告発
百舌すえひろ
前編
――あんなに嫌な女はいません。
あの娘は、最低、悪質です。偽善者で傲慢です。
見てるだけで虫唾が走るのです。
同じ空気を吸ってると思うだけで、許せないのです。
すみません、興奮してしまいました。
あの娘は毒です、害悪です。
野放しにしてはいけない人間です。
そばにいる人間をあんなにも不快にさせるのは、天性の才能だとしか思えません。
あの子は、妹です。
妹と言っても、私の母と、あの子の父親が再婚して家族になったので、義理の妹になります。
私にはもともと二歳下の妹が一人おりました。
義理の妹は私の五歳下、妹からしたら三歳下になります。
男爵だった実の父が亡くなってからは、母は女手一つで私たち姉妹を育ててくれました。
どんなに困窮しようとも、男爵であった父の誇りを汚さぬようにと、私たちは品位を保ちつつ、身の回りのことは自分でやるように最大限の努力をしてまいりました。
伯爵の地位にあったあの父と再婚したことで、やっと生活のゆとりが持てるようになったのです。
ですが、彼女からしたら私たちは身分の低い人間です。
出会ってから今日まで、どれほどあの子に見下されたことか。
どんなに失笑されたことか。
ああ、もう、いやだ。
堪えられるところまでは、堪えていたのです。
思い返せば、母が初めてあの家に私たちを連れて行き、あの父娘と対面した時のこと。
「これからお前たちの新しいお父様と妹になるお方だよ」
その時の母の顔を、今でも忘れられません。
三人で暮らしていた時は、日銭の勘定でその日の遣り繰りに頭を悩まし、眉間の皺が跡にならないかと、こちらが心配になるほど苦労していた母。
その母が久しぶりに見せた、晴れやかで美しい笑顔。
「お父さま」と、妹がおずおずと口にすると、
「やあ、なんて可愛らしいお嬢さんがただ。二人ともお母様に似てべっぴんさんで、とても賢そうだ」と、きれいに蓄えたお髭を揺らし、お褒めくださいました。
妹はそのまま真っ赤になって下を向いてしまったので、姉の私がしっかり挨拶をしようと背筋を伸ばしました。
「これからお世話になります。母も私たちも、女ばかりで生活していた時間が長いので、多少なりとも自分たちのことは自分でするようにしてまいりました。もし、なにか足りないことがございましたら、どうかおっしゃってください。こちらのお家に相応しい人間になれるよう、精進いたします」
眼の前の父親となる人は、一瞬目を大きくしてから肩を揺すって頷かれました。
その隣に佇む義妹となる女の子――その可愛いさはまるで天使かと思うほどです。
隣の父親に目くばせすると、小さく笑いました。
その笑顔がまた、可憐なこと。
私たち母娘は、あんなに可愛いらしい生き物を見たことがありませんでした。
同じ女の性でも、こんなに輝きが違うのかと――
その日、初めて用意された自分たちの部屋を見て驚きました。
今まで使っていた家具より、格段に高価で上質な物ばかり。
ふかふかの布団に包まると、『ああ、これからは母が私たちに隠れて泣き声を押し殺していることを、知らないふりする必要も無くなるのか』と心底安心していました。
善い人と巡り逢ってくれて良かった。
素敵な妹ができて嬉しい。
私たちは本気で感謝していました。
翌日から、私たち母娘は必死でした。
新しい家族としきたりに早く慣れようと、あらゆる教育を受けさせていただきました。
何事もそうですが、きっかけなど些細なことです。
越してきてから間もない晩、ディナーの席で妹がスプーンを床に落としました。
妹は少しバツが悪そうな顔をした後、すぐに席から立ち拾ったところ、父が一瞬眉を顰めたのを見て、しまった、と私は思いました。
部屋の入口に待機していた召使が、妹に近寄るとスプーンを取り上げ、新しいものをテーブルに置いて言ったのです。
「そのようなことは、私共にお任せください」と。
その時、義理の妹がクスリと笑い、父に目くばせしているのが見えました。
それを見た母と私は、下を向いて恥じ入りました。
三人で生活していた時は召使を雇う余裕もなく、日々の食事も簡素な物でしたので、正式なテーブルマナーを忠実に行うほど食事に時間を取ることもなかったのです。
その晩、私たち姉妹は父に謝ろうと書斎の前に行きますと、わずかに開いた扉から義理の妹の声が聞こえてきました。
「信じられませんでしたわ。カトラリーを落としたことを差し置いても、自分からお拾いになるなんて」
ころころと、鈴の鳴るような可憐な声で笑っていました。
「仕方ない。彼女たちは今まで召使がいなかったんだ。自分たちで身の回りのことをやっていたと、初めに言っていただろう」
お父さまの声にも、若干の笑いが混じっておりました。
「聞いておりましたけれども。そんなに困窮なさっていたなんて、想像できませんでしたから。それに、隣に座っていた上のお姉さまの顔ったらないわ。まるで動物園のお猿さんのよう。目を丸くしておどおどしていたわ」
「哀れな子たちなんだ。彼女たちはお前より年上だが、なにひとつお前より秀でたものを持っていない。それでもお姉さまと呼んで、大きな気持ちで接してあげなさい」
お父さまの膝の上に座った義妹は、まるで陶磁器でできた美しい人形のように輝き、二人は終始和やかに笑っていました。
扉の隙間から聞いていた私は青ざめ、隣にいた妹は真っ赤になって下を向いていました。
両手をぐっと握り締め、わずかに震えておりました。
可哀想な妹――
私たち姉妹は、その日から父と積極的に会話を交わすことはなくなりました。
義理の妹についても、どのような目で私たちを見ているかわかってからは、みっともないところは見せまいと、今まで以上に気を遣って接することになりました。
