貴族の責務と軽薄プロポーズ②


「けっ、結婚⋯⋯!?」

「うん」


 突拍子もない提案だ。驚き後退る暒來に対し、透はニコニコと笑みを向け距離を詰めて来る。

 そして、暒來を崩れかけた壁際まで追い込むと、逃がさないとばかりに両手をついた。


「まあまあ、そう逃げ越しにならずに聴いてくれよ。⋯⋯結婚と言ってもタダの結婚じゃあない。お互いに利益の生じる契約結婚だよ、どうだい?」

「契約、結婚⋯⋯」


 吐息が感じられるほどの距離、笑顔の男によって退路を断たれた暒來はゆらゆらと揺れる瞳で見上げる。


「そう。僕たちは貴族だ。社交界に顔を出さなくなってから久しいとはいえ、決してその責務からは逃れられない。僕とキミが結婚すればお互いに煩わしいことも無くなって自由になる時間が増えるし、自分でいうのもなんだけど僕は結構な有料物件だと思うのだけれど」

「⋯⋯な、何を仰っているのですか」


 漸く状況が飲み込めた暒來はキッと睨み付け鋭い声で言い放つ。


「わあ、それが噂のブリザードの瞳かあ。うんうん、その道の人には堪らない視線だね」

「巫山戯ないで下さい」

「真面目な話なんだけどなぁ。僕は此処で奉仕活動出来れば良いだけだ、浮気や賭博もしないから世間体も守れる。キミの名誉に傷は付けないと約束するよ。⋯⋯それに、これでも侯爵の位を賜っているからそれなりに財力もある。君は部屋に篭って大好きな研究を存分に楽しめば良いよ」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯まあ、貴族としての務めからは逃れられないからそこだけは協力して貰うけど。僕の代で我が家門の血筋を途絶えさせるわけには行かないからね」


 暒來は透の物言いに既視感を覚える。


(⋯⋯そうだ、この方の纏う雰囲気は兄さんに似ているんです。そして有無を言わせない物言いは陛下に。⋯⋯漸く納得が行きました)


 飄々ひょうひょうとしていて何処か掴みどころの無い雰囲気が兄である千昊の姿と重なった。そして、熾炎と血縁だけあって彼の言葉には抗い難い何かがあった。


 しかし、驚く事に透の言葉から下心などは一切感じられない。つまり冗談などでは無く、合理的に考え至って真面目に契約結婚の話を持ちかけているのだ。


(ランチェスター侯爵の仰る通り、私たち貴族は何れ同じく責務を負った貴族と婚姻を結びその血を繋がなくてはなりません。しかし——)


 暒來にとって、結婚とはまだまだ遠い未来の話だった。

 貴族女性の嗜みとも言われる刺繍や詩の朗読よりもより実用的な料理の腕を磨き、将来結婚し屋敷の女主人になった際に必要となるであろう使用人や金財管理の勉強よりも国のためそして、自分のため医学や精霊の研究に没頭した。


(料理はいわば実験——即ち、科学と似通ったところがありますし、研究の息抜きの娯楽として丁度良かったんですよね)


 そんな時代の最先端を行く思考と性格の暒來であるからして、社交界の貴族男性や同年代の令嬢からは遠巻きにされていた。

 たまに近付いてくる男性から結婚の申し出があったとしても、千昊のように暒來に罵られたい特殊な嗜好の持ち主ばかりであった。


 太陽の国の女性は常に伴侶となる男性に寄り添い、決して前に出ること無く男を建てる淑女たれ——そう教え込まれる。

 そんな教えが根底に根付いているからして、その枠からはみ出した暒來は非難の対象となった。


 世間が求める“女性らしさ”とは男性に意見する事なく生活の基盤を男性に委ねる従順な女性である。そのため、自立して働く女性は少ない。

 しかし、女性だからといって選択肢を狭められるのは我慢ならなかった。

 兄の千昊や透も変人であるが、暒來もまた、世間からは変わり者と認識されているのだ。


(自分を偽って世間を欺いたとしても本当の幸せなど手に入らないのですから。私は自分に正直に生きたいのです)


 世間一般や貴族子息や子女が想い描く幸せの価値観と暒來の考える幸せは大きく形が異なる。

 幾度他貴族たちから後ろ指を指されたか分からない。しかし決して振り返る事なく、心ない言葉に胸を痛めながらもただ一心に自らの目的の為に歩んで来た。


(このままでは嫁の貰い手が無いのは分かっています。そして、ランチェスター侯爵様のご提案が私にとってとても有難い申し出だということも——)


 だがしかし、暒來の答えは揺らがなかった。深く息を吸い込み、真っ直ぐに透を見据えて言い放つ。


「——私のような一介の子爵令嬢に対しての破格のお申し出、誠に有り難く存じますが⋯⋯お断りいたします」

「そう。⋯⋯そうしたら君はお兄さんと結婚することになるだろうけどそれがお望みなのかな?」


 透はさらりと言ってのける。努めて冷静さを心掛けていた暒來もその言葉には感情を露わにせざるを得なかった。


「そんなことあるはずが⋯⋯っ!」

「無い、とは言い切れないだろう? 世間では近親婚は禁忌タブーとされているが、貴族間では一族の血を残す為にはやむ無しという考えも有るからね。それに、君たち兄妹はどちらも優秀な異能力者だ、なんとしてでも血を絶やすまいと一族は奔走するだろうね」

