続・カフェ巡り3(本編・中盤戦)
何杯目かの日本酒のグラスを空にしたS・Tが、少しお手洗いに、と言って鞄を持って立ち上がった。次の飲み物、何か注文しておきましょうか、と尋ねると、戻ってから頼みます、とのことだった。『飲み物がグラスに入っている状態で席を立たない』『戻ってきてから飲み物を新たに頼み直す』というのは、デートレイプドラッグによる被害に遭わないための対策の一つとして推奨されている行為である。警察職員であるS・Tにとっては当然の振る舞いであるのだろうし、初対面の私のことを当然警戒しているのだろうが、私が信用ならない人間であるという烙印を押されたような、筋違いな落胆にも襲われる。……とはいえ、よくよく考えれば、私は他の章で向精神薬を常用しているような描写をしており(それ自体がフェイクであって、そうでなければ呑気に酒など飲んでいない)、職業柄、薬物に詳しいことも匂わせてしまっている。そんな人物の前で軽々に隙を見せるべきではないことは火を見るよりも明らかだった。
酔っていたこともあって、戻ってきたS・Tに、大体上記のことをそのまま話したところ、「普通それ、この場で本人相手に話題にしますかね」という呆れかえったような苦笑が返ってきた。
「いや、大事なことですよ。S・Tさんは偉いですよ」
「偉くはないでしょう。まあ、犯罪の三要素のうち、『機会』を与えないという自衛手段ですが、そもそも今迫さんには『動機』も『正当化』もないんで、心配はしてませんよ」
「それでも警戒することが大事なんです。私も頭ではわかってます。空港の手荷物検査で『俺を不審物持つような人間だと疑っているのか』と怒り出す人がいないのと同じで、これも本来は誰もが許容すべきことなんですけど、いざ自分が警戒されていると気付いたところ、何か変な感情が沸いてきた、ということで、まあ、思ったことをそのまま喋ってしまいました。すみません」
「……知識としてどれだけ知ってても結局実体験には勝てない、みたいなやつですね。カクヨムでもなんか書いてましたね。『小説は現実じゃない』でしたっけ?」
「ですかね。『現実は小説じゃない』の方かもしれませんが。書きましたね。私の信念なんで」
「信念、ですか」
今日日、そんな言葉を居酒屋で聞くことになるとは思っていませんでした、とS・Tは言う。私はいつでも安売りしてます、世界で一番安い信念です、と軽口で返した。
日本酒とハイボールとつまみ三品を追加注文し、カクヨムで公開している私の作品『令和の実話系怪談(短編集)』についての話題に移行した。
「本当は、『カフェ巡り』だけ独立させるべきだったんでしょうけど。嘘と本音のハイブリッドみたいなわけのわからない作品群になってしまいました。全部目を通されたんですか?」
「一応、そうですね。最初、『カフェ巡り』の続きなのかと思って次の話に進んだら、全然関係のないAIの話が始まって面食らいましたが、まあ、せっかくなので、続けてそのまま……」
「だいぶ文字数あったと思いますが」
「読むの早い方なんです。スマホの画面で文章読むのは、毎日やってる習慣みたいなものですし」
「ああ、SNSのチェックは欠かせない、みたいな」
「まあ、そんな感じです」
「ともあれ、ページビューの増加に貢献していただき、ありがとうございます」
余談だが、おそらくS・Tが本作品に目を通したと思われる2023年6月29日(面会の前日)、PV数は45も増加していた。一日平均1PVを下回るであろう私の作品においては歴史的快挙と言える。
「ページビューが増えると何か良いことあるんですか?」
「私の場合、一つもないです。何か、広告を設置してロイヤリティがもらえるように出来たりもするみたいですが、私はそもそも立場上、広告収入得られないんで。後は、やりがいに繋がるくらいのものでしょうが、私の場合、ページビューが爆増したら逆にまずいようなことも書いているので、『少なくとも自分以外の誰かが読んでくれた』ことだけで満足してます」