私たち姉妹は義妹についていた家庭教師から、こと厳しく指導を受けておりました。
社交マナーに語学、ダンスにピアノ。
そのどれをとっても、幼いころからやっていた義妹との差は歴然でした。
私たちは常に義妹の素晴らしさを目の当たりにしながら、馴れないお稽古に埋没しておりました。
爵位のある家の娘たちは、社交界デビューをする年齢というものがございます。
十八になると、良い結婚相手と巡り合うための社交の場に着飾って行くため、最初の顔合わせの場所とでも言いましょうか。
義妹が十八になった時、私たち姉妹は初めてドレスをオーダーメイドで注文する経験をいたしました。
下着姿で身体の隅々まで女性の職人に採寸されるというので、恥ずかしさで背中を丸める私に、そばにいた義妹は笑顔で言いました。
「まあ、お姉さま。なんて立派なお身体でしょう。肩幅も腰回りもしっかりしていて、とてもお丈夫そう。羨ましいわ」
私は同年代の娘と比べて背が高く、骨ばっておりました。
この家に来る前は、重い荷物を持って移動することも多かったため、肩が大きく張って、腰や腕も太かったのです。
ドレスをあつらえる時、鏡越しに見た職人が何度も首を捻り悩む姿を目にしました。
注文に馴れ堂々と立つ義妹は、全体的にほっそりして、肩もしなやかでした。
彼女はどのようなドレスでも優雅に着こなしてしまえますが、私のようにがっしりとした身体つきを優雅に見せるドレスの型はなかなかないと、困っていたのです。
ああ、また惨めな気持ちがぶり返してきました。
いまさらなんだ、女とはそんなちっぽけなことで恨みを重ねるのかと呆れられているのでしょう。
優美な女とは、意図してつくられるものでございます。
男の方は生まれてから男子たれと強く生きてこられるでしょう。
どんな男でも、男としての
女も生まれただけでは、女になれません。
女として成立するためには、自身の振舞を奥ゆかしくするだけでは不十分なのです。
女は、周囲の人間からその存在が美しいと認知されなければ、身体のつくりが女であっても、社会的には女でないのです。
そんなものはお前の思い過ごしだ、被害妄想だと思われますか。
ではあなたが女の装いをして街にでてみてくださいませ。
入念に化粧をし、肌の手入れをして美しい装飾品に身を包んでも、決して女としては扱われませんでしょう。
――男が女装したって女に見られないから当然だ?
いいえ、男性であっても女より麗しい方はおりますよ。
女はね、見た目の美しさ――その価値が男に周知されて、初めて女として大事に扱われるのです。
男の目に美しく映らない女は、存在自体ないものとされます。
特に、結婚相手を探す社交の場では。
私たち姉妹は義妹のついでに、美しいドレスを着て社交界デビューを飾りました。
……ですが、誰の目にも止まりませんでした。
壁の花。
殿方の誘いを待つばかりの、惨めで萎れた花。
一緒に来た義妹が次々と誘いを受け、軽やかに舞う姿を遠くから見ているばかりでした。
日々血の滲むように努力したダンスの成果など、ついに披露する機会は巡ってきませんでした。
しばらくして、父が病で亡くなりました。
母は葬儀のあいだ伯爵夫人として涙を見せず毅然に振舞っていましたが、黒いヴェールからちらりとのぞいた目は赤く腫れあがっておりました。
義妹は終始ハンカチを目元に当て、「お父さま、お父さま」と何度もつぶやき、棺に覆いかぶさるように泣いていました。
その哀れで美しい様子は、来賓のみならず教会の神父さまをも涙ぐませ、その場にいた人々の注目をさらいました。
私たち姉妹は、今後どうなってしまうのかと不安で胸が震えました。
父が亡くなってから、家のことを取り仕切っていた執事が母に家の財政状況を初めて伝えました。
私たち家族が来る前から、父は領地の管理に無頓着で、赤字だらけであったことがわかりました。
特に一人娘の義妹の物は最高級の一点ものが多く、それを当然のこととして何不自由なく過ごしていた義妹は、散財の元でございました。
彼女に悪気はありません。
当然です、当主だった父自身がお金に糸目をつけず伯爵としての品位を保つことに執心しておりましたから。
知らされていない彼女が、節約など思いもよらないでしょう。
母と私たちは、使用人すべてを解雇することを決断しました。
今ある財産の中で、父の部屋の遺品や管理しきれていない領地すべてを手放すことも。
それを知った義妹は、当然反対しました。
今まで通りの生活をしていては、全員が路頭に迷うことを母は丁寧に説明しました。
その時に発した彼女の一言は忘れられません。
「それなら、お姉さまたちの物を売ったらよろしいのではありませんか。お姉さまたちはドレスを着る機会も少ないでしょうし、お勉強もこれ以上は必要ありませんでしょう」
彼女は、社交界デビュー以降誰からも誘いを受けない私たちを哀れみ、見下していたのです。
それを聞いた妹は叫びました。
「これからは使った食器の片付けも、着る服の洗濯だって自分たちでしなければ生活できないのよ! いつまでもお姫様ではいられないの!」
その生活に多少馴れていた私たちと、想像もできない義妹との間の確執が、形となって出てきた瞬間でもありました。
その日以降、私たち家族は全員で身の回りのことをやるように徹底しはじめました。
母は街に出て繕い物の注文を取り、私は食堂の厨房で皿洗いや簡単な調理の手伝いを。
妹と義妹は家の中で家事全般をするように役割が決まりました。
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