「にっ、兄さんとは実の兄妹なのですよ、有り得ませんっ⋯⋯!!」

「ふうん。千昊さんは方々ほうぼうに根回ししつつ、着々と外堀から埋めているって噂を聴いたことがあるけれど」

「!!」

「ははっ。いいね、その顔。⋯⋯じゃあ、取り敢えず今はこの話はお終い。考えておいてね、暒來ちゃん」

「~~~~っ!!」


 何かを言いたげな暒來をよそに、透は暒來から離れるとパンっと手を叩き強引に話を終わらせた。


(婚姻の件に関しては考えるまでも無く却下なのですが⋯⋯)


 暒來は先程のやりとりに少なからず心残りを残しながらも、透と出会ってから常に心の内にくすぶっていた疑問を打つけることにした。


「ランチェスター侯爵様。私から一つ質問宜しいでしょうか?」

「勿論だよ、なんでも聴いてくれたまえ」

「ありがとうございます。⋯⋯侯爵様は此の所、スラム街に頻繁に出入りしていると伺いました。ご自分の職務を放り出してまで一体何故なのですか?」


 暒來の踏み込んだ質問に透は目を丸くする。しかし彼は一瞬驚いたようすを見せるも、直ぐに微かな笑みを湛えながら口を開いた。


「僕の仕事はあの場所には無いからね」


 またもやさらりと言ってのけた透。暒來は彼の言葉の真意が理解出来ずに再び問いを投げかける。


「どういう意味でしょうか? 侯爵様ほどの方に陛下が仕事を与えないはずも有りません。それに、貴方が無断で仕事を放り出されたおかげで私が此処に遣わされる事になりましたし⋯⋯」


 思わず不満が漏れ出る。


「あはは、それは本当に済まないと思ってるよ」

「⋯⋯⋯⋯」


(この反応⋯⋯全く反省していませんね)


 じとりと透を睨め付けるが全く響いたようすは無かった。暒來は心の中で地団駄を踏む。

 暒來が無言を貫いていると、今度は透がただす番だった。


「キミも貴族ならば分かるだろう? 僕たちは権力を有し優遇される特権階級だ。しかし、その代わりに幾つかの義務が課せられる。⋯⋯そう、高貴なる責務ノブレス・オブリージュだよ」

「で、ですが私が見た限りではそれを優に超えています。代償があまりにも——」

「⋯⋯そうだね。僕の異能力、『神の息吹ディーアティ・ブレス』は自らの生命力を他人に分け与える力だ」

「⋯⋯何故そんなにもスラムに拘るのですか? 力を使うにしても、絶対に此処でなくてはならない理由が見当たりません」


 少々厳しい物言いになってしまったが、自らの命を賭してまで他人を扶ける理由が暒來にはやはり理解出来なかった。

 透は混乱する暒來を見つめるとフッと優しく微笑み、諭すように言葉を紡いでいく。


「我々貴族の責務でもってしても忘れられた——否、見捨てられてしまったスラムに生命の息吹を吹き込んで光溢れる場所にしたいんだ。それが、僕に与えられた使命だと思っているんだよ」

「⋯⋯!!」


(こんなにも他人を想い、見返りも求めず尽くせる貴族が居るなんて想像した事もありませんでした⋯⋯)


 暒來は雷に打たれたような衝撃を受ける。透の高尚なる意志は尊重すべきものだろう。しかし、暒來にも暒來の事情がある——。


「侯爵様のご意志は理解しました。ですが先ずは一度、王宮へ戻りましょう。陛下もお待ちのようですし」

「残念ながらそれは出来ない。まだまだ僕にはやるべき事があるからね。それに、熾炎の手紙にはスラムの問題を解消するようにと書いてあったよね。何もせずに僕だけを連れ帰っても到底納得するとは思えない」


(⋯⋯それはごもっともです)


 何としてでも一度帰還したい暒來と、何としてでもスラムを離れたくない透。どちらも折れる気の無い今、透を動かすには彼が納得するような成果を出す他無いだろう。


(不本意ながら、これは私に与えられた仕事でもありますし⋯⋯)


 此処は、韓信匍匐かんしんほふくの意で協力の意思を見せるに限る。そして、最短距離で王宮への帰還を果たすのだ。


「私は恥ずかしながら此処の事をあまりよく知りません。一体、何から手を付ければ良いのでしょう?」

「そうだなあ⋯⋯じゃあ僕から幾つか課題を出そう。それをクリアした頃にはキミは晴れて自由の身だ」


 透は暒來が一刻も早く帰りたがっているのを見透かすかのように緩く口角を上げてそう言った。








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