三権分立


 千昊チヒロより今回、異能省幻想生物研究課から新設された環境厚生省へと異動になった経緯を聴いた暒來セイラ


 何でも、熾炎シエンは兼ねてよりスラムの惨状を憂いていたそうだ。

 スラム街とは、都市部にある貧困層の者たちが集団生活している地域の事である。此処では犯罪や伝染病の蔓延、野生動物による被害が多発しており、ソルシア王国内でも死亡率は群を抜いている。

 また、衛生状態や教育水準が著しく低く、まるでそこだけが時代から取り残された寂れた街のようだった。


 即位から一年と数ヶ月が経ち、内政の地盤が固まったところで漸くスラム街の環境改善へと着手する運びとなったらしい。

 そこで、白羽の矢が立ったのが暒來とユキ=ランチェスター。


(彼は元々自分の仕事そっちのけでスラム街に入り浸っていたそうですから選ばれた理由は理解出来ます。ですが、何故私なのでしょう!? 兄さんは陛下が私の能力を買っての事だと言ってましたが⋯⋯そんなの到底納得出来ませんっ!!)


 恐らく、面倒事は全て暒來に押し付けるに限るという魂胆だろう。(千昊曰く、医学に精通している事も抜擢ばってきの一因らしいが建前であることは想像に難くない)

 趣味の研究とひきこもり生活を両立かつ満喫出来ると思って異能省に入省したというのに、予想に反して貧乏クジばかりを引かされる生活にほとほと疲れ果てていた。

 此処らで一度俗世から完全に別れを告げ、主に屋敷の警備を担当する職にでも就きたいと精神的疲労により働かなくなった頭の片隅でボンヤリと考える。


(あの方は確かに他人の意見を聴かない暴君で人間的には決して好きになれないですが、あれでいて王としての素質はまあ、それなりといいますか⋯⋯)


 むべき悪しき暴君のことを素直に認めたくない暒來。

 しかし、それでも認めざるを得ないほどに新王を戴いたソルシア王国は僅か一年ほどで目まぐるしい発展を遂げた。

 前王の時代は完全なる絶対王政を敷き、他者を顧みぬ独裁に形骸けいがい化された組織図、更には自らの私腹を肥やす為に重税を課し、戦禍に多くの民を投じた。


(⋯⋯前王の時代は様々な悲劇を生み出した暗黒の時代であったと今現在、そして後世にまで語り継がれるでしょう)


 しかし、国民も為す術なく搾取されるばかりではなかった。

 長い長い支配の時の中で民衆の不満は募り、ついに彼らは立ち上がる。前王の嫡男である熾炎=クラウディウスを次期国王に掲げて反乱を起こしたのだ。

 それから、前国王の権威が失墜するのはあっという間だった——。


(激しい暴動の末、現陛下の異能力——『消去デリート』により前国王陛下はお隠れになったのですよね)



 前政権崩壊後、熾炎は猛スピードで新政権のいしずえを築き上げる。

 一番に取り掛かったのは此れまで国王にのみ集中していた権力の分散だった。王政を敷く国家として最終的な決定権は国王である熾炎にあるものの、国を支える主要な権力を3つに分断したのだ。

 それこそが真紅の立法、紺碧こんぺきの行政、常盤ときわの司法——。


 それらを立ち上げ、運用にまで導いた熾炎の功績は称賛に値するだろう。それ故に、国民からの信頼も厚い。


(また、これまでの封建的な思想を打破し、革新的な試みもされています。女性の雇用——しかも貴族の令嬢が働くなど以ての外だという意識が根強く残る我が国でそんな意見を顧みる事無く、陛下は私を重用して下さいました。私の知識と研究がこの国をより良い未来へ導くと仰って——)


 暒來は自らの胸元で鈍い光を放つ紺碧色のネクタイを見下ろす。

 黒いケープにプリーツスカート、そして官僚の所属を現すネクタイ。これこそが暒來が王宮で働いているという証である。しかし——


「元来、女性はおろか男性でさえも貴族が金銭を稼ぐというのははしたない事だと考えられていますからね。官僚も貴族のみで構成され給金の発生しない慈善活動でありましたが⋯⋯陛下の即位後、身分の貴賤や性別差無く、優秀な人材を集めたのはまさに英断であったのでしょう」


 諸外国から遅れを取っていたソルシア王国が急成長を遂げ列強と肩を並べるには凝り固まった思想のままでは一向に追い付くことは敵わない。

 平民でも女性でも何でも優秀な人材を積極的に登用しなければこの国に未来は無いのだろう。


 しかしながら、熾炎の意に反して未だ貴族ばかりが重役に就くという現状は変わってはいない。

 何故なら、平民が満足に教育を受ける機会が少ないからである。上質かつ十分な教育なくして優秀な人材は育たない。


(恐らく陛下はその先駆けとしてスラムの改革をお考えなのでしょうね)



 暒來は研究室に向かう道すがら、千昊との会話を思い返す。

 千昊は話の最後にこう締め括った。


「前王時代に至るまで数代に渡って続いた悪政によってすっかり我がレイヴィスの家門は衰退してしまった。このままではお取り潰しを免れないというところでクラウディウス陛下が手を差し伸べて下さったのだ。今こそソルシア王国の叡智えいちの星と謳われた我らの腕の見せ所だ。⋯⋯期待しているよ、我が愛しの妹——暒來」


(陛下に対する恩義はあれど、それ以上に迷惑をこうむっていますし、正直私は研究が出来れば良いだけで帰属意識や忠誠心は他の方よりは希薄なのですが⋯⋯珍しく真剣な兄さんの期待を裏切るわけにはいきません)


 暒來は普段、素直になれないだけで兄である千昊の事を尊敬していたし好きだった。

 しかし、離れて暮らしていた期間が長いことと、お年頃も相まってどうにも羞恥心が勝り、あのようなつっけんどんな態度を取ってしまうのだ。


「⋯⋯此れまで諸外国に遅れをとっていた分、我がソルシア王国はこれから死にものぐるいで巻き返さなければなりません。陛下に選んでいただいた栄誉に報いる為にも誠心誠意、与えられた役目を全うせねば。それに、私の活躍にこれからの女性の社会進出の進退もかかっておりますしね」


 暒來はこれから戦地に赴く自らを鼓舞こぶするため、しかと心の内に刻み込むようにそう呟いた。





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