第4話 小さな淑妃の誕生

 玉彗琳の住まいについて。「猫猫」のお店から渓流沿いに歩くと、四阿が見えて来る。そこには貧民街の巣窟と言われる住宅街(と言えるのかは謎ですが)の空き家が玉彗琳が住まいとするあばら家である。


「……泥だらけですね。いま、準備しますね、すばる」


 建付けの悪いドアを壊さないように軋ませて、玉彗琳は少年すばるを家に連れて来た。陽はすっかり傾いていて、蒼龍の像を夕陽がオレンジ色に照らし上げている。


 その翡翠が反射して、少し眩しいのですが。


「……ボロ」

「ええ、ボロ屋です。あの、奥の部屋はまるで使えないので、走り回らないでくださいね。木材が降って来るんです」

「家に帰りたい」


 ごもっとも。


 玉彗琳の気にしない性格は王宮では重宝されたものである。淑妃が「きゃー!」という走り回るアレとか、窓から入って来るたくさんの蚋(ぶよ)とか、玉彗琳は「あらあら」と言いつつ、難なく捕まえてしまうからだ。

 当然、お亡くなりの遺体を見て「きゃー」などと言わないが、一つだけ苦手なものがある。家を忘れたカタツムリ、である。


「家とはどこなんですか」


 お湯をたくさん貯めたたらいを置きながら、玉彗琳は優しく聞いた。唯一無事な椅子に座った子供は「とおく」とだけ答える。


「遠く……歩いて来たの? お父さんとお母さんは」

「王宮に連れていかれた」


 玉彗琳は布を絞ると、子供の汚れた顔をそっと拭き始めた。ちょっと嫌がる子供の顔を綺麗にすると、今度は「ちょっと熱いですよ」とある程度の熱さのお湯をドバ―。


「目を閉じていてください」子供は目を閉じてお湯を被りながらも、肩を震わせている。綺麗に泥が落ちると、髪は茶色ではなく、薄いグレーであることが分かった。鴉は遠出をするから知っているが、遠い民族の風体だ。それも、蒼龍王族の前の王朝の……?


「あ、ご飯ですか。ちょっとお待ちください。昴、餌が切れたので、今日は外でお願いします」


 ばーん!と窓を開けられては飛ぶしかなさそうだ。まあ、外で木の実でも齧るしかないだろう。元は皇太子の飼い鴉であることももう忘れたほうが良さそうだった。


(いってきます)


 振り返ると、子供、すばるが興味深そうにこっちを見ていた。右の翼を振ると、すばるは頬を染めて、可愛らしい手を振った。


 ほらみなさい。やっぱり少女です。ご主人様。


 ぷるぷると頭を振る子供の上に、綺麗な麻布をかぶせて、玉彗琳は髪の雫を丁寧にふき取ると、布を手渡した。


「どこかにどなたかのパンツが……」


 再び鴉の出番です。ご主人様、その子は少女です。


 すーっと飛び回って、昴は天井の近くの桟に足を止めた。「カァ」と鳴くと、子供は手を叩いて喜んでくれた。(ごめんなさい)と謝りながら低空飛行し、子供の長めの長服めがけて飛ぶ。


「わあ」裾を翻した瞬間、真っ赤になって裾を押さえた子供に、玉彗琳はやっと気がついたらしい。


「あなた、女の子ですか」


 ふむ、と驚きは一瞬で忘れた様子で、「確かわたしのおさがりが」と探し出した。


(任務完了。夜の見回り行ってきます)


 玉彗琳はあったあったと独り言ちながら、小さめの着物を見つけ出し、少女の側に戻った。


「女の子が、そんな泥だらけではお嫁の貰い手がなくなりますよ」


 すばるは目をぱちくりして、「これ、私が着ていたものです」と洋服を受け取った。少し背が低いので、すっぽりと上着をかぶせて、帯紐でたくし上げて、ばさばさの髪は可愛い簪で軽く上げてあげる。

 

「あらまあ、わたくしは、どこのお姫様を拾ったのかしら、おかえり、昴」


 もともと育ちが良いのか、すばるさんはそれはそれは可愛らしい小さな淑妃に変身したのだった。「これもつけましょう」と王宮の淑妃とのやり取りを懐かしく思い出して、紅を取り出す玉彗琳なので、ありました。


 だから、ご主人様は本当は優しいんです。それでは、何が起こったのか、この昴がお話させていただきましょう――。

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