中編

 馴れない家事を押し付けられ、初めは渋々従っていた義妹でしたが、そばで妹が見本を見せ根気よく教えたおかげか、少しずつ慣れてきたようでした。

疲れて帰って来た母と私の食事が、冷めたスープとパンひとかけでも、妹と義妹も同様の食事を摂っているのがわかっていましたので、同じ苦労を分け合い本当の家族になれたような気もしました。


 ですが、しばらくして妹が浮かない顔で私の部屋に来て言いました。「あの子の繕い物が最近急に上達して早くなった。夕飯の量が私よりも少なくて、日によってはまったく口にしない日もある」と。

「もともと習い事が得意だった子なのだから、コツが掴めたのでしょう。夕飯をあまり口にしないのはあの子なりに気を遣っているのかもしれない。倒れてしまったら大変だから、私から彼女にそれとなく言ってあげます」

それだけ言って、私は妹に早く寝るように促しました。

妹はまだ何か言いたそうな顔をしていました。

贅沢しか知らなかった義妹が、文句を言わずにやっていることを密かに感心していた私は、妹と義妹との微妙な関係を表に出さないよう、軽く窘めただけでした。


 それから数日して、私は職場で軽いめまいを起こして倒れました。

厨房で働いていた料理長が見つけ、今日はもう家に帰りなさいと言って、いつもと同じ分の賃金を手渡す心配りまで頂きました。

ふらつきながら家に帰る道すがら、小さな歌声が聞こえてきました。

儚く透きとおった美しい声。

その声のする方向に向かっていきますと、林の入り口、小さな川のほとりの大岩の影に、腰を掛けている男女の姿が見えました。


 仲睦まじく笑いながら、男は手元に視線を落とし、女が空を仰いで歌っています。

恋人同士でしょうか。

ときどき男が顔を上げ、女の顔を見つめながら、首元にかかる金の髪を触ります。

女は微笑みながら男を見つめます。

女――彼女は義妹でした。

楽しそうに歌い、ときどき男の耳元で囁く。

よく見ると、男は仕立て屋の丁稚をしている男でした。


「料理も洗濯も、こんなにいっぱいの繕い物まで君一人にさせるなんて、お姉さんたちはどうかしてるよ」

男はそう言って、彼女の髪を触りました。

「そんな風に言わないで。私、針仕事とかしたことなかったから、嫁入り前のいい練習だってお姉さまがたはおっしゃってたの」

「そんなこと言ったって、こんな量を一日でこなせなんて、少し異常じゃないかな」

「そうなの? 嫁入り前の娘はみんなこれくらい簡単にこなせる。できなきゃおかしいって毎日言われていたから……」

「それ、あまり正しい情報じゃあないかな。君は素直で優しいから、いいように使われてるんだよ」

「まあ、そんなことおっしゃらないで。お姉さまたちはご厚意で……」

「もう、君って人は。本当に天使みたいに綺麗で優しくて、可愛いんだから。早く僕のお嫁さんにして、幸せにしてあげたいよ」

男はそう言うと、義妹の額に口づけをしたのです。


 私は驚きと怒りで声を上げそうになるのを辛うじて堪えました。

私たちが彼女一人に押し付けている?

なんてデマを吹き込んでいるのだろう。

大量の繕い物も、一人でやり切れなどと言ったことはありません。

妹と義妹の二人で家事を分担してやるように言っていましたし、繕い物に関しては、母と私も家にいて可能な限りはこなしておりました。


「そんなに痩せ細って、ご飯もまともにもらえてないの? そんな状態で完璧にやれなんて、君のお義母さんは悪魔だよ」

男はしばらく義妹をなだめる発言をすると、愛おしそうに彼女の肩を抱きました。

「あーあ。このままこうしていたいなぁ……」

「だめよ。お仕事忙しいのでしょう?」

「そうだよ、最近礼服の注文が増えてさぁ。近々、国王様のお城でパーティーが開かれるらしくて、貴族たちが一斉にかけこんできたんだ。王子様の成人祝いだと言うけど……近隣の貴族全員に声をかけてるらしいよ。君のとこはそんな余裕ないから、知らされてなかったのかな」

「そうなのかしら……」

義妹は美しい顔を俯かせました。

「そんな悲しい顔しないで。きれいなドレスを着るくらいだったら、僕が店からこっそり見繕えるよ。……お城は無理だけど、内緒で踊るくらいだったら僕が付き合ってもいいし」

男はそう言って、彼女の瞼に口づけを落としたのです。

それ以上は見ていられず、黙って立ち去りました。


 こんな場面さえ知らなければ『熱心に仕事をこなしてくれてとても助かっています。食が細くなってきたようだから、根を詰めず、ちゃんと食べてちょうだい』と言えたのに。

彼女に対して姉らしい振る舞いが初めてできると、どこかで期待していた自分が惨めでした。

家に帰った後も、悔しさが収まらず満足に眠れませんでした。


次の日、私だけ母に呼ばれると、舞踏会の招待状を見せられました。

「王子様の成人祝いだと書いてあるけど、招待されているのが独身の娘を持つ貴族ばかりなの。これはお相手選びを兼ねていると思うのよ」

母はそう言ってため息を吐きました。

「あなた達はあまり社交界が好きではないみたいだけど、こういう機会を逃してしまうのはもったいないわ。いままで切り詰めていたけど、こういう時のために貯えていた分もあるのよ。あなたたちに恥をかかせないために」


