第2話 蟲毒の地獄(3月18日)

 市中引き回しという刑があった。

 これは死罪以上の重罪を働いた者に、市街に見せて回ってからさらに罰を加えるというものである。

 日本では時代劇で有名な形かと思うが、世界でも同様の罰が加えられたところもあった。

 実行する警吏側は一日がかりの歩き仕事に嫌がったというが、見せしめという目的のために参加せざるを得なかったようである。


 磔刑や火炙りもまた公開処刑で行われることが多かったが、これには多くの見物客が押し寄せた。

 これはあくまでも近世までの話と思っていたが、イタリアのムッソリーニとその愛人が殺害された後には、逆さ吊りにされた遺骸を見に多くの人が訪れたという。

 それに石を投げた人もいたという話も耳にしたが、これは独裁者とされた人物への怒りの大きさを物語る逸話なのか、それとも民衆の性格を物語るものなのか分からないでいる。


 近頃は店で迷惑行為を行い、それを動画に残した者を寄ってたかって叩きかかるのが流行っているようだが、これも似たような話であるのかもしれない。

 無論、迷惑行為を働く人間が悪いには悪いのだが、正義のお立ち台で罵詈雑言を吐き続けるのはそれほど愉しいのだろうか。

 確かに、自分の正義を信じて一方的に攻撃するのは楽しい。

 ゲームなどで敵を蹂躙じゅうりんするのを止められようはずもなく、はたと過ぎた時間に思いを馳せて呆然とすることもある。

 現実にはこの魔物にも、父があり、母があり、友人があり、私などとは違って悲しむ者もいるだろうに……と悩むのだろうが、電子の海と高を括れば何も苦しいことはない。

 成程、大上段に構えた私にも残虐性という言葉は確かにあるようだ。


 なぜこのような話をするかといえば、私が欠かさずに読んでいるウェブ漫画で主人公を貶し、軽視した人物が痛い目を見る局面に至ったためである。

 驕れる人も久しからず……をなぞろうとしているのかは分からぬが、主人公を追放ないしは辞めさせてしまったパーティーが転落する話は多い。

 確かに目立たぬ有能な人物の欠けた職場や会社は悲惨なものであるが、それを空想でも見たいというのだろうか。

 不当な扱いを受けていた人物が幸福を追い求めていく姿を見ていくのは前向きなものであるが、元の鞘の転落を見るのは少々後ろ暗いように思う。


 スキャンダルにせよ懲罰にせよ、なかなかに庶民は嗜好をしているようだ。

 ただ、そればかりを追い求めていては成長は止まってしまう。

 自分をよくしようと研鑽する姿勢は、前だけを向いて盛り上がる空気感というのは、社会の発展に繋がるのかもしれない。

 一方で、共に貧しく、貶めてきた者達を奈落へという空気感は何をもたらすのか。

 「失われた○○年」とは単純に経済の話だけではないのかもしれない。


 なお、前述の漫画には元になった小説があるが、後に元の仲間との関係を公開して自分の行いでも運命を変えられたのかもしれないと後悔する。

 それと巻き起こる惨劇も含めて、


「これからが本番ですね、色々と」


というコメントを残したのだが、これに多くの「いいね」が付いたのはその先を見据えてのことだろうか。

 それとも、単に「天罰」なるものが下るのを期待してのことなのだろうか。

 

【本日の食日記】

朝:ファミチキ

昼:和風ツナマヨおにぎり

夜:焼売、豚肉と厚揚げの焼肉炒め、ウィスキーお湯割り4

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