聖女らしいですが、皇太子殿下と結婚とか無理ですから!
相内充希
聖女らしいですが、皇太子殿下と結婚とか無理ですから!
セヴィル国の北にある山深くにある、いつも深い霧で隠れたような窪地。
密かに
美しくい心優しきロクサーナは夫婦仲睦まじく民からも愛されたが、天から授かった不思議な力で国を守り、若くしてその命を落とした。
「いつかまた、あなたのおそばに戻ってまいります」
そう約束しこの世を去った聖女があらたな肉体を得てこの地に戻ったときのため、静かなこの地に霊廟が作られたのだ。
里のものは廟を守り、彼女が好んだ笛の音でその魂を慰める。
いつかまた、愛しき人と出会うその日まで――。
☆
遠い目でそんな、昔から何度も聞いた話を脳内で反芻する。
絶対おとぎ話だと思ってたそれが現実だなんて、誰が想像しただろう。
(うぇぇ、緊張しすぎて吐きそう)
姉たちにこぞって着せられた晴れ着は、帯がきつくて目が回りそうだ。
「はい、がんばって。王都ではコルセットっていう下着でぎゅっと腰を絞るんだから、せめてこれくらいはしないとね」
長姉がふんすと鼻息荒くそう断言する。いや、めちゃくちゃ苦しいんですけど。
「はい、フィンリー、少し目を閉じててね。絶対動いたらダメよ」
歌うような口調で次姉がぱたぱたと楽しそうに化粧を施し、三番目の姉と四番目の姉が髪を結い上げる。時々肌に冷たいものが当たるのは、双子の五番目の姉が装飾品を選んでいるからだろう。
そうして永遠とも感じるような時間のあと。姉たちが自分たちが仕立てた「作品」を一歩離れたとこから舐める様に眺めると、全員が満足そうに深く頷いた。
「フィンリー、きれいよぉ。さすが我がお……、コホン……妹!」
姉さん、顔が思いっきり笑ってます。
もう泣いてもいいかな。俺は妹じゃないし、弟は姉のおもちゃじゃないって!
何が悲しくて十六の男が女装などせねばならないのか。
「そりゃあ、
(知ってた――)
姉たちよ。憐れむような眼はやめてくれ。
わかってる。姉ちゃんたちが俺のためにしてくれてることは、十分わかってる。
「ああ、緊張する。早く終わらせたい」
***
『聖女の生まれ変わりの者を迎えに行く』
そう連絡が来たのは、ようやく日差しが春めいてきたころ。
家族一同、「とうとうか」と微妙な顔をした。
迎えとはすなわち、聖女を皇太子の妃に迎えるという意味だ。
王のもとには、聖女が戻ってきたときにそれを知る為の道具だか設備だかがあるという。
十六年前。皇太子の誕生と同じ日に、それが聖女の再来を告げたそうなのだ。
事実、その日天女の里に新たな命が誕生した。生まれたのが俺、フィンリーと、双子の姉ブレアだ。
青い髪と緑色の目を持つ俺と、緑の髪と青い目を持つのブレア。
聖女の髪と目の色に合うのは俺の方だったけど、みんなはブレアを聖女の再来だと判断した。当然だ。
とはいえ、親をはじめ里の者たちも皆、本気でこれを信じてるわけではなかった。役目は役目として、ちょっと面白がっていたというのがたぶん正しい。
それでも我が家は親の方針で、「将来のお妃様なのね」というおままごとに似たノリで、ブレアは貴婦人としても十分通じる教養を叩きこまれたわけだが、なぜか上の姉や俺までそれに巻き込まれた。
「だって一人じゃ張り合いないじゃない」
と笑うのは、家族で一番強い母。母の決定には誰も逆らえない。
もともと里の人間は十六になると、密かに王都をはじめとした都市に出向く。外の情報を取り入れるためといった感じだ。なので隔絶された世界とはいえ、驚くほど外の情報に精通していた。
俺とブレアも十六になるのを楽しみにしてたわけだが、十五歳になったとき、突然俺に聖女の力が発現してしまった。誰か嘘だと言ってくれ。
ブレア曰く「やっぱりね」だと。
何がやっぱりなのかと聞くと、腹の中から一緒だったせいか、何か違うものを俺に感じていたというのだ。だから自分は聖女じゃないと確信し、気楽に「貴婦人教育ごっこ」を楽しんでいたと。
やけにノリが軽い気がしてたのはそのせいか。
ちなみに聖女の力は、魔を払う力だ。
もともここが霧に守られているとはいえ、強い魔物が紛れ込むことも二、三年に一度はある。
あの日、襲われかけたブレアを助けるため必死だった俺は、絶体絶命という瞬間にその力を出し、事なきを得た。この力のおかげでブレアを救えたのは嬉しいけれど、聖女って……女だろ?
