第10話

 第六日


 起きるとあのいつもみる夢の余韻が残っていた。

 いつのまにか眠ってしまっていたみたいだ。

 彼女に逢いたい。きっかけもなくそう思った。ころころと変わるあの表情や、声が頭に浮かんで、苦しく切なくなってくる。

 いきなり俺は、どうしてしまったんだ。

 彼女の秘密に対して戸惑っていたことが嘘のようだった。すべてをやっと受けいれ、さらに彼女のことを好きになってしまったみたいだ。

 彼女には好きな人がいるのに……。

 それでもいいと思った。

 そう思うとじっとしていられず、仕度をさっさと済ませ、俺は家を出た。


 俺なら彼女のそばにずっといられる。彼女をなによりも大切にする。彼女が好きな人を忘れられないのなら、なにも求めずに、ただただそばにいさせてくれるだけでいい。代わりにされたって構わない。


 俺は海に着くと彼女の名前を呼んだ。

「どうしたの? 今日は早いね」

 すぐにあらわれた彼女になにからいったらいいのか少し迷った。

「大事な話しがあるんだ」

 彼女は、首をかしげて、なーに? と聞く。

「ことねは、どう思ってるのかわかんないけど、俺は人と人魚の違いなんて関係ないと思ってる。住む世界が違うとか、そんな言葉は聞きたくない。人であることねでも人魚であることねでも、どっちだっていいし、前いってた、昔の姿がなんであったって、俺の気持ちは変わらないんだ」

 彼女はじっと見つめてくる。

「だから、その、つまり、俺はことねのことが、す……」

 そこで彼女は、あわてて俺の口を手でふさいだ。

 俺は突然のことに驚いてしまった。

「それ以上いわないで」

 彼女は静かにそういって手を離した。

「なんで、最後までいわしてくれないんだよ……」

 不服だった。俺の気持ちをちゃんと最後まで聞いて欲しい。

「私、明日の夕方までしか逢えないかもしれないから……全部聞いてしまったら、その後が、お互いにつらくなってしまう」

 そういって彼女はうつむいた。

「なんで、明日の夕方までしか逢えないんだよ?」

 俺は思ってもいなかった言葉にあわてて言葉をついた。

「あなたが、私のことも、私との大事な約束も忘れてしまっているから」

「ことねのことを、俺が忘れている? 約束? なんのことだよ? 俺たちが知り合ったのはつい最近だろ?」

 今にも泣き出しそうな顔で、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「私と過ごしているうちに、自然に思い出してくれるといいなって思ってた……。ずっと昔に私と漱くんは出逢っていたんだよ。そして、別れる時に大事な約束をしたの。思い出せないならそれでもいい。漱くんと過ごすうちにそう思った。今が楽しかったらそれでいいって。でも、漱くんが思い出せないなら、このままじゃいられないの。他の人とそういう契約をしたから」

 彼女はその契約の話しをしてくれた。

 あまりにも突飛な話しに聞こえたし、正直理解しづらいものだったけど、彼女が嘘をついているわけではないということはわかった。

 俺に逢うために私は、水に関する妖精や妖怪のようなものたちの中で一番偉い力の強い人と契約を交わしたこと。

 まず、元の姿から人魚になることで俺を探すことが出来るようになった。

 そして、俺を見つけ俺が彼女のことを忘れていたとしても再会してから、七日目の日が沈むまでに、彼女のことを思い出し、約束も思い出せば、彼女の最後の望みを叶える。

 そのかわり、俺が思い出せなければもう俺に近づくことは出来ず、人魚として生きるということであった。

 最後の望みについては、聞いても教えてくれなかった。

 俺に、前の姿や出逢った場所などをいってはいけない。

 最後に、これだけのことを話したのだから後は俺が思い出すのを待つことしかできないと、彼女はそういって海に帰った。

 膝まで海に浸かるところまでくると振り返り、明日待ってるからといった。


 彼女がいってしまってからも、俺はしばらく海辺で考えを整理していた。

 彼女と出逢ったのはきっと、前の町だ。

 あの毎日みる夢の中でしている約束は、きっと彼女としているものだと思った。でも、どうやったらちゃんと思い出せるんだよ。

 ここで考えていても思い出せる気はしないし、家に帰れば、前の町でのなにかがあるかもしれない。いや、たぶん約束したであろう場所にいけば、なにか思い出せるかもしれない。

 そう思いいたると、家に向かって駆け出していた。

 明日の夕方までしか時間がないんだ。母にその場所を聞こう。


 がちゃがちゃと騒がしくドアをあけ、母がいるであろうリビングに向かったが、母の姿はなかった。

 かわりに机の上に、


お友達と久しぶりに会ってきます! 少し遅くなるかもしれないから、ごはん先に食べといてね。

                                  母より


 という置手紙があった。

 母は、友達に逢いにいくとなかなか帰ってこない。

 前の町はかなり田舎といっていたし、母の帰りを待っていたら、間にあわないかもしれない。

 どこかに前の町の住所が書かれたものがないかと家の中を探しまわった。

 途中、前の町でとった写真がはいったアルバムを見つけじっくりと眺めてみたが、なんにも思い出すことが出来なかった

 時間は容赦なく過ぎていき、焦りだけが募る。

「ただいま」

 その声に時計を見た。

 二十時を回ったところだった。

 俺は母に前住んでいた町へのいきかたを聞いた。

 焦りが伝わったのだろう。

「とりあえず深呼吸」

 そういって手に持った荷物を床におろし、両手を広げ、深呼吸を繰り返した。

 こうなると、俺がちゃんと深呼吸をして落ち着くまではなにも答えてはくれない。

 昔から母は、なにかあればとりあえず深呼吸をして落ち着こうとすることが大事なのだ、焦ってするとなにもいいことはないといっていた。こんなことでも、しばらく続けると本当に落ち着いてくるのだから不思議だ。

 俺が少し落ち着いてきたのを見計らって、母は深呼吸をやめ、電話の横にあるメモ用紙になにかを書きながら俺に聞いた。

「いったいどうして前の町にいこうなんて思ったの? 今まで前の町のことなんて聞きもしなかったのに」

「友達と大事な約束を、多分その町のよく泳ぎにいった川でしたみたいなんだ。思い出さなきゃいけないのに、思い出せなくて、約束した場所にいけば、思い出せるかもしれないと思って」

 電車の駅名などを書きつけた紙を俺に渡すと母は、

「焦っても思い出せないと思うわよ。いって帰ってくるのに五時間くらいかかるから、いくなら明日の朝にしなさいね」

 といって荷物を持ち、自分の部屋に向かった。

 俺の気持ちを見透かしたような言葉に、俺はしばらく母の背中を見つめた後、手に持つ紙に目を落とした。

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