第9話
彼女の肩から腕をはずし、たち泳ぎしながら、彼女の姿を見る。
振り返った彼女は、顔にかかってしまった髪を耳にかける。水滴が反射して、きらきらと輝いて見える彼女は、陸の上にいるときよりも魅力的だ。
「どうだった?」
「速かった」
彼女に見とれていた俺は、彼女の問いになんともありきたりな返事をしていた。
それでも彼女は満足そうに笑う。
「けっこう遠くまできたけれど、もう少しいく? それとも、浜に戻る?」
その言葉に振り返ると浜からだいぶ離れてしまっていることを知る。
帰りは自分でゆっくりと泳いで帰ることにした。
泳ぎながら彼女は今まで見てきた海の話をしてくれた。沖縄のサンゴ礁の話や、他にも綺麗な海の話を本当にいきいきと話してくれる。
体力にはそこそこ自信のある俺だったが、かなりの距離だったので最後は彼女に手を引いてもらうという少し情けない結果になってしまった。
浜に上がった俺はくたくたで、しばらく転がって休むことにした。彼女は転がる俺の横に人間の姿で座った。
「俺、さっき手を引かれて泳いだりした時、前にもこんなことがあった気がしたんだ」
なんとなく、俺はそのことを話した。
「どこでなのかも、誰とだったのかも全然思い出せないんだけど、大切な記憶だったような気がするんだ」
ついさっきまではそこまで思ってなかった。だけど、彼女に話してみると、そんな気がしてきたんだ。
あの毎日見る夢も、この記憶も、ぼやけてしまってわからない。けれど、思い出すべきことのような気がしてくる。
「思い出せないのなら、無理に思い出さなくてもいいんじゃないかな? その記憶もあのよく見る夢も。前はなにか意味があるかもって、大事にしてっていったけど、大切な記憶は心の奥にしまったままでもいいんじゃないかなって最近思ったんだ。記憶の箱をあけたら、それが壊れちゃうかもしれない。しまったままのほうがよかったと思うかもしれない。大切な記憶はそのままに、今の楽しい記憶を、また大切にしまっていったらいいんじゃないかな」
彼女の言葉に、しまっているだけじゃなくて、やっぱり壊れてしまったとしても今必要なら、あけてみなければいけないんじゃないかと反論しようとしたが、起き上って彼女の顔を見たらとてもいえなかった。
彼女はただ静かにまた涙を流していたのだ。
悲しいとか、つらいとかではなくて、なにかをあきらめることを決意したような顔だった。
涙を流す彼女は、ただまっすぐに海を見つめている。そんな彼女がどうしようもなく儚げで、壊れてしまいそうで、なおかつ美しかった。
そんな彼女に俺はただ見とれることしか出来なかった。
しばらくすると、彼女は涙をぬぐって、俺の顔を見てほほえんだ。
「なんか今日は泣いてばかりかも」
なんでもないようにそういって、彼女はてれ笑いを浮かべる。
「ただいま」
「おかえり。ごはん出来てるわよ」
「うん、先にシャワー浴びてくる」
彼女とは、海にはいったり出たりしながら、今までよりもうーんと長く話しをした。
人の生活がどういうものかを彼女は知りたがった。俺は答えられるかぎり答えた。学校の話や、友達と行ったカラオケボックスやボーリング場の話。彼女はとてもいきたそうにしていた。
シャワーを浴びてリビングにいくと、食卓にはご飯の用意がしてあり、俺が席に座ると母も向かいに座った。
「いただきます」
手をあわせいつものようにそういった。母もそれに続く。
母は、テレビのニュースでやっていた話や、近所の奥さんに聞いてきた他愛もない話を、食べものをのみこんではやけに楽しそうに話す。
半分も真剣に聞いちゃいないが、適当にあいづちを打つ俺。
「俺ってさ、海とかプール以外で泳いだことある?」
母の話しが一段落したのを見計らって俺は聞いた。
自分がよく覚えていない程昔のことなら、母に聞けばなにかヒントになるようなことを教えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「そうねぇ……」
手をほほにあてて考える母。
しばらくまつと、あっといってなにかを思い出したようだった。
「この町に引っ越してくる前、おばあちゃんの家に住んでいたでしょ。その近くに森があって川が流れてたのよ。あなたそこによく泳ぎにいっていたわよ。友達が待ってるんだっていって」
そういえば、この町に引っ越してきたのは小学校に上がる少し前だったという話しを聞いたことがある。断片的にだが、新しい家に驚いたことなど覚えていることがある。
じゃあ、あの記憶は前の町でのその友達との記憶なのだろうか?
俺は母に礼をいうと、食器を片づけ自分の部屋にはいった。
川かぁ……。
ベッドに寝転がって考えてみる。
なんとなくその森や川の雰囲気を覚えているような気がする。
すべてはつながっている気がした。もう少しでつながっていきそうなのに、まだなにかがたりていない。
なにがたりていないんだ?
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