ここはもう、ブレアがそうだったことにして嫁に行ってくれと懇願したが、姉は元々恋仲だったリブとさっさと婚約を決めてしまった。裏切者め。
――いや、嘘です。リブはいいやつなので、絶対幸せになるに決まってる。
残念ながら、俺は生まれつき女顔だ。そのせいか、女の子と仲良くなっても友達どまりだけどな。
きっと大人になったら、父さんみたいにがっちりムキムキになるし、そしたらモテモテだって信じてたのに、妃なんてやだ。
「えええ。でもぉ、フィンリーも頑張れば、その聖女の力で一回くらい妊娠できそうじゃない?」
姉たちよ。面白がるな、絶対無理だから。
俺は絶対美人の嫁さんをもらいたいのであって、嫁になりたいなんて、全然まったく思ってない!
「だいたい皇太子だって、そんな眉唾物の嫁を迎えになんて来ないさ」
絶対そうに決まってる。
代々そうだったように、家格の合う、綺麗なお姫様を迎えるに決まってる。
そう願っていたのに届いた知らせに目の前が暗くなった。
いや。きっと霧が阻んでくれる。
そう信じてたのに、皇太子ご一行はすんなり里に来てしまった。
もうやだ。
「だいじょうぶよ、フィンリー。お姉ちゃんたちがあんたが嫁に向かないいいわけを千は考えてあげたから」
信じてるよ、姉ちゃんたち!
***
(うわぁ、これが王族か。実物の迫力すげぇ)
ひなびた村の質素な小屋に、これほど似つかわしくない存在があるだろうか。
俺は笑顔の裏でダラダラと冷や汗をかきながら、目の前のきらびやかな人物の前にちょこんと座らせられていた。
ちらりと見れば、間違いなく高貴な人ですと言わんばかりの衣装に身を包み、穏やかにほほ笑む圧倒的美丈夫。
皇太子は俺と同い年だからまだ子供っぽさは残るけど、中性的かつド迫力の美男子だ。くっそ。
(やっぱり無理無理無理。無理だから! 緊張しすぎて、胃袋が口から飛び出しそうだって。姉ちゃんたち、ほんと頼むよ)
心の中では一目散に逃げたくなるも、晴れ着の裾を母にしっかり押さえられ、肩を長姉にがっちり握られた俺は、完全に捕らわれたウサギのようだ。
ううう。皮を剥がれないよう大人しくしてよう。
堅苦しいのは抜きだと、和やかに会話がはずむ。雰囲気は完全に宴だ。
もちろん俺は一切口を利かない。声変わりしてるんだ、さすがにバレる。
里の代表と、俺の家族。もてなしのために集まった人々。
好奇心でみんな目がキラキラしてるのを、皇太子たちは歓迎されてると感じてるだろうなぁ。
うん、こんな面白いことめったにないもんな。あとで泣いてやる。
ちらりと皇太子――名前はエメリーという――を見ると、いたずらっぽい目で見返されて不覚にもドキッとしてしまった。
ときめきじゃないからな? 絶対違うからな?