「ゼロでないことが大事、と」
「大事ですが、他の作品では、ゼロのやつもいっぱいあります。それはそれで別に気にしてないです」
「意外とメンタル強いんですか?」
「逆です。弱いんで、気にしないことに決めたんです。宣伝してないし、誰も読まなくて当然なんだ、という言い訳を用意して平静を装っています」
「さすがですね」
「よく言われます」
S・Tは、私の軽口に微笑を返した。この時点で酒をだいぶ飲んでいたはずだが、頬がわずかに紅潮していたものの、呂律はしっかりしており、ほとんど影響が見られない。私も、飲んでもそれほど変わらない性質だが、普段は理性でセーブして自重している意見をそのまま口にする機会が増え、いつも以上に饒舌になると言われる。
「あれって、他の作品はどこまで本当なんですか?」
「どこまで、と言いますと?」
「例えば『カフェ巡り』だと、本当の事件の日時を誤認させるためだと思いますけど、出てくる日付とか年単位で嘘じゃないですか」
「そうですね」
「そのせいもありますけど、たぶん、普通に読んでる人は、Nさんがどんな事件起こしたのかさっぱりわからないと思いますよ」
「それ、少し思ったんですよね。裏話みたいになりますけど、公開前は、全部、詳らかに書いてたんですよ。事件の概要とかも、ネットニュースの記事を拾ったりもして。地名とか人名だけイニシャルにしてましたけど。でも公開直前に、特定されるのが怖すぎて、事件の情報全部消して、作中の描写も削りに削ったんです。結果的に、最後の方、駆け足になり過ぎて意味わからなくなりました。公開後も、Nの仕事の話とか、年齢とか、特定につながりそうな情報を色々とぼかすための修正を入れてます。最早、原形をとどめてないんで、空想上の事件と一緒です」
「……裁判の経過については書くつもりはないですか?」
「……書けないですね。ちょっと、心理的にも。作中では一切触れないつもりです」
「ですよね。安心しました。さすがにそれだけは止めようと思ってたんで。そのかわりに、事件の情報をもう少し書いてもいいと思いますよ。作品の質とかを考えるならば、ですけど」
「いやあ、めちゃくちゃ痛いところ突いてきますね。迷いますね。普段、読者からの声聞くことないんで、反応に困ります。ちょっと、検討します。次に『カフェ巡り』の続き書く時に、しれっと出すかもしれません。でも、あー、そうか、事件の被害者が私の知り合いだってS・Tさんに暴露されたところを書くなら、触れないわけにもいかないのか」
「別に今日のことも書きたいところだけ書けば良いのでは?」
「せっかくなんで、書けるところは全部書きたいんですよね。何なら、さっきのPSYCHO-PASSの話とかで一章使いたいくらい」
「え、絶対やめてください」
「嘘ですよ。やらないですやらないです」
余談だが、本当はここでS・Tの作中での推しのカップリングを暴露する冗談の台詞があったのだが、何故か検閲を通らなかった。その情報に触れると、色相が濁る危険性でもあるのだろうか。
「これも聞きたかったんですが、実際、ネットカフェでNさんと喋った部分、あれって、どれくらい正確に再現されてるんですか」
「もう気付いているかもしれないですが、全然適当ですよ。悪い意味の適当。雑談の内容、一言一句憶えている人いたらヤバいですよね。大体『こんな内容について話したな』っていうのを思い出して、後はそれにそって会話を作っていく感じなんで、私の発言がNの発言だったことになったり、その逆もあったり、私の思い込みがそのまま反映されたりもするわけです」
「……次から、私が出てくる部分、公開する前に、チェックさせてもらうことって出来ます?」
「え、ああ、そうですよね。何かまずいこと書くかもしれないですし、私が記憶違いで嘘書くかもしれないですしね」
「嘘が混じるのは全然良いですよ。本当のこと過ぎる方がまずいんで」
