夏休み

 セミの鳴き声が頻繁に鼓膜に届き、懐かしくも夏という季節を明確に肌で感じるようになった8月の上旬。既に夏休みの序盤を過ぎて、遥は部屋の中でクーラー効かせてベッドの上に寝転んでいた。


 確認しているのは自分の成績だ。終業式に送られた成績は見事に変動のないA評価。二学期も一学期と同じように無料の人生を歩むことが可能となっていた。


 それにしても、夏休みに入ってから早速一瀬に相性指令が届いてから、順に八雲と九重と続いたので未だに予定は合うことはなかった。


 それならば評価が良くてもその特権を使って外に行く意味もないので、何となく無駄な時間を費やすだけの時間を過ごすこととなってもいた。


 「何かないかな……」


 今は暇である。お誘いもなくお誘いする気もない。それだけ夏は体を怠惰にするし、クーラーの外に出て汗をかくことだって嫌いだ。それに人より熱中症に罹患しやすいのだから、海水浴だって行く気にはなれていなかった。


 海水浴に行こうと決めた日、その日は海水浴の思い出を懐かしんで賛成したが、後々自分の体のことを思い出してミスったかなとも思っていた。


 とはいえ、今更無理になったなんて連絡したくもない。だから予定を入れず、相性指令も出されないことを願って待つだけしか遥にはできなかった。


 そんな時、朝の9時にしては珍しくインターホンが鳴り響いた。暇が消える予感と、連絡もなしに来るという嫌な予感。どちらもあって、良い予感であることを信じて応える。


 「はい?」


 押して見える相手の顔。これまた約束を律儀に果たしてくれる善人の美少女が立っていた。麦わら帽子に白を基調にしたワンピース。可憐な雰囲気を纏った姿は実に魅力的と言えた。


 『今日も遅いのね。折角私が来てあげたというのに』


 「あぁ、倉木さん。そんな遅かった?」


 『冗談よ』


 「そっか」


 久しぶりの冗談も、遥にとっては分かりずらくなっていた。


 「今日は何用?」


 『貴方、今日はずっと暇かしら?』


 「うん。暇だよ」


 『ならちょうどいいわ。今日1日だけ、私と一緒に海の家でアルバイトを手伝ってくれないかしら?』


 「アルバイト?」


 『ええ。今日シフトで入る予定の先輩が病欠になったそうで、1人誰か手伝ってくれる人は居ないかと聞かれたの。そこで貴方との約束も思い出して良いかなと思ったから誘ったのだけれど、どう?経験する気はない?』


 アルバイト。そんな経験をしたことはないし、どこかで仕事をしたこともない。海の家と言えば基本食べ物を扱うお店だから、接客や調理、真夏の砂浜でそれらを1日することになるだろう。


 体力的にもしんどいし、メリットは少ない。人と接する良い機会なのかもしれないが、一般人とも出会うことは求めてない。


 「海の家……アルバイト……分かった。俺で良いなら」


 しかし、アルバイトには興味がある。経験を積みたい遥にとって、過酷なアルバイト先での行動はきっと今後の役に立つと思えた。


 自分のコミュニケーション能力の低さを知れるし、相手の特徴の掴み方、それらを倉木という人を見て知る、所謂人間観察のスペシャリストと共に行えるのは滅多にない機会だ。失うデメリットが大き過ぎた。


 『あら、思っていたよりあっさりね。駄々こねられると思っていたのだけれど』


 「子供じゃないからね」


 『それもそうね。承諾してくれてありがとう。早速だけれど、私はここで待つから、私に汗をかかせる前に出てきなさい』


 「用意する物は?」


 『特にないわ』


 「分かった」


 ということで、インターホンを切って身支度を整えること3分。生徒手帳とスマホを持って部屋の外に出た。


 「お待たせ」


 「急いだのね」


 「待たせたくないから」


 「そう。流石は私の認めた親友候補」


 「それ、未だに俺だけが候補なの?」


 「嬉しいことに」


 それだけ遥を求めているのか、それとも倉木の思いに応えてくれる人が遥だけだったのか。消極的とも思える倉木の求める人は、今後増えるのかすら曖昧だ。


 けれど、親友を獲得したい思いは本気だ。だから本気で見つけようと、8月の今も遥だけしか見つけられていないのなら、それはもう遥だけを候補者にしていると思っても間違いではないだろうが。


 「それにしても、貴方ホントに手持ち無沙汰なのね。制服は支給されるけれど、スマホ程度しか持ってないのは……まぁ、貴方らしいわ」


 「言われたことしかできないからね」


 察せないから、それ以上を期待以上をすることなんてできない。


 「それが貴方らしさだから良いと思うわ。さっ、早く行くわよ。今日だけでも17時まで付き合ってもらうんだから」


 「長いね。そんなに大変なの?」


 「多分大変よ。人は多くて量も多い。次から次に人は来るし、暇をした覚えがないもの。初めての貴方はホールを任されるでしょうけど、くれぐれも倒れないように気をつけて」


 「うん。アドバイスありがとう」


 「素直ね」


 体力に自信なんてない。今では外を走ることすらなくなって、夏休み入って怠惰を極めてしまった体は怠けることを覚えたから。だから小さくとも心配はある。しかし、それでもやりたくないとは思わない。


 誘ってくれた倉木は、一概に暇人の遥を連れ出したかったという理由以外に、遥と関わりたかったという思いもあるだろうから、それに応えて距離を詰めれるよう頑張ることも大切だから。

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