 母の言葉に、私は思わず涙をこぼしてしまいました。

私も年頃の娘です。

社交界デビューがうまくいかず、苦い記憶があっても、きらびやかな世界には人並みの憧れがありました。

きれいなドレスが似合わなかったとしても、やっぱり袖を通したい気持ちは隠せません。


 私の前向きな意向を確認した母は、妹と義妹も呼び、招待状の話をしました。

妹は舞い上がり、静かに聞いていた義妹もわずかに頬を緩めて微笑んでいました。

その日から、仕事の合間の時間を見繕ってドレスの採寸を始めました。

出来上がったドレスは、以前作った最上級品には及ばないものの、上品な仕上がりになりました。


「お姉さま、これではあまり映えないのではないでしょうか」

当日になって義妹は、少し不安そうな顔で姿見を何度も確認していました。

「貯えといってもそんなに余裕がないのよ。今の私たちには充分よ」

私はそう言って、借りてきた馬車に乗り込みました。

馬車のお金もあまり出せなかったので、豪華なものではありませんでした。

ぎりぎり、家格を保てる小さくて地味な作りでした。


「私、残った仕事を済ませてから参ります。先に行ってくださいませ」

馬車を見た義妹はそう言うと、家の中に戻って行きました。

母は時間に間に合わなくなるから後でも良いと言ったのですが、彼女は出てこなかったので、私たちは三人でお城に向かいました。


 お城に着いた私たちは、緊張しながら王子様に挨拶する列に並びました。

妹は顔を赤らめながら周囲を見渡し「あの子は来ない気なのかしら」と囁きました。

以前、川辺で見た義妹の姿を思い出していた私は『恋人のことがあって、辞退したのかもしれない』と考えました。

今は惨めな生活でも、伯爵の爵位がある以上、平民男性と将来を約束しているなど、軽々しく言えないのかもしれないと。


 来場者全員の挨拶がつつがなく終わり、ダンスが始まると、会場にいた女性たちは一斉に色めき立ちました。

誰が指名されるのか、ソワソワしながら扇越しに視線を投げかけていました。


 数人の娘たちが声をかけられ、順番にお相手をしていたとき、閉まっていた会場の扉が開かれました。

遅れて入って来た女性は、美しくお辞儀をした後、艶然と微笑み会場の中央まで進み出ました。

その場所が、最初から自分だけの場所であるかのように。


 堂々たる彼女の姿に、私たちだけでなく他の人間も釘付けになっていました。

彼女の姿を見た王子様は、全身を雷に打たれたかのように固まると、足早に彼女の前に来て手を差し伸べたのです。

初めから約束していたかのように。


そのあとはもう、二人の独壇場でした。


「あの娘は、どこの家の者だろう」

「あつらえから見て、相当な家の人間だ」

人々が口々に噂します。

隣にいた妹は口をあんぐり開けて言いました。

「あの子かと思ったけど、あんな立派なドレス、家では用意できないわ。雰囲気も違う」


 教会の鐘楼の鐘が聞こえた時、踊っていた女性はダンスの途中でお辞儀をし、会場から立ち去って行きました。

取り残された王子様はあっけにとられ、急いで後を追いかけると、会場は騒然となりました。


 圧倒的な美貌と、圧倒的な財力だけが見て取れた彼女。

見ていた私たちの心に、彼女の面影が色濃く刻みつけられました。


 家に帰ると、煤だらけの義妹が暖炉の傍で眠りこけていました。

「どうして来なかったのですか。そんなところで寝ていては、風邪をひいてしまいますよ」

母は少し呆れたように言うと、彼女の身体についた煤をはたき、優しく寝室に連れて行きました。

彼女はなぜ煤だらけなのでしょう。

私と妹は顔を見合わせ、お互いに何か言おうとしましたが、身体を締め付けるコルセットをほどきたい欲求が勝り、寝室にかけこみました。


 翌日、義妹になぜあんなところで寝ていたのか聞いたところ、「暖炉の中に母の形見の指輪を落としてしまい、必死で掻きだしていたので汚れてしまいました」と微笑みながら答えました。

形見の指輪など初めて聞きました。

財産管理のため、彼女の持ち物を一通り確認はしていましたが、私たちが彼女の物を積極的に売るようなことは致しませんでした。

形見の品なら大切に保管していた気持ちもわかりますが、今まで隠されていたのかと思うと、少し嫌な気持ちがわきました。

私たちはそんなに信用されていないのか、と。

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