ちょっと……

 それから海の家に向かった遥と倉木。9時半にしては人の数が多いと思えるくらいに海水浴場は騒がしかった。砂浜でパラソルを差す人や、浮き輪に息を吹き込む人。それぞれ老若男女関係なく集まる幽玄海水浴場は、普段通りの賑わいを迎えようとしていた。


 「初めて来たけど、綺麗だね」


 「ゴミも落ちていないし、砂浜はサラサラで痛くない。人気があるのも頷けるわ」


 海の家に到着すると、改めて全体的に見える海水浴場が美しく目に映った。ただの景色でも、遥にとっては開放感ある海水浴場の景色こそが、心の安らぎだった。だから目を奪われてしまうのも当然だ。


 「そんなに見てると、着替えが遅くなるわよ」


 「うん」


 見入った遥の肩をポンポンと優しく叩き、準備するよと中へ案内される。木造建築でも堅牢な内装。どのテーブルも椅子も木製で、海の家に相応しい内装だ。


 「はい、これ。そっちの男子更衣室で着替えて、またここに来てくれるかしら?」


 「分かった」


 制服というか、海の家のTシャツを一枚渡される。それに着替えるなら5秒程度で終わるが、それでも遥は更衣室に向かった。中にシャツを着ることはなく、Tシャツは貰えるとのことなので気にすること何もなく着た。


 言われたように同じ場所に戻ると、これまた久しぶりに見る顔がそこにはあった。


 「あれっ、香月さん?」


 「ん?六辻くん?ということは、杏が連れて来た人って六辻くんのこと?」


 「うん」


 二組に所属する朱宮の友人だ。顔を見ることが6月のイベント以来。その時はボブヘアーだったが、今日はショートボブヘアーになっている。暑さ対策だろうか。


 「六辻くんと杏って接点あったんだね。相性指令とか?」


 「そうだよ。倉木さんの暇つぶしの相手に選ばれたらしくて」


 「そっか。だったら大変だね。杏に連れ回されなかった?カフェ巡りにさ」


 「連れ回された」


 「あははっ。やっぱり。杏って甘いものすっごい好きだから、私と会った時も連れ回されたよ」


 「そんな悪い言い方されるくらい、私は一方的に連れ回してはないけれど?」


 女子更衣室の方から着替えた倉木が戻ってきた。やはり香月を見た時思ったが、腹部を露出することは決まり事なのだろうか。


 堂々と恥じらいもなくくびれを見せるよう、Tシャツは胸の下で巻かれて、腹部はしっかり露出している。それこそ、スタイルのいい人にしか許されないくらいの着こなし方だが、それを難なくこなす2人はやはり普通ではない。


 「悪いと思ってないよ。杏と仲良くなれたことは良いことだからね」


 「私は社長令嬢で美しいもの。当然よ」


 「すぐ調子に乗るのは悪い癖だけど」


 「冗談よ」


 「嘘はダメだよ。本気で思ってることくらい、私にだって見抜けるよ」


 「えっ、今の冗談じゃないの?」


 ここで驚く。今までの「冗談よ」と何も変化なかったから、今回のも冗談を普通に言っていると思っていた。しかしそんなことなく、香月にはそれが本気と思われるくらいにバレバレだなんて、驚かない理由がなかった。


 「さぁ、どうかしら。私は冗談で言ったけれど、香月がどう思ったのかは自由だし、ホントかは不明だわ」


 「そうやって六辻くん相手に今まで逃げてきたの?最低じゃん。純粋な子を自分色に染めるなんて」


 「何のことか分からないわ。けれど、自分好みにしたところで悪いことはないのだから良いじゃない、とは言っておくわ」


 「魔女め」


 (難しいな)


 2人の関係はどこにあるのか分からないが、遥にとって冗談か否かを見分けることのできる関係なのは羨ましく思えた。同時に、それくらいの関係になれるのかと自信は少しなくなった。


 「六辻くんってやっぱり反応薄いから、私たちのこの姿見てもなんとも思った様子ないよね」


 「突然ね。まぁ、確かにそれは思うわ」


 「お腹出してること?」


 「うん」


 「それなら2人ともスタイル良いとは思うよ。女子の憧れって感じなんだろうとも思う」


 見た感じ健康体で傷もない美しい肌をしている。それは美しさを求める女性にとっては憧憬抱いて至極当然とも言えるだろう。


 「この体を見て興奮することはないのかしら?」


 クルッと回って全身を見るよう動かれる。しかし興奮することはなかった。


 「興奮?ないよ」


 「これは私たちの実力不足かもなぁ。もっと綺麗にならないと認められないって言われてる気分」


 「相手は六辻よ?スタイル褒めてくれただけでも上々よ」


 「それもそっか」


 六辻遥は鈍感で無感情。その情報は出回り始めているらしく、二組三組では特に名前だけよく聞くらしい。特待生ということもあって、一応頭の中に記憶される価値はあるようだ。


 それでも他2人の特待生のレベルが違うので、注目は然程されない。証明するように、一組にまで遥を見に来る人も一学期は居なかったくらいだから。


 そんな中、遥を知る2人の生徒にとっては、褒められただけでも幸運と思われるくらいに稀な存在として定着していた。


 「私たちのくびれを見たなら、貴方も見せて良いんじゃないかしら?六辻」


 等価交換だ。倉木は手を伸ばして直立不動の遥のTシャツの裾を軽く掴んだ。しかしその瞬間、遥は無意識ながら条件反射のように――。


 「っ!」


 ――倉木の手を軽く弾いていた。


 「あっ……ごめん。弾くつもりはなかったんだけど……ちょっと驚いたから……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る