第2話 女騎士の帰還

 もう十年以上、故郷の土を踏んでいない。


 なぜなら、ルギオラ帝国エブローテ領主の娘リフィーリア・エブローティノは、十七歳の時に強制的に継承権を放棄させられた上、故郷から追い出されていたからだ。


 原因は叔父ディフィゾイによる、家の乗っ取りだった。


 エブローティノ子爵家は直系継承をむねとする家系であり、本来であれば当主テルフィゾイの唯一の子であったリフィーが爵位を継ぐのが自然な流れだ。


 ところが、成人まであと一年となった時に事件は起こった。まさか後見人であった叔父に追い出されることになるとは、思いもよらない。


 リフィーが鈍くて気づかなかったのか、あるいは叔父が本心を隠すのがうまかったのか、少なくとも彼と不仲だと感じたことは一度もなかった。遊んでもらったことも、町に連れて行ってもらったことも、剣の相手をしてもらったことも数知れず。


 だから爵位を取られたという事実よりも、一緒に過ごしたあの楽しかった時間が全て、はかりごとのための嘘の上に成り立っていたかのもしれないということの方が、リフィーにとっては衝撃で悲しかった。


 ——————譲ってくれとたったひとこと言ってくれれば、ディフィ叔父さんになら譲ってもよかったのに……


 遠方の伯爵家に嫁ぐか、教導会に入って僻地へきちで祈りに生涯を捧げるかの二択を迫られたあの時は、リフィーにとってまさに青天の霹靂へきれきだった。大して裕福でもない貴族とはいえ、それでも土地の重要人物の娘としてぬくぬくと育てられてきた少女は、あの時初めて絶望を知ったのだ。


 だがそれでも、やけになって命を放り出すことは矜持プライドが許さなかった。そして叔父から提示された選択肢に、そのまま甘んじることも。幸いにも剣術で名をせた父から剣の手解てほどきを受けていたリフィーは、家を出て女騎士として身を立てていく覚悟をその時決めた。


 そうしてエブローテを出た後、騎士養成校を経て帝国騎士団へと無事に入団する。


 ただ、父譲りの剣技という武器こそあったものの、リフィーは根回しをしたり、後ろ盾のための人脈をつくるなどといったことが得手ではなかった。そのため当時名を馳せた高名な騎士の下にはつけず、奇人として有名な小隊長のもとに配属されることになる。


『いいかい、リフィー。前線ってやつはな、そこに立った奴の出自なんざいちいち区別しないんよ。そんでどこに配属されようが、死ぬやつと生きるやつってのが出てくる。終結するまで、命を守りきることこそが勝利なんよ。命がなきゃあ、剣も武器も手柄すら意味なんかないからなぁ。だからとにかく、まず第一に自分の命を率先して守ること。いいね?』


 功をはやりがちな団の中にあって、剣が不得手な上、そのような指針で指導を行う変わり者の上官に、リフィーは最初こそ猛反発した。どうして自分の人生はこう、はずれくじばかりを引き当てるのかと同期に愚痴ぐちったこともある。だが結局、当時はずれと思っていたそれにこそ救われていたのだと、今のリフィーはよくわかっていた。


 十年かけて、少しずつ少しずつ位階を上げた。華々しさはまるでなくとも、一つずつ確実に功績を積んだ。そして先日とうとう、リフィーは一端いっぱしの上等女騎士として叙勲じょくんを受けた。同期で入団した者たちは、死んだり団を去ったりで、もう数えるほどしか残っていない中で。


 苦労の果てに、いよいよ騎士団の中核に名を連ねようという、そんな折だったのだ。


 叔父が事故で亡くなったという知らせが届いたのは。


 向こうの都合で追い出したくせに、ようやく騎士として身を立てた矢先に、今度は帰って来いとくる。いくらなんでも理不尽にもほどがあるといきどおったが、状況が状況だけに断ることもできなかった。そうして結局、リフィーは今ここにいるのだ。


「そんなわけで、こうして帰郷中なんだが……気詰まりでね。なにしろ育った場所だし、全てが嫌なわけじゃないんだが……どうにも気が重くて。長く離れた場所にいたから、今領内がどうなっているのか、さっぱりわからないしな……いや、すまないね。初対面だというのに、こんなに長々と愚痴ぐちを聞かせてしまって」


「いえいえ。とても興味深いお話でした。正直私だったら、手紙が届かなかったことにして知らん顔をしちゃうかもしれません」


 アルチェが善良そうな顔でしれっとそんなことを言ったため、思わず笑う。領民のことさえなければ、リフィーもそうしたいところであった。


「あの、直系継承のお家って仰ってましたけど……乗っ取り叔父様にはお子がいらっしゃらなかったんですか?リフィー様を追い出したくらいですから、てっきり自分の子に継がせるつもりかと思ったんですが」


