恵みの雨②


「——子どもたちに天からの祝福を、痩せた土地に潤いを、恵みのアメを降らせましょう⋯⋯!」


 本来ならば暒來の異能力の行使に詠唱などは不要だが、パフォーマンスのために即興で作った呪文を唱える。そして、祈るように指を組んで空を見上げた。


 すると、一瞬の後、空からポツポツと雨粒が降り注ぐ。最初は地面を疎らに濡らす程度だったものが次第に勢いを増していった。


「わっ⋯⋯空からお水⋯⋯?」

「雨だあっ!!」


 ソルシア国では雨が降る事は極端に少ない。

 そのため、子どもたちは大はしゃぎだった。久方ぶりの冷たく清潔な水を大口を開けて飲む子どもや、小さな水たまりに足を入れてバシャバシャと飛び跳ねる子ども。

 そんな様子を暒來は微笑ましげな視線で見やる。


(好評なようで何よりです。⋯⋯さて、そろそろ良いでしょうか。これであの子たちがもっと笑顔になると良いのですが)


 一頻り雨を降らせたところで暒來はもう一人の精霊の名を口にした。


「⋯⋯エアリエル、お願い」

『おうっ任せろ、セーラ!』


 呼びかけに応じ、姿を現したのは風の中位精霊エアリエル。暒來が契約を結んでいるもう一人の精霊。

 月下美人の花弁と月の雫で織られた深緑のトンガリ帽子とシャツに、かれ色のズボンという格好の彼は、ウンディーネよりも幾分か幼い顔立ちをしている。小さな薄緑色の羽を忙しなくパタパタとはためかせ、暒來の周りをちょこちょこと飛ぶ様子から、ヤンチャな少年のような性格が見て取れた。


「エアリエル、私が合図をしたら此れを空から降らせて下さい」

『おうよっ! このエアリエル様の風に不可能はないゼッ!』


 ふふんと胸を張って得意げにそう言ったエアリエルはウンディーネが待つ遥か上空を目指して急上昇した。彼が飛び立った風の名残りがふわりと暒來の頬を撫でる。

 降りしきる大粒の雫たちを器用に避けながら飛ぶエアリエルの後ろ姿を見送った暒來はすうっと大きく息を吸う。


(さあ、此処が正念場、いよいよ大詰めです⋯⋯!)


「みなさま、雨はお楽しみ頂けましたでしょうか? ですが、私の魔法は此れだけでは終わりません。さあさあ空を御覧下さいませ⋯⋯!」


(2人とも、お願いします!)


 暒來が心の中で強く念じると、それまで降っていた雨が小降りになる。


「あれ、弱くなっちゃったよ?」

「しっぱい⋯⋯?」


 ざわざわと子どもたちが不安そうな声を洩らす。


「あっ! 見てっ!!」


 しかし、俯く子どもたちの中でただ1人、暒來の言葉を信じて空を見上げていた幼い少女——ニーナが声を上げた。


「なんか降ってくる!! きらきら、きれい!」


 ニーナの声を聴いた子どもたちは次々に空を見上げた。


「本当だ、何か落ちてくる!」

「まあるい⋯⋯何だろう?」


 暒來の指示で飛び上がったエアリエルが、高所から薄黄色の小さな球体を優しく風ですくい上げ、ゆっくりと落とす。


 その正体は透明な包装紙セロファン個包装ラッピングを施した蜂蜜レモン味のアメだ。これは研究の合間に息抜きとして暒來が手ずから作ったものだ。


(手軽な糖分補給とこの土地の乾燥した気候から喉を守り潤すために持ってきたものですが、早速役に立って良かったです。蜂蜜には抗菌・抗酸化作用が、レモンにも抗菌作用と豊富なビタミンCが含まれています。そして、この2つを合わせることによって相乗効果を発揮し更なる効能を期待出来るのです)


「⋯⋯美味しくて栄養満点、更には病からも守ってくれるなんて蜂蜜とレモンはまさに魔法のような食べ物です」



 降り注ぐ飴とともに、穏やかな雨が地面を濡らす。太陽の光を受け、空には虹がかかっていた。それを背にして徐々に降下する飴玉は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色を映し出す。

 虹色の宝石のように煌めく飴玉は息を呑むほどに美しかった。


「ショーの終幕フィナーレに、私からみなさまに虹のカケラをプレゼントいたします。どうぞ本日の思い出としてお納め下さいませ」


 暒來は大きく礼をする。これで余興は終了だ。

 未だ空に架かる虹を見上げ、感慨に耽る。


(虹の出現条件は大まかに分けて4つ。太陽が水平線上にあること、大気中に水滴があること、光が40~42度の角度で分散されていること、光が一定の角度で反射されることが挙げられます。⋯⋯陛下の無茶振りが偶には役に立ちましたね)


 虹が架かる仕組みメカニズムを知っていればこのショーに対する驚きや感動が半減してしまうと考えた暒來は心の中で満足げに解説を始める。

 そして、今回奇しくも以前熾炎から受けた無茶振りをクリアした際の経験が扶けとなったことは墓場まで持っていこうと密かに決意した。


 この世界で起こる現象は、その殆どが科学によって説明出来るものだ。異能力を除いては——。


(でも、何だか全てあの方の思惑通りのようで気に入らないです)


