第4話 御家芸(3月22日)
ワールドベースボールの決勝が行われ、日本はアメリカを下し、十四年ぶりの優勝を手にした。
文字で書くとなんとも無味乾燥となるが、実際には九回突入時に戦々恐々として風呂に入ったというほどには興奮とも不安ともつかぬ感情を抱えながらのひと時である。
風呂から上がって結果を見て、吐いた溜息はどこか甘い。
どこぞの海にでも流したと思っていた「愛国心」らしきものが自分にもどうやらあるようだと苦笑し、心地の良い一日を始めた。
ここで終われば普通のエッセイなのであるが、ここで気にかかったのは日本における野球の占める位置である。
昔は「巨人・大鵬・玉子焼き」と言われ、相撲と共に子供から圧倒的な支持を受けていた。
それがプロスポーツの多様化によって往時の勢いは……と言われる中での熱狂である。
一方、私の愛する大相撲は横綱・大関の不在もあってか影が薄い。
この差はどこにあるのだろうかと、世界大会を前にして考えさせられたのである。
よくよく考えてみれば、野球の生活への浸透度は深い。
例えば、地上波のテレビ放送の多さがあるが、これだけでは私のようにテレビを見ぬ人間には当てはまらなくなってしまう。
また、放映時間の量を考えれば公共放送での大相撲中継も負けぬのではないか。
それよりも日本語で使われる割合の高さの方が、生活との密着を表している。
アウトやセーフという言葉は日常でも使われるが、レッドカードや
ゴールやシュートという言葉は浸透したように思うが、ヒットやホームランなどを含めていくと、抵抗なく使う言葉のなんと多いことか。
あとは、比較的にしてもゆっくり見られるというのが大きいのではなかろうか。
攻守が明確に分かれ、その切り替えに合間があり、途中で休憩を挟みやすい。
酒飲みなどはこの合間に用を済ませ、酒とつまみを補充できるが、サッカーではそのチャンスが五十分ほどない。
その間、緊張感を保ち続けて見るのは少々酷に感じてしまう。
ただ、それよりも大きいのは社会に愛されてきた歴史の長さが最も大きいように思う。
馴染みの店に行くと安心するが、それと同じような感覚が野球にはある。
気付かぬうちに日本人というのは、野球に慣らされてしまっている。
国民的なアニメでも野球がさり気なく登場する。
決して、特別なものではなく、日常の一部として浸透しているのだという印象はこのようにして植え付けられたのかもしれない。
それを限定してしまうのであれば少々問題であるが、多様性の根っこにあるのであればそれは面白いように思う。
嫌いであっても別によいが、そうした共通の言語として扱われるという名誉に浴するのが野球というものなのだろう。
そのような作品をいつかあ書ければと思うのは、何とも憐れな羨望であるが、願だけで終わってしまうのが市井の人間である。
伝説となるような人間はそこに必要なものを分析し、前に進む。
成程敵わぬなと笑いながら、少々いただいた勇気を使わせていただくこととした。
【食日記】
朝:ヌク
昼:菜のお浸し、味噌串カツ、鶏皮串3、辛口鶏皮串、ウィスキーソーダ2、芋の素揚げ、アロスティーニ、ボロネーゼ(ペンネ)、ティラミス、レモンチューハイ2、珈琲
夕:日本酒三種、鮭の塩辛、鮭とば、漬物、たこ焼き(何もなし、塩山葵)、ハイボール3
夜:ハイボール4、温ビシソワーズ、ミックスナッツ
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