「たぶん、私が書いた文章読んだら、そうも言ってられないと思いますよ。あることないこと書く悪癖がありますから。合コンに誘っても来なさそうとか」
「えー、じゃあ外見は常守朱に瓜二つだったことにしといて下さい」
「そこで女優とかじゃないところが良いですね。私が書きそうでリアルというか」
「芸能人の誰に似てるかみたいな話題って、本当に困りません? そもそも芸能人に似てるくらいの顔面偏差値があるなら芸能界に入ってるっていう」
「いや、S・Tさんは絶対芸能界になんて入らないタイプでしょ」
「まあ入らないですけど」
「じゃあ別にいいじゃないですか」
「そういう問題でもないでしょう」
私はこの時、S・Tが人生において数回は似ていると言われたことのあるだろう女優の名前をすぐに思いつくことが出来たが、ハラスメントみたいになるかと思って黙っていた(どうせここに書いてもおそらく削除されるだろうと思って書かなかったら、本人から『誰のことですか』と確認の質問が来て、素直に答えたら、『一回も言われたことないです』というにべもない返答があったので、私の目が腐っているだけだった)。
「とりあえず、今日の話については、私がチェックした後に公開するということで」
「わかりました」
さらにこの後、『続・カフェ巡り(予告編2)』で書いたように、いくつかの質問について公開する形で回答することまでタスクとして課されることになるのだが、それはまた別の話である。
「『カフェ巡り』以外の話がどこまで本当なのか、ということについてですが」
「はい」
「話の大筋となる部分は事実ですが、脚色が沢山ある、という感じですね」
「気になるところ、訊いていいですか?」
「いいですよ」
「……さすがに、『嘘を知らない女』は本当の話ですよね? 奥さんは実在するんですよね?」
S・Tの視線が、ちらりと私の左手に注がれた。薬指には銀色の指輪が嵌まっている。私は、それをよく見えるように目の高さにまで持ってきた。
「そうですね。妻は実在します。私は既婚者で、別れてもいません。実は以前、別名義の方でも結婚報告をしたことがあります」
「ですよね。そちらの昔のSNS、確認してきました」
「まあ、それはともかく、私にとって非常に残念なことに、『嘘を知らない女』は殆ど本当の話です。妻はあんな感じの人間です」
「いいじゃないですか。あの話、めちゃくちゃ好きでした。最近読んだ話の中で断トツで良かったです。ネットの『ほっこりするコピペ』みたいな良さがありますよね」
「まあ、元はそういうのにまとめられるタイプのレスを現役で書いてた人間ですから……」
「ホラーと銘打っておいてあの展開とオチはずるいですよ」
「それはそうですね。でも、一番良い披露の仕方になったかな、とも思ってます。妻のエピソードは、飲み会とか現実の世界で『すべらない話』が必要になった時、重宝してますが、カクヨム上でもそれを小出しにしていきたいと考えてました。本当は普通のエッセイの方に書くべきなんですが、今回はあえて実話系怪談の中に組み込んでしまって、作者が『存在しない妻のことを書いているヤバい奴』なのではないか、と疑わせるところまで含めてホラーにしたかった、みたいな浅い意図です」
「でもあの章、フィクションだと疑う人いないと思いますよ? というか、良い話過ぎて、フィクションと思いたくないというか」
「……そうかもしれませんね。本物はリアリティが違います。ちなみに、他の章で、妻が乳癌を宣告されたことがある、と書いてますが、そっちも本当の話です」
さすがにS・Tが言葉を失った。
「それは、なんと言ってよいか……」
「まあ、右胸全摘して抗癌剤治療して、以降数年再発してないので、完治したと言ってよいという状況です。そのうち別の章で、本当は妻が死んでいるという設定の物語を書くかもしれませんが。この世界では生きてます」
「先に聞いておいてよかったです。帰ったら、素敵な奥様にくれぐれもよろしくお伝えください」
「妻の話は、『だから僕は○○を辞めた』っていう別のエッセイに少し書いてるんで、気になるならそっち読んでください」
