第7話

 ざぶざぶと波に向かって進んでいき、抱えている彼女がいくらか海につかった。

 彼女の顔を見ると、苦しげな表情は消え去り、安らかな顔になっていた。それを見て俺は肩から力が抜け、彼女を落としそうになってしまった。

 俺はあわてて彼女を抱え直して、ことねと呼びかけた。すると、彼女は小さく反応した。

 まだ、呼びかけにちゃんと答えられるほど回復していないのか? と思い、俺は、なに気なくあたりを見回した。

 ふと、彼女の足があるはずのところに大きな魚のヒレがあることに気づく。

「え!?」

 驚きの声を上げてしまった俺に驚いて、彼女が目を開く。

 固まってしまっている俺の腕から彼女は海にすべりこみ、俺を一瞬見つめると、沖に向かって泳いでいってしまった。

 彼女の足のヒレについて混乱している頭の片隅で、またおいてかれてしまったと、ぼんやりと考えている自分がいた。


 家に帰ってからも混乱はまだ続いていた。

 しかしそれは、彼女の足がヒレに変わったからもたらされたものではなく、彼女は人魚だったのかと、あれからすぐに受けいれてしまった自分に対してのものだった。

 元々、臨機応変に何事も慌てず、受けいれていくのに、時間がかかるほうではないが、あまりにも非現実的なこのことに関して、あまりにも受けいれるのが早すぎるんじゃないかと焦る。

 でも、家で座って考えていたって、なにもわからないし、混乱していくだけだと思い、今日はたまってしまっている宿題をちょっとでも減らすことに専念して、後はさっさと寝てしまうことにした。

 また明日彼女に逢いにいってみよう。


 第五日


 海に、はいると姿が変わってしまった彼女とどう接すればいいのか少し戸惑いながらも、俺は今日も同じように海にいく。

 彼女のことが知りたい。そしてなによりも逢いたい。

「今日も出かけるの? いったい毎日毎日同じ時間にどこにいっているの?」

 玄関で靴を履いていると、背後から母の声がした。

 振り返ると、洗濯物のつまったかごを持った母が、不思議そうに俺を見ている。

「ちょっと海に……」

「また海へいきだしたの? 小さい頃からあなたはほんとに水が好きなのね」

 そういいながら母はベランダのほうへ消えていった。


 浜では、いつもの場所に彼女がたっていた。

 彼女はどこから見ても、ただ美しい女の人に見える。ひょっとしたら、あの美しさも人魚だからこそなのだろうか。そんなことを考えながら、彼女に近づいていく。

 俺の足音が聞こえたのか彼女が振り向いた。

 目があって、でもどうしたらいいのかわからなくて、俺はたち止まりうつむいてしまった。

 ちょっとして顔を上げると、彼女が俺に近づくのをためらいながらもそばにくるのが見えた。

「今日はきてくれないかと思ってた……」

 俺の近くにまでくると、彼女が静かにいった。

 そのようすに、昨日のことはやっぱり現実だったんだなと思う。

 俺は、彼女の顔を見た。今までとなにも変わっていない。

 なんていえばいいのかわからなかったから、俺はただ彼女を見つめるしか出来ずにたちつくす。。

「最後まで隠し切るつもりだったんだけど、やっぱり無理だったなぁ」

 なにもいわずにいる俺から、一度視線をはずして冗談っぽく笑いながらいった彼女。

 その言葉を聞いて、彼女は俺との最後を早々に考えながら、俺との時間を過ごしてきたのかと思い、なんだか悲しくなった。

「あんな私が嫌ならそういってくれていいんだよ……?」

 黙りこくっている俺に、ほがらかなほほえみを俺に向けながら彼女はそういった。

 それがかえってつらそうに見える。

「俺……今はちょっと戸惑ってて、前みたいに出来ていないけど、ことねのこと嫌なんて思ってないよ」

 そういった俺を彼女はじっと見つめてきた。

 彼女のその瞳には俺がさらになにかいうことを期待しているようだ。

 しかしなにをいえばいいのか、悩んでいる俺の頭に浮かんだのは、ずっと彼女に対して抱いていた気持ちだけだった。

「俺、もっとことねのことが知りたいんだ」

「私のこと?」

「だって、いつも俺の話しを聞いているばかりで、自分のことなんて、ほとんど話してくれなかったじゃないか」

 彼女はしばらく考えるように首をかしげた後、決意したようにうなづくと、砂浜に腰をおろした。

 俺もそのとなりに腰をおろすと彼女が話し始めた。

「私はね、もうわかっていると思うけど、人魚なの。少し前までは、またもうちょっと違うものだったんだけど、なんであったのかは、秘密ね。私のことっていっても、特に話すようなことなんて、これといってないよ。今まで平凡に暮らしてきたし、まあ、人のいう平凡な暮らしとは、ちょっと異なると思うけど。後は、水から離れられるのは、だいたい一時間だけ。それ以上離れていると苦しくて仕方なくなるの。それくらいかな」

 彼女はそこまで話すと、俺のほうを見た。

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