ただ以前、どこかで会ったことがある? そんな風に感じたのだ。そんなわけないのに。
エメリー殿下の楽しそうな表情に、ちょっぴり罪悪感で胸が痛んだのはそうなんだけど。
(俺が聖女の生まれ変わりだったとしたら、本当にごめんな)
お付きのものの話だと、聖女ロクサーナの話は代々受け継がれてきたらしい。こっちでは知りえない夫婦の話なんかもあって、昔話として普通に楽しんでしまった。
きっと、皇太子も生まれ変わって戻って来るから、年はそんなに離れないに違いないと信じてたって言うんだから、その
そんななか、姉たちが面白おかしくフィンリー武勇伝という名の失敗談を披露したり、いかに俺が花嫁に向かないかの言い訳を、それこそ千じゃきかないんじゃないかというくらい並べ立ててるのに、殿下は楽しそうにニコニコ聞いてるだけだ。
挙句の果てに、殿下本人から「二人で話せないか」と言われた時は、目の前が真っ暗になった。
(やっぱり自分で事実を言わなきゃいけないよな)
そう思ったはずなのに、目の前は本当に暗く、音もやけに遠い。
不思議に思っている俺を、誰かの温かな手が引っ張った。
ハッと気づくと、広間の隣にあるテラスに置かれたベンチに、エメリー殿下と二人並んで座っていた。なぜか笑いを含んだ目で見られ、思わず頬が熱くなる。
「フィンリー、会いたかった」
「いえ、あの、殿下……」
精一杯高い声を出すも、そんなに純粋な目で見られたらもう無理だ。
覚悟を決め、首に巻いていたスカーフを取って喉ぼとけをさらし、複雑に編まれた髪の一部をほどく。
「すみません殿下。俺、男なんです」
謝罪して、深く頭を下げる。
言い訳なんてできるわけがない。だましたのは事実なのだ。
緊張で冷たい汗が背中を伝う。
なのにいくら待ってもなんの反応もないので、恐る恐る顔をあげた。てっきり立ち去るとか、でなければ怒った顔がそこにあると思ったのに、実際には面白そうに微笑むエメリーの姿。
やがて彼はゆっくりと首を傾げた。
「そんなに、私と結婚するのは嫌?」
絶対そう思ってないに違いない、笑いを含んだ声。
まだ声変わりが完全に済んでない柔らかい声に、俺は思わず撃沈した。
王子様だもんな。誰でも二つ返事で了承すると思うんだろうな。しかも奇跡の二人。結ばれない選択肢なんてないと思ってるんだろう。
男だってばらしたのに絶対冗談だと思ってるんだ。クソ、この顔のせいか。
はああ。聖女ロクサーナ。
あんたが夫を大好きだったのも、新婚早々でお別れだったのも無念だったろうけど、生まれ変わってもそれは別人だろ?
彼だって俺と同じく、可愛い女の子の方が好きなはずだ。
「フィンリー?」
「すみません殿下、俺は――」
そう言いかけて、強い耳鳴りに言葉が止まる。
脳内でなぜか(さすが俺の子孫だな、やっぱり血だな)という言葉が浮かび、思わず首を傾げた。その瞬間、自分の口から「あっ」と声が漏れる。
(俺は聖女の生まれ変わりじゃない。聖女ではなく一人の女性としてロクサーナを愛した、ただ一人の男だ!)
「思い出した? フィンリー……ううん、殿下」
呆然とする俺を殿下呼びしたエメリーは、くすっと笑うと羽織っていたコートを脱いだ。それは肩に何か仕込んでいたらしく、驚くほど華奢な体が現れる。そのままするするとシャツを緩め髪を解くと、美しさはそのままなのに、まるで印象の違う人物がいた。
「え?」
間抜けな声を漏らした俺に、エメリーは少しすねた顔をすると、次の瞬間ぎゅっと抱き着いてきた。
「え、あの、殿下? ええ?」
その甘やかな感触に、頭の芯がぼーっとなる。女所帯で育ったんだ、何か色々巻きつけてたって、この柔らかさをこの細さを、この甘い何かを間違えるわけがない。
「お、女?」
皇太子は女?????????