露骨な宣伝に対しては、S・Tは曖昧な笑顔で頷くだけだった。
「読んだ中では、個人的に、『悪夢を見る薬』が、ちょっとアレでしたね」
「アレとは?」
「作為がひどすぎるというか。あまりにも嘘っぽすぎて、怖がらせようとし過ぎて逆に怖くないというか、なんか中身がないというか」
「え、ただの酷評じゃないですか。よく作者に面と向かって言えますね」
「あ、いや、すみません。なんか一緒に感想言いあってる気分になってました」
私は、言いようのないショックを軽口の中に押し殺して続けた。
「あの話は、実は怪談部分はどうでもよくて、やりたいことは、ラスト付近で、作者が向精神薬を処方されるくらい追い詰められているっぽいということを匂わせることだけなんですよ。ああ、あと、私に娘がいるってことのアピールもですか」
「娘さんは何のために登場させているんです?」
「妻と娘が両方妄想だった方が、怖くないですか」
「妄想だったら怖いですけど、両方妄想ではないんですよね?」
「そうです。娘も実在します。でも、読者はそうとわからないですし、ちょっとでも作者自身の不気味さの演出に繋がるなら、やれることは全部やっておいた方がいいでしょう? 結果的に、ギミックに重きを置きすぎて、中身がなおざりになってしまったかもしれません」
「なるほど」
「でも、忌憚のない意見ありがとうございました、なんて言えるほど私もメンタル強くないですから。たぶん、この世のあらゆる創作物の作者は、口では何と言ってても、絶賛以外の感想なんて聞きたくないですよ。嫌ですもん」
「まあ、創作に限らず、人間なんてそんなものかもしれませんね。自分という存在そのものを全肯定してほしいに決まってます」
「エゴサーチとか、法律で禁止した方が良いですよ。百害あって一利なしです」
「あー、それは本当に、そうかもしれませんね。ただ、私のは誹謗中傷とかじゃなくて、正当な批評なんで、是非、真摯に受け止めて精進してください」
「たぶん誹謗中傷で訴えられた人も半分くらい同じこと言ってると思いますよ」
「もっと多いですよ。自分の呟きは忌憚のない素直な感想で、他人の呟きは誹謗中傷に見えるものなんです。文脈や話の流れを一切考慮しないという前提付きで、誹謗中傷と捉えられておかしくないコメントを複数回書き込んでいる(Tから始まるSNSの)日本のアカウントは軽く300万を超えています」
「個人的にはもっと多くておかしくないと思うのでむしろ意外ですが」
「じゃあ、カクヨムで公開する時は『アクティブアカウントほぼ全て』ということにして、危機感を煽っておいてください」
「面白そうではありますね。S・Tさんの研究で、SNSをやっている国民全員、既に犯罪者であるとAIに指摘されていることにしてみますか。……さすがに誰も信じなさそうですが」
「『SNSをやっている人なら死んでも良い』みたいな暴論をタイトルにして炎上しましょう」
「悲しいことに、今迫直弥のカクヨムアカウントでそれやってもたぶん炎上しないんですよ」
「悲しいですか?」
「いや、正直、ありがたい話ですけどね」
「今迫さんの作品のことを深掘りしたら誹謗中傷になってしまうので話題を少し変えますが」
「その時点で私の作品を全然高評価してないことは伝わりました」
いやいや、普通に全然面白かったですよ、とフォローでしかない心のこもってないコメントを挟んでから、S・Tは続けた。
「カクヨムに投稿された作品で、ちょっと前に話題になったやつがあったじゃないですか」
「『近畿地方のある場所について』ですか」
「そうです。あれがとにかく凄かったじゃないですか。私が読んだのは一か月前くらい前だったと思いますけど、ちょうど実話系のホラーだってこともあって、何か今迫さんの作品読む際もハードルが上がってしまっていたというか……」
「確かに。何か、シンクロニシティみたいなものを感じました。私がやりたいことを全部やってる完全上位互換みたいなやつが現れたんじゃないか、という。まあ、私は当該作品読んでないですが」
