いいわけ

はるノ

いいわけ

 ああ、やってしまった。

 現在、午前8時を少々過ぎたところ。

 どう頑張っても九時始業に間に合う気がしない。いや無理っしょ。

 軽く絶望しつつトイレを済ませ顔を洗い、物干しにかけっぱなしのワイシャツを引きはがし、いつもの倍速で着替える。

 いっそ休んじゃうか。

 親戚に不幸が、とか?

 いや。

 ああいうのって必ず総務に届け出さなきゃなんだよね。絶対バレる。

 親が急病で、とか?

 これはもっとダメ。ウチの部長と親父は大学の同級生だし、見舞いの電話でもされたひにゃ万事休す。

 通勤鞄を抱え、靴を引っかけて外に出る。鍵を閉めつつ踵を収める。

 言い訳は後だ。今はダッシュ!

 とにかくダッシュ!

 階段を駆け上がったと同時に快速電車がちょうど入ってきた。

 おっ、これギリで間に合うパターン?やったぜ!

 一番混雑が酷い時間帯だけどしゃあない。さてスマホの動画でも見るか……ん?

 何か視線を感じる。

 気のせいじゃない。右斜め向かいにいるパンツスーツの女子が俺を睨んでる。

 いや睨んでるというかアイコンタクト的な?

 マスクしてると目ってほんとに目立つよな。いやダジャレじゃなくてさ。 

 今時メイクの女子の目はくるくるよく動いて、俺のすぐ前にいるクソデカリュックのおっさん、その隣にいる女子高生を交互に一瞥し、また俺に戻ってきた。

 俺はスマホに目をやるふりで隙間からそっと覗いた。

 おっさんの手が女子高生のスカートの尻に貼りついてる。

 痴漢かよ。

 アイコンタクト女子の目は俺を捕えて放さない。

 いやちょっと待て。このクソデカリュックが邪魔過ぎて俺も身動き取れないんだ。

 俺はゆっくりと首を左右に振る。

 女子の目が尖る。

 違う違う、無視するわけじゃない。待て。

 俺は先週末に観たインド映画を思い出しながら、必死で目と首を動かした。

 そろそろだ。

 次に停まる駅はデカい車両基地があって線路が入り組んでる。よって、ものすごく揺れる。

 果たして車両はガタガタと細かく揺れ出した。

 まだだ。

 あと数秒後にキツめのブレーキを踏むはず。

 よし、今だ!

 俺は大きく揺れる人波に乗じて、目の前のクソデカリュックをむんずと掴み半回転させた。目の端に、あの女子が女子高生の肩を抱き俺とは逆方向に半回転させたのが見えた。

 痴漢野郎と女子高生は完全に離された。

 ヨシ!

 俺はクソデカリュックを掴んだまま、女子に満面の笑みを向けた。

 女子は無表情のまま、ゆっくり首を左右に振る。

 え?まだ?

 駅に着いた。

 俺はおっさんとともに車外に押し出された。おっさんに舌打ちされたけど、仕方ないじゃん混んでるんだから。

「はいちょっとごめんなさいね。貴方、此方に来ていただけますか?」

 耳元で知らないお姉様に囁かれて物凄くビビった。

「な、何を……」

 おっさんが焦りまくっている。そうか、俺じゃないよね。

「車内からアプリ経由で通報がありましてね。証拠の動画も一緒に」

 いうが早いか、駅のホームからガタイのいい男性二人がさっと現れておっさんの両脇を固めた。

「ご協力いただいたお二方も、宜しければ事情をお聞かせ願いたいので、一緒に来ていただけます?」

 お姉様は女子高生と並んで、俺はアイコンタクト女子と並んで駅員室へと向かった。


「で?」

「事情聴取って時間かかるんスね。初めて知りました。なんか色々書かされたし。連絡が遅くなったのは申し訳ないっス」

「誰がそんな話信じるんだよ。言い訳するにしてももうちょっと信憑性をだな」

「いやバリバリ本当ッスけど?警察の控えありますけど?」

「痴漢捕まえたことは疑ってないんだよ。何そのアイコンタクトって。まあいいや、午後からの新人研修は全部お前に任せたからよろしくな」

 そりゃ無茶ぶりってもんでしょうよ。……あ、新人たちが昼から戻ってきた。賑やかだなあ若い子は。

「ええー!うっそでしょ!」

「ホントだってば……」

「だって信じられないよう。電車で赤の他人と目と目で会話して見事痴漢をとっつかまえた、なんて。インド映画じゃないんだから」

「私、まだそれ観てないよ。言い訳のネタになんて使えないって」

 俺の視線に気づいたか、此方を向いた女子。

 瞬間で絡み合うビーム。

 なんだこのご都合主義な超展開。

 とりあえず、週末にあのインド映画を観に行こう。

 あまりにもすごいシンクロっぷりで、どうしても一緒に観たかった!って言い訳しつつ誘うんだ。

 これは運命だ、間違いない。

 何も言葉に出してはいないのに、アイコンタクト女子は頬を赤らめそっと頷いた。 

 

 



 

 

   

 



 

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