第11話
第七日
いつもよりも早い時間に起き、仕度を済ますと前の町に向かうため家を出た。
電車とバスを乗り継ぎ、ようやく前住んでいた家の住所にたどり着くと、その近くには確かに森があった。
ここまでの道のりに見覚えはなかった。よく考えれば十年以上たっているのだ。
町だって変わるし、約束を忘れてしまうには充分すぎる時間だ。
思い出せるのだろうか? とても不安になった。
思い出さなきゃいけないんだ。そんなに時間がたっても、約束を守りにきてくれた彼女のために。
気を引きしめ直すと、俺は森の中にはいっていった。
あっちにいけばいい。覚えているという程のはっきりしたものではないが、なんとなく進むべき方向がわかった。あまり森にはいる人がいないのか、道といえるようなものはなく、しかし、俺の体は歩きかたを覚えているのか、スムーズに進んでいくことが出来た。
しばらく歩き、目の前がひらけたと思うと川があった。
この場所を俺は知っている、そう思った。
とりあえず、俺は川の近くに座った。
俺は、小さい頃、ここに誰かに逢いにきていたんだ。
そして、一緒に泳いだりしていた。
彼女と、一緒に泳いだ時に思い出したのはきっとここで逢っていた子のことだ。
そして、その逢っていた子というのは、幼き日の彼女なのだろう。
今、海に住む彼女はこの川とどんなつながりがあったのだろう?
今は、とりあえず、約束を思い出さないと。
約束をしたとすれば、きっと、引っ越しをする直前くらいだろう。
かなり近いとこまできたような気がするけれど、思い出せない。
俺は、たち上がり、靴と靴下を脱ぎ、ズボンのすそをなんどか折って川にはいった。
その時、突然頭の中に声が流れてきた。
それは優しくとてもおだやかな声だった。
「漱くん、大きくなったわね。ことねのことを思い出しにきたのよね?」
俺はその不思議な声にうなずいていた。
「ことねのこと好き?」
その声は子どもに聞くようなものだったが、言葉の奥に真剣さが隠れているのがわかった。
「はい」
真剣なのがちゃんと伝わるように、はっきりと答えた。
「あなたの世界で生きたことのないことねを大切にしてくれる? あなたしか見えないことねのことを、いつか重たいと思わない?」
あまりにも真剣な声だった。
その言葉の意味をしばらく考えてから俺は真剣に言葉をつむいだ。
「ことねのことを俺は大切にします。俺の生きる世界のことがわからなくても構いません。俺だって、ことねの生きてきた世界のことはわからないから。互いにわからなくて困るのなら、教えあって助けあえばいいんです。ことねのことをいつか重いと思うかとかは、正直わかりません。でもそれは、誰と一緒にいたって同じだと思います」
しばらく声は返ってこなかった。俺の気持ちはちゃんと伝わったのだろうか?
「ありがとう」
弾むような声ではなかったが、確かに嬉しそうな声に聞こえた。
その後に、頭の中に声ではなくイメージが流れてきた。
それは、おさない男の子と女の子が小指を絡ませ約束をしている、ぼやけた写真のようなものだった。
「この川の先にはほんとに、海っていうものがあるの?」
「うん、ぼくは、その海の近くに引っ越すんだ」
「わかった。私、絶対に海に……から。漱くんは、海で絶対に……てね」
「ぼく、絶対に……るよ」
「忘れちゃダメなんだからね」
そこで、イメージが消えた
俺は、一度あたりを見回し川から出て川に向かって一礼し、靴を履いてバス停に向かった。
さっきのイメージはきっと、俺と彼女の小さい頃の約束の記憶だ。
さっきのイメージをきっかけに、彼女のことを思い出した。
彼女のそれまでの姿や、川でよく遊んでいたことを。
こんなに大切な記憶を今まで、忘れていたなんて……。
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