貴方の愛は重いんですっ!!


 謁見の間の重厚な扉をくぐる。暒來セイラは重い足取りで大広間から退室した。


(悔しい⋯⋯強大な権力の前になす術もない己が無力でなりません)


 いつ帰れるかも分からない、達成条件もあやふやな任務を押し付けられた。これからの事を考えるだけで気が滅入る。

 フラフラと覚束無い足取りで廊下を歩いていると、後ろから暒來の名を呼ぶ声が聞こえて来た。


「——お~い⋯⋯! お~~~~い!!」


 声の主はバタバタと足音を立てながらものすごい勢いで近づいてくる。


(来ましたね。こういう時は無視するに限ります)


 その喧騒けんそうから逃げるようにして暒來は振り返りもせず歩くスピードをあげた。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 早朝の廊下に2人分の足音だけが木霊こだまする。

 相も変わらず知らんぷりを続けていると気付けば直ぐ後ろに気配を感じ、ツンツンと頬を突かれた。


「どうしたどうした、そんなに頬を膨らませて⋯⋯今日はご機嫌ナナメなのかな?」


 そんな言葉と共にフッと耳に生温い息を吹きかけられる。


「⋯⋯っ!」


 暒來は咄嗟に耳を押さえて振り返る。すると、燕尾服の男はパァッと表情を輝かせた。


「や〜っとこっち向いたな。俺とお前の仲じゃないか。そうつれない態度を取るなよ」

「⋯⋯貴方の事など存じ上げません。知らない殿方とは話さないようにと兄からキツく言いつけられておりますので、話しかけないでください。それでは」


 暒來は気安い態度で肩に触れた男の手を力の限りに振り払う。しかし、男はめげる事なく尚も付き纏って来た。


「冷たいなあ! その兄というのが俺じゃあないか! そうかそうかぁ、分かったぞ。お前は先の一件を根に持っているんだな?」

「⋯⋯⋯⋯」

「嗚呼、そんなに怒らないでくれ、無視しないでくれよう、我が愛しの妹よ! お前の兄でいる事こそが俺の生き甲斐なのだから⋯⋯!」


 鬱陶しいほどに纏わり付く男は芝居めいた大仰な仕草でウルウルと瞳を潤ませる。かと思えば裾をなびかせ軽快なステップでくるりとその場で一回転した。

 熾炎シエンの秘書官こと暒來の兄——千昊チヒロ=レイヴィスは一息に距離を縮め、ここぞとばかりにひっしと抱きついて来る。

 そんな千昊の表情は、謁見の間の時の彼とは別人かと見紛うほどの良い笑顔だった。


 此れだけなら未だ、妹思いの良い兄の範疇はんちゅうなのだろう。しかし、この男は此処から本領を発揮する。


「それにしても⋯⋯先ほどのお前のあの涙を溜めた瞳は実に唆られたなあ」


 熱に浮かされた深藍色の瞳で暒來を見つめると、妖艶な仕草でペロリと舌舐めずりする。そんな彼は、実の妹である暒來に対して兄妹愛を超えた何かしらの感情を抱いていると専らの噂だった。


「さあ、もう一度⋯⋯肉食獣に追い詰められ震える小動物のように哀れだが愛おしく庇護ひご欲を存分にくすぐるあの眼をこの兄に向けてくれッ!!」

「このっ⋯⋯変態!!」


 恍惚とした表情を浮かべ、今か今かと待ち侘びる千昊に対し暒來はすかさず今ではすっかり慣れてしまった蔑みの視線を向ける。


「ああっ、そんな顔もまたイイッ⋯⋯!!」


 頬を染め、熱い吐息を吐き出しながら身体をくねらせる千昊。仕事モードとの落差が激し過ぎて風邪を引いてしまいそうだ。


「お前の表情声体温香り心拍数瞬きの数——その全てに至るまで俺の心のメモリーに余す事なく記憶しなければ⋯⋯!!」


(一点の曇りも無い純粋な瞳⋯⋯認めたくないですが、私の兄は紛れもなく正真正銘ホンモノの変態ですね⋯⋯)



「それで、兄さん。そんな下らない事を言うために追いかけて来たのでは無いでしょう?」

「そうだったそうだった。陛下から言伝を頼まれていたんだったよ」


 今ではクラウディウス陛下の秘書官にまで上り詰めた千昊だが、暒來の兄ということはつまり、子爵家の出身という事である。

 貴族とはいえ、下級貴族に属する千昊が王の元で働くというのは並大抵の努力では敵わない。


 千昊も暒來と同じく、異能の力を持つ者だ。『記録レコード』——それが千昊が持つ異能力の名前である。

 千昊は熾炎シエンが即位して直ぐにソルシア王国と長らく冷戦状態にある敵国へスパイとして赴いた。そしてそこで政府上層部へと潜り込み、官僚の中でも一握りの者しか知りえぬ機密事項を抜き取るとついでに誤情報を流して帰還した。


(兄さんの活躍によって敵国は内部から瓦解がかいし、ソルシア王国は少ない労力で勝利を収めました)


 戦争とは何も武力だけでは無い。情報を制した者もまた、勝者となり得るのだ。


(兄さんの能力は自らが体験した五感全ての記憶。今はこのようなていたらくですが、兄さんはやる時はやる人なんです。その点だけは素直に尊敬しているんですけどね⋯⋯)


 暒來が輝かしい兄の功績を思い返していると、不意にうっとりと頬を染めてこちらを見つめる千昊と目が合う。


「それにしても⋯⋯お前は本当に愛らしいなあ。藍玉アクアマリンの如く煌めく白藍の瞳に何処までも透き通ったまるで空を映したような髪——妖精の女王ティターニアの名に勝るとも劣らないその可憐な姿! 嗚呼、目に入れても痛くないぞ!!」

「⋯⋯そんなに私が可愛いと仰るなら、先ほどの強引な人事のこと、兄さんが陛下に進言してくれても良いではないですか!」


 王族専用書庫の閲覧権は非常に魅力的だが、未だに諦めきれない暒來は自らを溺愛する兄の説得を試みる。


「それは無理だ。鳥籠に入れて俺が一生大事に飼うのも魅力的だが、妖精の女王ティターニアの名の通り、お前は大空に向かって羽ばたく姿こそ美しいのだから」

「もうっ何度も何度も⋯⋯その呼び方は辞めて下さいと言っているでしょう!」


 暒來は怒りの眼差しで笑顔の千昊の身体を揺さ振る。


「あははっ⋯⋯お前と戯れ合うのは実に1ヶ月と19日振りだ。幸せだなあ」

「そんな事はどうでも良いですから、早く本題に入って下さい! どの道もう陛下に従う他ないのですから⋯⋯!」

「済まない済まない、お前と話せるのが嬉しくてついつい長話をしてしまった」


 そう言うと、千昊はカチリとスイッチが切り替わったように表情を一変させる。仕事モードだ。


「先ずはこの手紙を渡しておこう」


 千昊が差し出したのは熾炎よりたまわりしユキ=ランチェスター宛ての書簡。


「確かに受け取りました。それで、私が今回異動となった組織は一体何を目的として創設されたものなのでしょう?」


 暒來は手紙を受け取ると、改めて目前に立つすっかり秘書官の顔をした千昊に向き直った。






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