恵みの雨①


 憩いの場所オアシスである研究室に早急に戻るべく、ユキから出される課題をこなす事になった暒來セイラ——。


「スラムでやっていくならまずはこの子たちに気に入られなければいけないよ。それに、キミが本当に噂通りの女の子であるのかを僕に見極めさせてくれ」


 透のその言葉を受けて、暒來はうんうんと考え込む。子どものことはよく分からない。


 暒來は瞳を伏せ、思考の海に沈む。


(気に入られるためには心を掴むのが一番だと思うのですが⋯⋯。何かこの子たちがあっと驚くインパクトのある事はないでしょうか)


 考えに耽るばかりに暒來はつい油断していた。この人物が周囲からどのように呼ばれ、何者であるのかを——。



「⋯⋯僕にキミの本気を見せておくれ」


 にっこりと怖いくらいに完璧な笑顔でそう呟いた透はすうっと息を大きく吸い込む。何故だか嫌な予感がした。


「おーい、みんなっ! このお姉さんがみんなに良いものを見せてくれるって!!」

「⋯⋯!?」


 ——暒來の予感は命中した。


(幾ら何でも性急過ぎませんか!? 流石はあの陛下のご親族なだけあります⋯⋯!)


 暒來が戸惑っている間にも、透の呼びかけに反応してぞろぞろと広場に子どもたちが集まってくる。もう後戻りは出来ない。


(こ、これは⋯⋯土壇場の判断力も試されているのでしょうか)


 キラキラと瞳を輝かせて暒來を取り囲む子どもたちに完全に逃げ道を断たれた。幾つもの無垢な瞳に囲まれた暒來はますます焦燥感に駆られる。


(一体、どうしたら——)


 そんな時、気持ちだけが逸る暒來の瞳にとある物が映り込む。

 先ほど思わず投げ出した時に半開きになったトランクから姿を覗かせている包みは、暒來が研究室から持ち出したとっておきのもの。それを目にした瞬間、ハッと息を呑む。  

 何故なら、天啓とばかりに妙案が降りてきたのだ。


「此れなら上手くいくかもしれません——」


 一か八かだ、覚悟を決めた暒來はそう呟く。その頬には緊張からつうっと汗が伝っていた。




✳︎✳︎✳︎




 暒來は改めて広場に集まった子どもたちの顔をぐるりと見回す。青、栗色、緑、黒⋯⋯色とりどりの瞳が期待の眼差しで暒來を見つめていた。


(人前で話すのは得意では無いので少し緊張します。⋯⋯ですが、大いなる目的のため、覚悟を決めるのです、暒來=レイヴィス!!)


「みなさま、お初にお目にかかります。私は暒來=レイヴィス。どうぞお気軽にセイラとお呼び下さい」


 暒來は昔日の思い出——心の奥底に眠る宝石のように尊く淡い輝きを放つその一つを手に取り頑丈に施された封を開ける。

 未だ暒來が何処にでも居る普通の女の子だった頃の大切な、誰にも触れさせずに大事に仕舞っておきたい不可侵の記憶。

 兄である千昊と観に行った曲技団サーカス道化師ピエロの姿を思い出しながら台詞のようにすらすらと言葉を紡いでいく。


(他人の興味を惹くにはまず視覚を自分へと引きつけることです。大仰な身振り手振りジェスチャーに態とらしく抑揚をつけた話し方、そして底抜けに明るい表情。宮廷職員専用図書館の文献には一通り目を通しました。心理学の本を読んだ時には一生使う事は無いと高を括っていましたが、まさかこんな時に役立つとは思ってもみませんでした⋯⋯!)


「今回、お集まりの皆皆様に御覧入れるのはこれまで目にした事のないような奇跡の光景! どうぞ、瞬きを忘れてお楽しみ下さい!」



(お願い、ウンディーネ⋯⋯!)


 暒來は心の中で水の精霊ウンディーネに語りかける。


『セイラもいつもタイヘンね。ワタシに任せテ』


 間髪入れずに姿を現したウンディーネはそう言うと、暒來の前でくるりと回ってから一気に空へ飛び立つ。それを見届けた暒來は子どもたちに向き直り、おもむろに口を開いた。


「——子どもたちに天からの祝福を、痩せた土地に潤いを、恵みのアメを降らせましょう⋯⋯!」










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