ということは、ここにいるのは皇太子の偽物? と考えたものの、それは少し違うと言われる。
「わたしは第三王女のエメリーよ、今はね。昔からそのとぼけたところは変わらないのね、殿下」
殿下は貴女でしょうと言いたいけれど、この少し癖のある呼び方は覚えがあった。
「まさか、ロクサーナ?」
「あたり。会いたかったわ、あなた」
再び抱きつかれ呆然とする俺の周りに、やんやとはやし立てる姉たちが現れる。意味が分からずきょろきょろする俺に、ブリスが「落ち着きなさい」と呆れたように言った。いや、無理だろ。
「エメリー王女は、約束通りあんたのそばに戻ってきた。それだけのことよ」
「いやいやいや。それだけって」
「それだけなの。難しく考えるな、フィンリーのくせに」
「くっ」
末っ子のさがで、姉たちにビシッと言われると逆らえん。
それでも頭の奥にいた昔の俺が、そろりと頭をもたげた。
かつて皇太子だった俺と、その妻だったロクサーナ。
彼女は死の直前、俺に聖女の力を分け与えたことを思い出す。
「だが、ちょっと待て。まさかと思うけど、姉ちゃんたち、知ってたのか?」
じろりとねめつけても、まるで怖くないとばかりに流されたが、それで確信した。俺はかつがれたんだ。
よく考えればそうだろ?
皇太子の嫁になれないなんて、俺が男の姿でいれば一発で通じたことじゃないか。
当たり前みたいに女装させられたけど、あれもこれもみーんな、姉ちゃんたちに遊ばれたんだと、遅まきながら気づいた。
「ひでぇ」
「あんたが鈍いだけよ」
母さん、そんないい笑顔で。
聖女の生まれ変わりが王女で、皇太子の生まれ変わりが俺だということに、一番先に気づいていたのはブリスだった。なのに自覚のない俺に教えても意味がないと、かなり前から俺以外の家族に相談していたという。
王都に行き、どういう伝手なのか王女と話す機会を得た長姉は、そこで王女自身に前世の記憶があることを知った。逆に王女は、長姉の兄弟に皇太子の生まれ変わりがいることを察知したという。
なのにこんないたずらを仕掛けることを王女たちが協力することになったかと言えば、もし俺が思い出さなかったら、何事もなかったように帰るつもりでいたからだという。国王陛下も承知のことだと。
それを聞いて、俺の胸が切り裂かれそうなほど痛んだ。
やっと会えた彼女と離れるなんて考えられなかった。
今まで彼女なしでどうやって生きてきたのか分からないほど、激流のような想いがあふれ出す。
「ロクサーナ……いえ、エメリー殿下」
のどがカラカラになる俺に、彼女は「エメリーと呼んで」と微笑む。こんなに綺麗な女の子が、どうして男に見えてたんだ。
過去の自分と今の自分が入り混じる。楽しそうに見守る家族の前で勢い余って求婚しそうになるも、エメリーの伸ばした人差し指で唇をそっと抑えられた。
「まずはドレスを着替えましょう。話はそれからね?」
その瞬間、まだドレス姿だったことを思い出した俺は地面深く潜りたくなるも、優しいエメリーに励まされ、どうにかしきりなおす気力を得る。
第三王女が天女の里の一員となるのは、それから少し先の話。
fin
☆おまけのその後
姉たち「ねえ、本当にあの弟でいいわけ?(王都には美男子があふれるほどいたわよ?)」
エメリー「もちろん。昔もとぼけたところはあったけど、今はそれに可愛さが足されてたまらないわ(⸝⸝⸝´꒳`⸝⸝⸝)テレッ」
姉たち
(たしかに可愛いけどね)
(遊びがいはあるわよね)
(このコ、のりよくいたずらに付き合ってくれただけあるわ)
(王女様の前で、精一杯かっこつけてる姿は微笑ましいわね)
(ま、なんだかんだでこの子も可愛いわ。さすが弟の嫁)
「わたしたち、あなたと姉妹になれてうれしいわ(にっこり)」
聖女らしいですが、皇太子殿下と結婚とか無理ですから! 相内充希 @mituki_aiuchi
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