「え、読んでないんですか?」
「読んでないというか、読めないんです、私。自分以外のアマチュアの作品読もうとすると、どうにか粗を探してやろうと思ってしまって、読み進める過程で全然楽しめないし、読み終わって面白くなかったら時間の無駄だと思って嫌な気分になるし、面白かったらそれはそれで敗北感とか絶望感で嫌な気分になるし、どっちに転んでも精神衛生上良くないから、一切見ないことにしてるんです」
「メンタル弱」
「そうなんです。そもそもカクヨムという名前のサイトを使わせてもらっていて、『書く』一辺倒で、『読む』方に微塵も貢献しないのはいかがなものかと感じるんですが、でもどうしても無理なんです」
「『近畿地方のある場所について』は書籍化もされるみたいですよ。そっちなら読めるのでは?」
「いや、どうでしょう。私、そもそもホラー苦手ですし、めちゃくちゃ怖いと評判なんで、正直進んで読みたくはないですね」
「え……? ホラー苦手なのにホラー書いてるんですか?」
「そうですけど」
「何でですか?」
「ホラーが一番、ジャンル分けに寛容だからです。プロットか、アイデアか、ギミックか、筆致か、キャラクターか、展開か、まあ、どこかしらで一か所でも恐怖を惹起できれば、及第点がもらえて仲間に入れてもらえる可能性があるじゃないですか。何なら、『凄く痛そうな怪我』を克明に描けたら、それだけでスプラッタ的なホラー要素ですし」
「頷けるようなそうでないような……」
「常々疑問なんですが、恐怖って、積極的に感じる必要あるんですかね? 私、怖いものは全部得意じゃないです。ホラーは、映画も漫画も小説もゲームも全部好みません。好きなホラー作家はいますけど、その作家が書いたミステリー作品の方が圧倒的に好きです。同じ文脈かはわからないですけど、絶叫系の乗り物も全部無理です」
「私はむしろそういうの全部好きですね。まさしく怖いもの見たさ、みたいな心理だと思いますけど」
「へえ、意外なような、そうでないような」
「今迫さんが、ことあるごとに、『結局一番怖いのは人間だ』みたいなことを書いてたのは、非現実的なホラー要素が苦手だからなんですか?」
「それもあるかもしれません。ただ、結局、我々は人間の怖さを一番知ってる側の人間じゃないですか。この世に、死より怖いことなんてほとんどなくて、幽霊や呪いが人を殺すより、人が人を殺すことの方が多いんですよ。それだけでも怖くないですか?」
「恐怖はもう現実だけでお腹いっぱい、みたいな」
「そうですそうです。それ採用で」
「現実の恐怖で思い出しました。カフェ紹介サイトCについて、新情報があります」
「え。Nの事件に関連して、例の喫茶店が掲載されたとかですか?」
「いえ、それはないです。そもそも、今迫さんの考えておられる喫茶店は、Cの掲載条件に該当していません」
「え、そうなんですか」
ここで初出の情報をざっくり説明すると、Nは事件を起こす前日、喫茶店で夫との話し合い中に諍いを起こしてトラブルになっており、その様子をおさめた防犯カメラの映像がマスコミの手に渡ったため、事件の報道に際してワイドショーでその模様が放映されていた。遠景ということを差し引いても、私には今でも、画質の荒い動画の中で夫に水の入ったコップを投げつけ、夫に掴みかかろうとしていたヒステリックな女が、あの理知的なNであるとは到底信じられない。信じたくもない。
「昼間にトラブルを起こして翌日にあの事件なので、『最後に加害者と被害者が目撃された店』であると思われても仕方ないですが、実はその夜、Nさんは友人を連れて旦那さんの不倫相手の働くバーに突撃していて、そこに旦那さんも呼び出されて来店していることがわかっています。つまり、加害者と被害者が最後に一緒に目撃された店は、喫茶店ではありません。そのバーでは、友人が間にいたおかげか、大きなトラブルはなかったそうですが、この話自体は、週刊誌にも取り上げられています」
