し上げておりました」


 リフィーが館に到着すると、吹き抜けの玄関エントランスに使用人たちが勢揃いし、盛大な出迎えが行われた。


 交わされるやりとりを見る限り、やはり新領主とは面識のない者がほとんどであるようだ。叔父の立場で考えれば、以前の主人とその娘に忠誠が強い者は入れ替えるだろうし、そうでなくとも十年も経てば、勤める人々の顔触れも変わる。


 まだ様子見という意味もあるかもしれないが、それでも執事や使用人たちは非常に慇懃いんぎんにリフィーに接していた。悪意のありそうな視線も、今のところ感じない。


 ——————この様子なら、しばらく過ごせば問題なく馴染めそうかな……


 アルチェが内心で最も危惧きぐしていたのは、使用人たちが乗っ取り叔父様にあらぬことを吹き込まれて、リフィーが粗雑に扱われたり反抗されたりすることだった。その懸念がありそうな場合は、恩返しにしっかり手を打ってから去ろう、と考えていたアルチェだったが、見る限り問題はなさそうだ。


 気心の知れた話し相手ということなら、あのルギオンという男が喜んで果たしそうであるし、これは早々に辞しても大丈夫かもしれないなぁ、などと思いを巡らせていたアルチェだったが、しかし次の瞬間視界に入ってきたものにぎょっとする。


 ——————……嘘……なんであの人がこんなところに……!


 視線の先では、いかにも上品そうな小太りの老女が、リフィーに向かって恭しく頭を下げていた。


「シュレールでございます。領主様、どうぞなんなりとお申し付けくださいませ」


 顔を上げた瞬間に、向こうもリフィーの傍にいるアルチェに気づいたはずだが、一瞥いちべつしただけで顔色はひとつも変わらなかった。


「ありがとう、世話になるね。……どうかしたか、アルチェ」


「……いえ、さすが貴族様のお屋敷は玄関からして立派だな、とびっくりしたもので……」


 驚いたのが顔に出てしまっていたらしい。アルチェは慌てて首を振り、感心したように調度品やらシャンデリアに目をやった。


「そうかい?うちなんかは、かなり控え目な方だよ」


 そうこうしているうちに出迎えは終わり、使用人たちがそれぞれの仕事に戻り出したため、アルチェは慌てて執事に声をかける。


「あのすみません、お手洗いをお借りしたいのですが……」


「ああ、あちらの突き当たりを右でございます」


 執事が柔らかく通路の奥を指し示す。


「ありがとうございます」


「アルチェ、こちらの奥の部屋にいるからね」


「うん。すぐ戻るよ」


 声をかけてくれたリフィーに返事をしてから早足で角を曲がり、彼らから姿が見えなくなった瞬間、アルチェは全速力で駆け出した。


 長い廊下、連なる扉の先——————見覚えのある服の端が、並んだ部屋のひとつに消えていくのがぎりぎり目に入る。ドアが閉め切られる直前、アルチェはなんとか身をその部屋の中へとじ込んだ。


「ジェルビィばあちゃん……!」


「その名で呼ぶのはおやめ!あたしは今、シュレール婦人で通ってんだ」


 アルチェの呼びかけに答えたのは、かなりどすのきいた声と口調だった。


 服や髪型はつい先ほど新しい領主と言葉を交わした人物に違いないが、その前で見せていたうやうやしさや上品さは、まるで幻であったかのように掻き消えている。


 そう。この老女の本性は、間違っても従順なる使用人ではないのだ。


 彼女はきな臭さや不穏を嗅ぎつけては、その混乱に紛れて金目のものを頂戴する、火事場泥棒的な盗賊なのである。アルチェの祖父の古くからの知人で、時折ノイエ・デュノーにも顔を出していた。


 おそらく七十代に差し掛かっているはずだが、かくしゃくとした立ち振る舞いはそれをまったく感じさせない。


「しっかし、ずいぶんとおかしな場所で会うもんだね。てっきりジェノイーダの跡目を継ぐのだとばかり思ってたが、あんた国から逃げてきたのかい?」


「そのじじ殿の遺言で、着のみ着のままで追い出されたんだよ。三年間、外に出てこいって」


「ああ、なるほど。確かにあいつの言い出しそうなことさね」


 彼女はそう笑うと、それでなんの用だい、と腕を組んでアルチェを見る。


「……ねぇ、シュレールさん。見た感じ、ここは金銀財宝ととびきり縁が深いお屋敷ではないように思えるけど?」


「ああその通りだね。だが金のなる木は見つけたから、それはいただくよ」


「待って、やめてよ。ここの新しい領主様、私の命の恩人なんだ。崖から落ちそうになったところを助けてもらったし、旅支度もここまで来るまでの食事代も宿代も、全部おごってくれた大恩人なんだよ」


 すがるアルチェに、ジェルビィは呆れたような表情を浮かべた。


「それがあたしに何の関係があるっていうんだい。あんたまさか、この泣く子も黙るジェルビィに泣き落としとか、知人の情がきくだなんて、思ってないだろうね?」


「思ってないけど、ここはじじ殿の長年のおこぼれに免じてどうか」


「ジェノイーダのおこぼれはジェノイーダへの恩だ。孫だからって、自分からしゃしゃり出ていいもんじゃないね」


「そこをなんとか。私、今ほとんど無一文だし、対価にできるものが何もないんだ……ルコットタルトを好きなだけ作ってあげるから、ここは見逃してよ。お願い」


 懇願するアルチェを、ジェルビィは半眼で見やった。


「ふん、見逃してくれなんざ、随分と甘っちょろいことを言うもんだ。あんたそれでもあの男の孫かい?ええ?盗られたくないってんなら、あたしを警吏に突き出すつもりであんたが自分で守りな!ジェノイーダならそうしただろうさ」


 まったく最近の若いのは甘ったれで困る、とジェルビィはぶつぶつ付け足すと、


「あたしは仕事があるんだ。文無しの居候いそうろうはとっとと出ておいき!」


 と、ぴしゃりとアルチェを部屋から閉め出す。


「……」


 思わぬことになってしまった。


 アルチェは内心頭を抱える。


 きな臭さや争乱を嗅ぎつけることにかけて、ジェルビィの右に出る者はいない。なにしろあの祖父に、その嗅覚や勘は野生動物をもしのぐと言わしめた女傑だ。彼女がこうして虎視眈々こしたんたんと待機しているということは、つまりここで間違いなく何かが起こるということに他ならない。


 そしてひとたび事が起これば、盗賊ジェルビィはその混乱に乗じて、価値ある物を根こそぎ持っていくだろう。彼女の辞書に、容赦という二文字はなかった。


「……仕方がないなぁ」


 さすがに恩人であるリフィーの危機を、見逃すわけにはいかない。


 アルチェは館に滞在させてもらう理由を考えながら、ひとまず元来た場所へと引き返したのだった。

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