第2話

 月曜、出勤し職場を見渡してみた。部長、課長以下、既婚者は大勢いる。


 部長は職場結婚。あっ、課長もか。お見合いに、大学のサークル、職場、大学時代のバイト先、職場、職場ではないけれど仕事関係(合コン)、職場、友人の紹介(合コン)……。


 改めて見てみると職場結婚が多い。


 いちいち嫌味なおじさんや、詰まらない話をボソボソとしかも長時間喋るおじさんですら、職場で伴侶と出会えているっていうのに。どうして私は何の出会いもないまま30を迎えようとしているのだろうか。


 今度は独身男性に目を向けてみた。


 楽しい人なんだけど水谷さんはバツイチだし……いや、バツイチでも構わない。ただ、元・奥様もこの会社の社員なのだ。フロアが違うとはいえ同じビルで働いているというのは、どう考えても気まずい。


 後輩の面倒見がいい佐々木さんは、長く付き合っている彼女がいて、そろそろ結婚を考えていると飲み会で話していた。


 他にめぼしい人は見当たらない。時代劇が大好きで、お家時間はもっぱら時代劇専門チャンネルを視聴している本田さん。それからアイドルを追いかけるのに忙しくて、彼女は要らないと宣言している栗下くん……。


 はあ、やっぱり職場にはいいご縁なんて転がっていないらしい。



※※※



 役職付きの人間が重苦しい空気を吐き出しながら、ぞろぞろと会議室から出てきた。その中には眉間にシワを寄せた課長も混じっていた。


 ひと目で分かる。あれはヤバいトラブルでも起こったな。


 課長が自席を素通りし、こちらへ向かってくる。部署のメンバー全員がパソコンのモニターを注視しながらも、神経は課長の向かう先に集中させていた。


 課長が足を止めた!

 

「森下、至急で対処が必要な案件ができたんだが、残業頼めるか?」


 うっわー、私のところに来たよ……。


 私を除く全員の緊張が一斉に解けるのを感じる。


「今緊急の仕事もないですし、予定も特にないですからいいですよ」


 ため息が漏れそうなのを我慢して、そう返事をした。


 予定を入れられなかったのだから、仕方がない。本当に終業後の予定はひとつもないのだ、今日という日にも。


 結婚相談所に入会もしなかった。ダメ元で誰かに紹介をお願いすることもしなかった。


 この半年というもの、心の中でヤバいヤバいと言っていただけで、有限の時間とお金を相も変わらず観劇に費やし続けてきた。


 だからこれは当然の結果……。


「それは21時以降の残業も必要な仕事量ですか?」


 社内規定で21時を過ぎての残業は、上司の特別な許可が必要になる。


「あー、どうかな。それは大丈夫だと思うんだけど……」


 せめて21時になるまでには終わらせたい。


「分かりました。絶対に21時前に終わらせます!」


 そうしてラストオーダーが21:30のビストロに行って、ひとりで乾杯してやるんだ。



※※※



「くー、課長めー!」


 時計の針は20:55を示していた。


 なんとかギリギリで仕事を終わらせられた。しかし、21時までに終わらせるために集中し過ぎてぐったりだ。


 パソコンの電源を落としながら、周りを確認した。フロアの消灯も必要だろうか?


 ……と思ったら、すぐ斜め後ろに本田さんがいるじゃないの!


「本田さんはまだ残業ですか?」


「うーん、どうしようか悩んでる。特別申請も出してないし。明日30分早出しようかなー。森下は帰るの?」


「帰る……というか、今から駅前のビストロに行きます!」


「えっ、こんな時間からあのビストロに!?」


「はい。だって今日は30の誕生日なんですよ」


「だ、誰の!?」


「私のに決まってるじゃないですか。せめて本田さんだけでも、おめでとうって祝ってくれます?」


「ち、ちょっと待ってろ。2分だけ!」


 なぜ2分待たなければならないのだろう?


 確認したかったけれど、本田さんが猛烈な勢いでキーボードを叩き始めたから黙って待つことにした。少しぐらい時間をロスしたところで問題ない。ラストオーダーには十分間に合う。


「よし、パソコンもシャットダウンした。行くぞ、森下!」


 本田さんは鞄を引ったくって、威勢よく立ち上がった。


「はあ?」


「だからビストロに行くんだろ? たっかいワイン注文してもいいぞ。今日はご馳走してやる」


「えっ、本田さんも行くんですか? でも本田さん、家に帰って時代劇チャンネルを見たいんじゃないんですか?」


 本田さんと2人きりであのビストロに行くの? しかも私の誕生日に?


「おおーい、時代劇は確かに好きだけど、あれは他にやることがないから見るもんなの。他でもない森下の誕生日より優先するもんじゃない」


 なんだ、そこまで時代劇、時代劇しているわけでもないんだ……って、んん? 他でもない私、の誕生日……? なんだか仰々しい言い回し……。


「は、はあ。それ、は光栄……です……?」


「だから、ほら、その何て言うか……」


 本田さんが照れたような顔をした。


「ああ、とにかく出発するぞ! ほら!」


「あっ、は、はい!」


 今夜のワインはとびきり美味しいに違いない。そんな予感がした。



END


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ハッピー・バースデー・トゥ・ミー 月乃宮チヤ @tukinomiya_chiya

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