貴族の責務と軽薄プロポーズ①


 ニーナが起き上がると、それまで声を潜めて様子を窺っていた野次馬たちがワッと歓声を上げる。ユキは口々にかけられる称賛の声に会釈だけで答えると、目の前の少女に真剣な顔をして向き直った。


「ニーナ、落ち着いたなら僕に聴かせてくれるかい? 一体、キミに何があったんだ」

「あ、あのね⋯⋯食べ物を分けて貰おうと思って近くの街に行ったんだけど、そこでお貴族様にぶつかっちゃって」


 ニーナの話を聴いた透は険しい顔付きになる。紫の瞳の奥底でゆらゆらと激しい怒りが炎のように燃えたぎっているように見えた。


「⋯⋯そうか、それだけで切り付けられたのかい?」

「うん。汚い、菌が感染る、汚物が公道を歩くなって」

「どんな人だったかは覚えているか? 顔立ちや服装、背格好とか——」


 透がニーナを問いただすようすを遠巻きに眺めながら、暒來はひとり思考を巡らせる。


(自身の権力を笠に着て威張り散らすとは⋯⋯私自身は末端も末端ですが、特権階級と呼ばれる同輩として恥ずかしい限りです)


 ——この国では命の重さは平等では無い。力有るものが力無き者を蔑ろにし損なうことなど日常茶飯事だ。この世はどうしようもなく不平等で不条理。

 そして、いつだって目を背けたくなるほどに残酷である。




「あれ⋯⋯? 君は——」


 話を終えた透がこちらを振り返り、暒來に声をかける。彼の声で我に返った暒來は自らの役目を思い出す。

 そして、一歩前に出るとおずおずと話し始めた。


「わ、私は暒來=レイヴィスと申します。クラウディウス陛下の名代でこちらに赴きました」

「ああ、そうか。⋯⋯忙しくてアイツへの連絡をすっかり忘れてしまっていたよ。キミには世話をかけたね」

「いえ⋯⋯こちら、陛下からの手紙です」

「ありがとう」


 透は手紙を受け取ると、懐からペーパーナイフを取り出し封を開ける。それから菫色の淡い瞳を左から右へと忙しなく動かして熾炎からの手紙を読んでいく。

 読み進めるにつれて、次第に透の表情は明るくなる。


「⋯⋯そうか、キミが救世主という訳か」

「?」


 独り言のように呟かれたその言葉の意味を暒來は理解出来なかった。


「熾炎からの手紙、見る?」


 透は今度こそはっきりとした口調でそう言うと、2枚綴の手紙を首を傾げる暒來の目の前でひらりと掲げて見せた。



 ——『前略 透=ランチェスター

 お前からの定期連絡が途絶えた為、オレ様自らが筆を取った。次は無いと思え。

 さて、煩わしい挨拶は省略し早速本題に入る。

 お前が兼ねてより希望していた『環境厚生省』を設立した旨を此処にしらせる。また、この手紙を届ける為に遣わした暒來=レイヴィスを本日よりお前の部下とする。このオレが手塩にかけて育て鍛えてやった女だ。存分に活用すると良い』


 そこまで読んで、暒來は思わずぐしゃりと手紙を握り潰した。


(私は貴方に育てられた覚えは無いですし、こき使われるために王宮で働いている訳では無いのですが⋯⋯!?)


 俯き、怒りでプルプルと震える暒來の異変に気付いた透が心配そうに声を掛ける。


「どうかしたのかい?」

「い、いえ。何でも有りません」


 暒來はふうと深く息を吐いてから再び手紙に目を落とす。その後に続くのは透に対する一時帰還命令と今後の環境厚生省の活動方針についてだった。


「⋯⋯もう一枚ありますね」


 熾炎からの手紙は2枚綴だった。暒來は1枚目を読み終えると何と無しに2枚目に目を通す。



『追伸 叔母上が条件に合う女を何人か見繕ったので見合いの場を設けたいと言っている。帰り次第顔を見せるようにとの事だ』



「お見合い⋯⋯?」

「ああ、そこは読まなくても良いよ。⋯⋯本当嫌になっちゃうよ。結婚くらい好きなタイミングで好きな人と出来れば良いのにねえ」


 透は暒來によって所々に皺が寄った手紙を優しく取り上げるとそう言った。明るい声に反して眉間には深い皺が刻まれている。

 表情から察するにこの類の話は今回だけの事では無く、相当に参っているようだ。


「⋯⋯手紙、すみません」


 暒來は手紙に皺をつけてしまったことと、無断で私的な文章に目を通してしまったことに対して謝罪を述べる。


 透はそれには答えることなくにっこりと笑みを浮かべて胸ポケットに手紙を仕舞うと、僅かな逡巡の後、パァッと表情を輝かせた。


「ああ、そうだ! 名案を思い付いたぞ! 暒來ちゃん、キミ⋯⋯僕と結婚なんてどうだい?」


 菫色の瞳を爛々と輝かせ、静かにはしゃぐ透の左耳でしゃらりとブルートパーズのピアスが揺れた。





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