 叔父を不名誉かつ的確な愛称で呼んだ彼女は、そう小首をかしげる。


「いや、それが私が領を出た後にちゃんと結婚して、子も二人もうけたらしいんだ。ただ、一人は先日亡くなって、もう一人も病でかなり弱っているらしい。残っている子もまだ九歳だとかで、最低限後見人が必要だしな。叔父は万が一のことを考えて、遺言に私が放棄した継承権の再取得の条項を残していたらしくて……そんなこんなで、貴族院から許可が下りてしまったんだ。普段は審議にちんたら時間をかけるくせに、私に都合の悪い時だけこんなに素早いのはなんでだろうね」


 リフィーがむっつりうめくと、アルチェが吹き出した。


「どこの国も似たようなものなんですね。うちの国の役所も〝申請は芋虫、督促とくそくは矢のごとし〟なんて言われて、税の催促の時だけやたら素早いって揶揄やゆされまくってますよ。……ちなみに余計なことかもしれませんが、先代の奥様は」


「継承の諸々には関係ないから、手紙では特に触れていなかったが……まぁ恐らくご存命だろうなぁ」


 それも気が重い理由の一端なんだが、とリフィーは苦笑する。


「今さら良家の人間らしく振る舞える自信がまるでないんだ。なにしろ故郷などもうないと思って、ただの一兵卒として野郎どもに混じってずっとやってきたからな」


「同性の方の品定めって、ひっそり厳しかったりしますもんねぇ」


 なにか思い当たるところがあるのか、アルチェもそう頷いた。


 そもそも子爵家の娘として扱われていた頃から〝お転婆てんばリフィー〟などと呼ばれていた少女が、荒事の多い組織に長期間在籍すればどうなるかなど、火を見るより明らかだろう。貴族令嬢としてのたしなみや感性など、とっくの昔に消失している自覚があった。


 なにしろ、いつだったか上位貴族のお嬢様の護衛に入った時に、彼女が一度に靴を十足ほど買い求めたのを見て、


「多足虫じゃあるまいし」


 と、反射的に思ってしまったくらいなのだから。


「まぁご実家に戻れば、おいおい感覚は戻ってくるかもしれませんし……」


 アルチェはそう慰めるように言って、話題を変える。


「エブローテの町でしたら……ここから五日くらい、でしょうか」


 突然放り出されはしたものの、近隣の地理はある程度頭に入っているらしい。


「そうだな。それくらいあれば十分だろう。サファイの町に立ち寄るかどうかで、多少は変わってくるだろうが」


「リフィー様の領地は、どのような感じなのですか?」


 どうやら彼女は好奇心が強いらしく、夕焼け色の目が興味津々という輝きをたたえてリフィーを見ていた。


「まぁ間違っても豊かな方ではないな。あまり大っぴらにはなっていないが……死の鉱脈が近くの山のひとつにある土地柄でね。作物だったら黒麦とかロロ芋とか、あとはそうだな……多少、木材は良いものができるか」


「……死の鉱脈って、ジャルト鉱ですか?」


 アルチェがどこか戸惑いのようなものをにじませて呟く。この国ではあまり一般的な知識ではないのだが、リヴァルト王国では普通に教わるものなのか、あるいは変わり者らしい祖父殿の教育の賜物たまものなのかもしれない。


「そうだ。よく知っているな。うちの家がエブローテで幅をきかせるようになったのは、ジャルト鉱で汚染された水を浄化する技術を発展させ、人が住めなかった場所を住めるようにしたから、なんていう伝承も残っているくらいでね」


「……なるほど」


 何かを考えるように視線を床に落とした彼女に、リフィーは問いかけた。


「なぁアルチェ、君に特に目的地がないのなら、よかったら一緒に来るかい?この国の言葉は問題なく話せるようだが、君にとっては慣れない異国の地だし……旅が初めてなら、支度したくの仕方もよくわからないだろう?私なら手慣れているから一揃い用意してあげられるし、同行してくれれば食事も宿も提供できる。エブローテまで行けば、路銀を稼ぐための短期の仕事も何か融通できるかもしれないしね。これでも一応、領主になる予定だからさ」


 顔を上げた少女は、目を丸くして見つめてくる。


「そ、それは……とてもありがたいですけど……正直、私にしか利がないですが……」


 そう遠慮がちに口にする彼女に、リフィーは首を振った。


「いや、もちろん私にも利はあるさ。それも大いにね。何しろこの現状だから、一人で黙って歩いているといらないことを考えてしまいそうで……できれば道中の話し相手が欲しい」


 これは理由づけではあったが、事実でもあった。


 どちらにせよ、いきなり見ず知らずの土地に放り出されてしまった彼女を、このまま放ってはおく気はリフィーにはない。なにしろ遺言に振り回されている者同士でもあった。到底他人事ひとごととは思えない。


「別に恩に思う必要はないよ。私も先人から受けた親切だ。もしこの出会いを喜んでくれるのなら、いつか君が困っている誰かと出会った時に、無理のない範囲で助けてあげてくれ」


 アルチェの夕焼け色の目が真っ直ぐにリフィーを見つめ、しばらく考えてから彼女は頭を下げた。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、ご厄介になります」

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