炊き出しと青空教室②
スラム街にある
あばら屋に板を打ちつけて補修していたものの、とてもじゃないが王国の中枢を担う上級貴族が住んでいるとは思えないようなボロ屋⋯⋯もとい極めて質素な家だった。
しかし、2人はそれに触れることなく会議もとい立ち話を始める。
「確かに、栄養状態を改善するには食事療法が一番ですが——」
「悪いね。恥ずかしながら僕は料理が苦手なんだ。此処に来た初日に張り切って子どもたちに料理を振る舞ったんだけどみんな微妙な顔をしてね。もちろん、完食はしてくれたのだけど⋯⋯」
そういって恥ずかしそうに頬を掻く透を見た暒來は納得する。
(確かに、貴族男性ほど料理から遠い存在は有りませんね。致し方ないことです)
しかし、暒來は違和感を覚える。料理をしないという割に申し訳程度のキッチンの上には大鍋や食材やらが大量に積み上げられていたからだ。器具も碌に使われたようすは無いが、設備だけはそれなりに整っている。
暒來は違和感の正体を確かめるため、早速疑問をぶつけてみた。
「⋯⋯では、今まで子どもたちは何を?」
「仕方ないから丸かじりさ」
透は近くにあったトマトを手に取り、一口
「!!」
(わっ、私は一体何を考えて⋯⋯っ! きっと暑くて喉が渇いているからです。それに、この方が昔読んだ童話に出て来るヴァンパイアの国の王子様に少し似ているからで——)
生まれてこの方、読書や勉強にばかり没頭して来た暒來。初めて芽生えた邪な思考を必死に振り払っていると透は暒來の心境など露知らず、無邪気なようすで話しかけて来る。
「知っていたかい、暒來ちゃん。トマトってね、すっごく甘いんだよ」
(⋯⋯知ってます)
何故だか慌てふためく自分が馬鹿らしくなってきた暒來は途端に気が抜けて小さくため息を吐く。
そして、まるでこれが世紀の大発見かのように瞳を輝かせる透に、暒來は心の中でツッコミを入れた。
「⋯⋯ユキ先輩がトマトがお気に入りなのでしたら、それを使った料理にしましょう」
「本当かい!? 嬉しいなあ、誰かの手料理なんて久しぶりだから楽しみだよ」
子どものように屈託のない笑顔を見せる透。かと思えば時折全てを見透かしたような達観した笑みを浮かべたりと、透はその全貌を掴めない不思議な男だった。
(先程スラムの子どもたちにクッキーなどの菓子類を与えておいて今更ですが⋯⋯ここは消化が良く簡単に食べられる料理が良いでしょう)
「はい。今はちょうどお昼時でまだまだ暑さも続きそうですからさっぱりした料理にしましょう」
暒來がテーブルの上の食材を見ながら独り言のようにそう言うと、透はそれに同意を示す。
「そうだね、キミの言う通りだ。あっ、僕に手伝えることがあれば遠慮無く言ってくれたまえ!」
「ありがとうございます。それでは遠慮無く」
「勿論だよ!」
頼られて嬉しそうに笑う透を横目に、暒來は「本当に遠慮無く働いて貰うとしましょう」と心の中で呟きほくそ笑むのだった。
✳︎✳︎✳︎
「せっ、暒來ちゃん⋯⋯このくらいで良い、かな⋯⋯?」
「もう少し頑張って下さい、ユキ先輩」
暑く狭い部屋の中で何かを叩く音と
「はッ⋯⋯もう、限界だよっ、ちょっとだけ休憩させてくれ⋯⋯!」
「ユキ先輩⋯⋯」
白い肌を赤く染めた透は大きく息を吐き出し、ドスンと音を立てて床にへたり込んだ。
暒來は涼しい顔で息を乱す彼を覗き込み、声を掛ける。
「⋯⋯ 1人で大丈夫だとあんなに息巻いていたのにだらし無いですね」
「ううん、頼りない先輩でごめんよ、暒來ちゃん⋯⋯」
「そこまでは言っていません。私も手伝いますので早く終わらせてしまいましょう」
ケープを脱ぎ、腕まくりをした暒來は包丁を手に取るとまな板の上の玉ねぎに向かって勢い良く振り下ろした。
ダァンと激しい音があばら屋に木霊する。あまりの衝撃にあばら屋がグラリと揺れた気がした。
暒來と透は今、冷製スープ——ガスパチョを作っていた。
ガスパチョとは、野菜とパン、オリーブオイル、酢などを混ぜた冷たいスープのことである。手軽な栄養と水分補給、暑さで疲弊した身体を冷やす効果を期待してのメニュー選択だ。
(食材はトマトときゅうり、パプリカ、玉ねぎ、パン、ニンニク⋯⋯それと、腹水の子どもも多く見かけましたし、蛋白質を補給するためにもレンズ豆を使いましょう。レンズ豆は蛋白質だけではなく、ビタミンやミネラル更には食物繊維まで含まれていて非常に栄養価の高い食材ですからね)
ガスパチョの作り方は至って簡単だ。兎に角、野菜とパンを切って切って、切り刻む——!!