 玉座にふんぞり返り、高笑いする熾炎の姿を思い浮かべた暒來はムッと頬を膨らませる。

 すると、遠くで手を叩く音が聞こえた。その音は足音とともに、徐々に近づいて来る。


「あっはっは⋯⋯!! 雨と飴だって!? 顔に似合わず中々た冗談じゃないか!」


 足音の正体は菫色の瞳に涙を浮かべた透だった。一頻り笑い終えた後なのだろう、彼は痛そうにお腹をさすっていた。



「あの、私⋯⋯上手く出来たでしょうか?」

「そりゃあもう。とっても綺麗だったよ。ほら、見て御覧。キミは自身の知識と力で此処に居るみんなの心を掴んだんだ」


 その言葉でハッと辺りを見回す。


「すごいすごい!! お姉ちゃん、本物の魔法使いだ!!」

「あまーい! 虹のカケラ美味しい!」

「お姉ちゃん、素敵な魔法をありがとう!」


 気付けば、研究室にひきこもってばかりで人との関わりを断ってきた暒來が瞳をキラキラと輝かせる無垢で無邪気な子どもたちに囲まれていた。


(驚きました。私の知識と異能力がこの子たちを笑顔にさせたのですね⋯⋯)


 きゅうっと胸が締め付けられる心地がした。枯れかけた心の泉にとぷりと清らかな水が注ぎ込まれ満たされる。

 しかし、突然もたらされた潤いに耐え切れなくなったそれは端から零れ落ちる。

 雨はすっかり止んだというのに、不思議なことに暒來の頬には一筋の水滴が伝った。


(胸が、目頭が熱い⋯⋯私まで魔法にかけられてしまったのでしょうか)


 静かに感動を噛み締める暒來を優しい眼差しで見つめる透は落ち着いた頃を見計らい、暒來に声を掛ける。


「ふふ、少しはこの場所に興味を持ってくれたかな? 新設されたばかりでしかも、今は未だ僕とキミの2人だけの組織だけど⋯⋯これからよろしくね、暒來ちゃん」

「⋯⋯はい、ランチェスター侯爵様。此方こそよろしくお願いいたします」


 透が差し出した手を握り、握手を交わす。取り敢えず、此処最近で一番の難局を突破した暒來は密かにホッと息を吐いた。



「先輩」

「⋯⋯え?」


 緊張が解け胸を撫で下ろしたのも束の間、唐突に脈絡もなくそんな言葉を発する透。暒來は意味が分からず首を傾げた。


「僕の事はこれからユキ先輩と呼ぶように」


 僅かに眉を上げてそうのたまう透に、暒來はすぐさま拒絶の意を示す。


「じょ、上司でしかも侯爵様に対してそんな気安い呼び方は出来ません⋯⋯!!」

「冷たいなあ。先程も言った通り、当分はキミと僕の2人だけなんだ。仲良くしようじゃないか」


 笑顔だが決して有無を言わせない雰囲気に暒來はぎこちなく頷いた。まだまだ浅い付き合いだが、こうなった透は暒來では扱いきれそうに無い。


「わ、分かりました。それがご命令なのでしたら⋯⋯ユキ先輩⋯⋯」

「うんうん。僕も可愛い後輩が出来て嬉しいよ」


 満足そうに笑った透を見て、漸く強張っていた身体から力が抜ける。


 それから、透とスラムの子どもたちからの熱烈な歓迎を受けた暒來は戸惑いつつも楽しく賑やかなひと時を過ごした。

 騒ぎが落ち着いたところで暒來は改めてスラム街を見渡す。そして、ある疑問が浮かんだ。


「⋯⋯ユキ先輩」

「なんだい?」

「先程から子どもしか姿が見えないのですが、此処に大人は居ないのですか?」

「もちろんいるよ。でもこの子たちに比べて此処の大人は警戒心が強いんだ。それに、スラムを取り仕切る女王様から僕には関わらないようにってキツく言い付けられてるみたいなんだ」

「女王様⋯⋯?」

「そう、キミと同じ女王様。気になるかい?」

「どんな話を聴いたのかは存じ上げませんが、私は女王様では有りません」

「まあまあ、そう言わずに。恐らく、熾炎がキミを此処に送り込んだのはその女王様絡みだと思うんだ」

「⋯⋯」


 正直、暒來の反応を愉しみたいが為の熾炎の嫌がらせだと思っていたために、真剣な面持ちでそう言った透の言葉に目を丸くする。


「最近、この近辺で盗難や強盗が相次いでいるのを知っているかい?」

「ええ、世間はそれを義賊だと持てはやしておりますよね」

「そう。あの事件は月狼マーナガルムという集団が起こしたものなんだ」

「もしかしてそれって——」

「察しが良くて助かるよ。キミの想像通り、彼らの本拠地は此処、スラム街。そしてそれを取り仕切るのはスラムの女王という異名を持ち異能力保持者でもある威風妃イブキという女性だ——」








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