クレーマー

 「ホールって俺たち3人?」


 「耳ついてなかったの?他に先輩が2人居るわよ。12時からだけれど」


 「12時まで3人だし、間違ってはないけどね。お昼にお客さん増えるから追加で2人来るんだよ」


 「そっか。なら大丈夫かな」


 「心配しなくても、昨日も一昨日も乗り切ってるから大丈夫よ」


 「お客さん増えても時給上がらないから疲れるだけ嫌だけどね。繁忙期最高ー」


 乗り切れても不満は残るようだ。何故アルバイトをしているか聞くことはないが、成績が下がったとは思えない。期末試験が相当悪かったなら前言撤回するが。


 「さっ、準備しよっか。と言ってもすることないから後は10時になって看板ひっくり返すだけだけど」


 「それは六辻に任せるわ」


 「分かった」


 簡単な仕事でも今日だけ従業員なら言われたことをこなすだけ。嫌がらせで全てを指示されることは絶対にないので、信頼のある倉木の指示には従うつもりだ。


 「それじゃ、今日も1日乗り越えるかー」


 香月の間延びした声でやる気は出されないが、とにかく経験を積むことだけを頭の中に入れてただひたすらに配膳することだけを決める。


 接客する必要はない。遠くから人間観察して性格を知ろうと目を動かす。それが1つの目標だ。だから配膳しつつも周りに意識を割くことを忘れないよう決然した。


 それから時刻は10時になり、看板をひっくり返して開店する。幽玄海水浴場は全国でも名の馳せた海水浴場。人はそれだけ多いし、夏休み真っ只中で猛暑日である今日は香月の恐れる繁忙期と言って間違いなかった。


 看板をひっくり返してから15分して最初の客が入店する。「いらっしゃいませ」とハキハキと明るく倉木が言って「お好きな席へどうぞ」と案内する。それを見て、取り敢えず水を持っていけと言われている遥は動き出す。


 「メニューがお決まり次第お呼びください」


 承ることのできない遥はそれだけ言って水を置くとササッと戻る。緊張も何もなく、ひたすらに無駄をしないことだけを考え続けていた。


 「タブレットの方が楽だから採用してほしいですよね」


 「来年はそうするって決めてるから、気が向いたら来年も来てくれや」


 「おぉ、良いですね。行きますよ、客として」


 「そっちかよ」


 戻ると香月と店長のなんとない会話が続いていた。ハンディターミナルよりもタブレットの方が効率良いとの話で、それは以前倉木とデートした時経験した遥にとって共感できる内容でもあった。


 「おっ、おかえり六辻くん。水零さず運べたか?」


 「はい。難なく」


 「流石倉木ちゃんの後輩。次は料理の配膳だな」


 「ミスったら給料なしだから気をつけなよ」


 「厳しいですね」


 「んな最低な店長してないからな」


 店長とアルバイトと距離が近いのは、それだけ人間関係に於いては考え込まれているということか。


 幽玄の敷地内に働く人は皆、幽玄高校の生徒に悪影響を与えない人間が選ばれる。例えば飲食店に於いて必要不可欠な礼儀を完璧に備えた人だったり、「何故こんなこともできない」と怒鳴らない寛容な性格の人だ。


 心の中に闇を抱えた人や、過去に誰かにいじめをしたことがある人。完璧主義者や自己中心的な人は全て面接で弾かれる。それくらい徹底して人材を集め、やっと成り立つのが幽玄の仕事場だ。


 だからアルバイトも許される。生徒以外と関わることが許されているのだ。


 もちろん生徒に手を出す社会人は例外なく幽玄から追放されることになっている。


 「配膳くらい誰だってできますよ。はいこれ、オーダーです」


 いつの間にか客のオーダーを取りに行っていた倉木が戻ると、私のオススメだからとか関係ないとも言いたげに注文を伝えた。


 「ありがとう。そんじゃ俺は作り出すから、後は任せたぞー」


 「はーい」


 これから疲れることを考えれば、香月のようにふにゃふにゃに返事をしてしまうことも納得する。


 それからというもの、短針が12時に近づくにつれて客は増えていった。それと比例して、3人で教室の1.5倍程度の海の家を歩き回ることになる。


 遥は顔色こそ変えないが、配膳だけでも早足にならないと間に合わなくなるし、倉木と香月はプラスして接客とオーダーを任されているので、息切れしながらも次から次に対応に追われていた。


 そして11時半を過ぎた頃だった。コップの割れた音が海の家に響いたのは。


 「まだかよ!遅せぇぞ!」


 それは怒りの含まれた大声だった。倉木でも香月でもない、男性だと分かる低めの声。コップの次は男性かと、配膳中の遥は横目でそこを確認して思った。


 (倉木さん?)


 そこには倉木も居て、大声を聞かされているのが倉木だと分かるくらいに絵面は見苦しかった。所謂クレーマーというやつに対応していることは明白。倉木も何度か頭を下げるが、一向に男性の気は収まることを知らない。


 「お待たせしました」


 だからどうするか、その判断を聞くことこそ、今の遥のするべきことだった。配膳を終え、足早に厨房へ。


 「店長さん、あれどう――」


 「六辻くん、叫んでる人の席ってどこ?」


 遥の質問を即座に理解したか、それとも決めていたか、店長は遮って問うた。


 「Aの3です」


 「Aの3……オムライスか。六辻くん、悪いけど2分だけ倉木ちゃんのとこで騒いでる人宥めてくれねーか?ホントは俺が仲裁すんのが普通だが、幽玄高校の生徒なら難しくてな」


 「分かりました」


 全ては幽玄高校の生徒が優先。トラブルが激発した際、アルバイトだろうが客だろうが、仕事として幽玄の地に足を踏み入れている者は幽玄高校の生徒が関わっていることに即座に対応することは許されない。成長のためという狂った規則の1つだ。


 「悪いな。礼儀とかそんなんなくて良いから、取り敢えず手を上げられないようしてくれれば良い」


 それを聞いて承諾した遥は、未だに騒ぐ常識知らずの阿呆の場所へ向かった。

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