第2話 料亭の少年①
――妓楼街。そこは蒼龍国の外れに位置する。しかし、隣国との国境には美しい国花「汪玉桜」がずらりと植えられて、この時期は「花筏」を楽しめる土手もある。玉彗琳が好む料亭『黄龍館』は名前こそ立派だが、暖簾はもういつ倒れるか分からない上、夏に訪れる水風のせいで門はひしゃげており、爛漫な店主のお陰で手入れを忘れられた庭はうっかり生えてしまった雑草を取ることも出来ない。
「こんにちはぁ」
しかし、ご主人様、玉彗琳はそんなことは気にしない。以前も王宮の処罰で永劫(牢屋のようなもの)に入れられた時でさえ、普通に寝てしまう豪傑である。
それもそのはず。玉彗琳は元は、皇太子付の武官……
はいはい、と奥から後宮の衣装を着込んだ女性が顔を出した。
「あら、こんにちは。なに、そのお札」
「そこで親切なかたがくださったので、またお茶でもと」
ホホホと笑っていれば美人だが、昴は知っている。玉彗琳は必死で相手を締めあげた時に付着した血液を裾を引っ張って隠して座っていることを。鴉の目線は高いのである。
「彗琳、いつまでこんな場所にいるのよ」
店主がいつもの飲茶セットを運んで来て、唯一無事なテーブルに置いた。旦那を亡くしたまま、女手できりもりする店であるが、ここ、妓楼街には圧倒的に女性が多い。男性といえば、子供かおじいさん。
「鴉ちゃんには何がいいかしら」
――これはこれは。昴にまで食餌を置いてくれた店主はにこりと微笑むと、上手い具合に上げたほつれた髪を揺らして見せた。
この店主も昔は、ブイブイ言わせていた(玉彗琳談)大層な美姫(びき)だったと聞く。玉彗琳とは親友の間柄だった。先に彼女は婚約話で降嫁許可でお暇となり、続いて玉彗琳が「飯がまずくて」後宮を抜け出したわけで。
さっそくアツアツのどんぶり拉麺が運ばれて来た。「これこれ」と玉彗琳はカツアゲした札を置いて食事にありついた。
「やっぱり、ここの汁飯は最高よね。王宮なんぞより、ずっと美味しいです」
歴代で「王宮の飯が不味い」理由で追放を食らった武官はいない。それも、玉彗琳は策士である。彼女は「いかにして穏便に王宮から追放されて自由に暮らせるか」に実に二年半をかけて計画をして来た。
死罪になっては意味がないからだ。それには自分を正当化し、交渉に持ち込むこと。それには皇太子の弱みを上手く見つけ、対等に穏便に話をつけて手打ちとすること。蒼龍一族に睨まれないような「示談」の案件を作る事。
玉彗琳はある日もある日も考え続けた。その結果は芳しいものだった。
――でもな、ご主人様。それは外道と言うんです。
鴉は言葉は分かるのに話せない。いつか、神様に逢えたら「玉彗琳と話したい」と願うつもりだが、そもそもこの国の神とは蒼龍一族である。
「彗琳。お代足りないけど?」
「庭の雑草引き取るわよ」
また肉体労働か。体力付けなきゃと玉彗琳はお椀を持ち上げると一気に啜って、残った具をあっという間にかきこんだ。後で、店内を見回して目を細める。
「また、ボロくなったけど、やつらが来たの?」
「ショバ代なんか払う気ないからね」
麗しい女性がボロ屋で拉麺を啜った挙句、「ボロ屋」だの「ショバ代」だの聞かされてると鴉でも悲しくなってくることを二人はきっと知らない。
いつだったか、玉彗琳は王宮で「おまえはいいわね」と話しかけたことがある。煌びやかな衣装を手抜きもなく着て、皇帝の朝には貴族の妃、貴妃と淑妃と共に武官も並び、皇太子含めた蒼龍国の皆様をお見送り。それから各種の配備につき、午後は皇太子の武道訓練の大師と共に日が暮れるまで武道に付き合い、夜は腕が立つ武官はそのまま女性の後宮の夜見張り。なかなかにハードではあった。
しかし、その多忙な日々にあって、玉彗琳が何かを羨む言葉を出したのは、至極興味深い。
それが例え鴉が相手だとしてもだ。
「さて、ごちそうさま。猫猫(ミャンミャン)、壁を蹴りぬくけどいい?」
いや、ご主人様、それはだめでしょう。
「はは、この店ももう終わるから構わないわよ」
「そうはさせません。あの破落戸は全員肩の骨でも外してやるからね」
玉彗琳は背が高くて偉丈夫である。その上で、腹黒い――というのが鴉の所感。伝統武術の構えを見せたところで、玉彗琳は目を外に走らせた。「何かを見据える獲物の眼だな」そんな風に言ったかたが居る。
蒼龍国の4子皇子、玉彗琳が武道を教えていた末っ子王子だ。
「悪いけど、このお椀貰っていいかしら」
「いいわよ。欠けているからお客様には出せないのよ」
どこまでもボロい店である。それでも、玉彗琳は猫猫がこの店を護って来たかを知っている。そして、自分が居れば、破落戸が来ないことまで計算して、毎日毎日尋ねているのだ。
本当は、優しいんです、ご主人様は。鴉は優しくなければ離れますから。
「でやっ!」
お椀の回し蹴りが壁――ではなく、道で走っていた少年にさく裂した。スコーン!といい音を響かせて、少年が前のめりに倒れた。玉彗琳は素早く走ると、その少年の襟首をつかみ上げた。
「妓楼街で狼藉すると、私が蹴りますよ」
「もう、蹴ってるじゃないかっ!」
「これ」
と玉彗琳は落ちた高級な手鏡を拾った。
「落としましたよ」
「あら」後宮のお忍びらしい二人は御礼も言わずに「だから嫌と言ったのよ。皇太子も無茶を仰るわ」「妓楼街のどこかにいるって話よ。鵜呑みにしてわたし探しまーすなんていうからよ」
「人探しですか?」
「――……王宮のかつての腕利きの星詠みの妃を探せと後宮の妃に御命令よ。よりも酔って男性が入れないこんな場末の」
お喋りが過ぎた、と女性たちは去って行った。
「ふうん、王宮の、星詠みねぇ……今更なんの用事があるのやらだわ」
玉彗琳は興味なく呟くと「アナタはこちら」と捉えた少年を担ぎ上げて店(らしきボロ屋)に戻るのだった。
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