「ユキ先輩、もう一息です。子どもたちがお腹を空かせて待ってますよ」
単調だが相当な重労働に疲労の色を見せる透。暒來はそんな透を元気付ける魔法の言葉を口にする。
「そうだ、あの子たちがお腹を空かせて待っているというのに、僕がこんなところで膝を突くわけにはいかないよね!」
暒來の目論見通り、透は見る見る気力を取り戻した。存外、こういうところは千昊に似て扱いやすいのだと先輩に対して失礼なことを考えてしまう。
「豆を茹で、全ての野菜を細かく刻んだらあとはオリーブオイルと酢、塩⋯⋯それから冷たい水を適量加えて混ぜるだけです」
「⋯⋯キミの異能力は便利だねえ。料理にも使えるだなんて」
透はウンディーネの力を借りて大鍋に水を注ぐ暒來を、菫色の目を細めて見ながらそう言った。そんな彼の手は疲労でプルプルと震えている。
「ユキ先輩の異能力の方が珍しいと思いますが⋯⋯一体何故あの様な——」
暒來が正直な感想を述べ、何と無しにその後の言葉を紡ごうとすると透は困ったように笑った。そして遮るように「ありがとう」とだけ言うと、あからさまに話題を逸らした。
「——ああ、そういえば、以前熾炎が身分に関係無く通える学校を設立する計画を立ち上げたと言っていたよ。僕たちにもその内声がかかるかもね」
如何やらあまり触れてほしく無い話題なのだろうと察した暒來はこれ以上の追求を止め、彼の話に乗ることにした。
「それはそれは素晴らしいご計画だと思いますが⋯⋯不吉なことを仰らないで下さい。今でさえ手一杯だというのに、これ以上はオーバーワークで倒れてしまいそうです」
「ははっ、それは違いない。さあ、スープが完成したね。運ぶのは任せておくれ」
✳︎✳︎✳︎
「つめたーいっ! おいしい!」
「こんなに食べ物がいっぱい入ってるスープ初めて⋯⋯!」
広場に集まる子どもたちは夢中でガスパチョを頬張る。鮮やかな赤色で満たされた大鍋の前には常に子どもたちが長蛇の列を作っていた。
(好評なようで良かったです。此処に来る前にはあんなに嫌だったのに、今では少しだけやりがいを感じている自分がいます⋯⋯人の感情とはやはり、不思議なものですね)
暒來が感傷に浸りながらその光景を眺めていると、すぐ近くで「美味い!」という一際大きな声が上がった。驚いて隣を見ると、透がガスパチョを一口食べる度に声を上げていた。
「赤いスープとはどんなものかと思ったけれど、トマトの酸味と甘さが溶け込んでいて爽やかな味わいだ。それに、シャキシャキした野菜とほくほくのレンズ豆の食感が楽しめるのがまた良いね。⋯⋯暑さで渇いた心と身体に染み入るようだ」
うっとりとした顔で絶賛しつつ、食べる手を止めない透。しかし、その所作は美しく腐っても上級貴族というだけあって品性を感じられた。
「気に入っていただけたようで良かったです」
「そりゃあもう! あ、もう一杯だけ、おかわりしても良いかい⋯⋯?」
透は僅かに頬を赤らめてそう言うと、飼い主からおあずけを食らっている子犬のように潤んだ瞳で暒來を見やる。暒來は思わず吹き出しそうになるのを抑え、微かに震える声で答えた。
「ええ、どうぞ。お好きなだけ」
✳︎✳︎✳︎
スープが底をつき、それまで賑わっていた広場が閑散とした頃——。
暒來は透にとある提案を持ちかける。その頃の暒來にはスラムで暮らす子どもたちに対して、すっかり仕事への義務感以上のものが芽生え始めていた。
「あの、ユキ先輩⋯⋯先ほど学校をつくるというお話がありましたが——」
「ああ、うん。それがどうかしたのかい?」
透は片付けの手を止めて暒來を見やる。
「はい。炊き出しを行った時に思い付いたことなのですが、私たちでスラムの子どもたちに勉強を教えませんか?」
「⋯⋯それはとても良い案だと思うけど、理由を聴いても?」
「もしも、陛下の仰るように近い未来、誰でも通える学校が出来るのだとすれば⋯⋯今から少しでも知識を付けておくに越した事はありません。極論を言えば、学校は無くとも学ぶ意思さえあれば勉強は何処でだってできます。まあ、勿論あるに越した事はないですが⋯⋯」
「うん」
透は相槌を打ち、真剣な面持ちで静かに暒來の話に耳を傾ける。どんなに優れた提案をしても、女性というだけで意見が通らないということをしばしば経験してきた暒來は、そんな彼の態度を見て安心して話を続けられた。
「しかし、それを強要するのは明日をも知れぬ暮らしをしているあの子たちには酷というものです。⋯⋯だから、どうでしょう。炊き出しを行う前に、文字や計算などの簡単な勉強を私たちで教えるのです。ご飯が食べられると聞けば子どもは自ずと集まるはずです。文字通りエサで釣るというのは少々狡い気もしますが——」
暒來は真っ直ぐに透を見据える。
「無知とは怖いものです。知識は力となり、いずれ厳しい環境を生き抜く
「⋯⋯⋯⋯」
「以上が私からの提案なのですが⋯⋯いかが、でしょうか?」
暒來は窺うような瞳で透に声をかける。僅か数秒の沈黙が何十倍にも感じた。
「⋯⋯うん、良いんじゃないかな」
僅かな思案の後、透はポツリと呟いた。かと思えば、パッと表情を明らめて暒來の手を取る。
「暒來ちゃん、キミ⋯⋯最高だよ!! そうと決まれば直ぐにでも実行に移すべきだ。早速、今から詳細を詰めようじゃないか!」
透は興奮したようすで暒來の手を掴むとブンブンと振り上げる。しかし、その痛みが気にならないほどに暒來の気分も高揚していた。
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