「そうなんですか。……何か色々情報隠しながらそれっぽいこと匂わせて書いたんですが、恥ずかしい限りですね。情報弱者ってフィクション書くのも失敗するんですね。ショックです」
「いやいや、でも、今迫さんの考えって大事な視点なんですよ。そもそも、『殺人事件の加害者と被害者が最後に目撃された店』って、どうやって探せば良いと思います?」
「どうやって? 重大事件の詳細な情報なんて、Wikipediaとか、好事家がまとめたサイトとかにいっぱい転がってるじゃないですか」
「広域重要指定事件ならそうかもしれないですけど、実は、カフェ紹介サイトCでは、何と言うのが適切かわからないですが、所謂普通の殺人事件に関連する喫茶店も多数取り上げられています」
「そうなんですか。それは確かに結構難しそうですね。ニュースサイトとか、週刊誌とか、ワイドショーとか、地方紙の縮刷版とか、殺人事件報道の中で偶発的に見つけたものを取り上げる、みたいな感じなんですかね」
S・Tは、静かに頷いた。
「確かに、逆からなら、そうやって調べられたんです」
「逆?」
「そうです。Cで取り上げられている店が全て、『殺人事件に関係あるのではないか』という仮説に基づいて、ネットで検索すれば、『店名+殺人事件』とか『店のある住所+殺人事件』とかの検索式で、まあ、該当する事件を探し当てることが出来て、あとは何とか被害者と加害者の目撃談の話まで行き着くんです」
「執念ですね」
「まあ、仮説の検証のために頑張りました。この時は半分仕事絡みだったんで。ただ、それっぽい事件名まで行き着いても、ネットだけでは目撃談まで出てこない店がいくつか残りました。それが全部、特定の三県のものでした」
「はあ」
「で、思ったんです。この三県の殺人事件の情報の入手には、警察内部の人間が関与しているのではないか、と」
「……論理の飛躍がありそうですが」
「いや、むしろ、最初は全部、警察の捜査情報が何らかのルートで漏洩していると思ってたんですよ。『殺人事件の加害者と被害者が最後に目撃された店』を効率的に探すのが難しすぎるせいで」
「ああ、だから半分仕事絡み、と」
「そうです。不適切な漏洩が起こっていないかどうか調べてたんです。結果的には、全部、捜査段階や裁判の過程で公開された情報がメディアで取り上げられたか、ネット上の書き込み自体が一次情報だったかであると推察され、漏洩自体はなさそうでした」
「良かったですね」
「でも、さっき言った、特定の三県の十数店舗については、ネットだけでは到達できません。地方裁判所の裁判記録か、地方紙の縮刷版を当たる必要がありました。ある一県だけなら、サイト管理人の居住地なんだろうということでかろうじて理解できますが、三県となると、ちょっとおかしいな、と」
「いや、引っ越したんじゃないんですか」
「そうですね。そういえば余談ですが、国家公務員のキャリア官僚は、二年間単位で地方への出向(正確には出向ではないのだが)と霞ヶ関勤務とを繰り返してますよね」
「私は特殊な職場なんであれですけど。基本的に霞ヶ関内での異動の方が多いんじゃないですか」
「そうですね。そして、単なる偶然だと思うんですが、経歴の中で、ちょうどその三県にだけ出向経験のある警察官僚が三名だけいたんですね。うち一人は情報通信技官です」
「……そんなことまで調べられるものですか」
「何しろ情報通信のスペシャリストなんで。正規の手法で調べられることにしておいてください」
「わかりました」
「今は三人とも霞ヶ関勤務ですが、来月、ちょうど三名のうち二名が地方に転出になります。一人は関西地方、もう一人は東北地方です」
「はい」
「私は、七月以降、そのどちらかの転出先の県の喫茶店がCに掲載されるのではないかと読んでいます」
「……そんな都合の良い話がありますかね」
「都合良いですか?」
「ああ、いや、我々の業界的には都合が悪いんですかね?」
「まあ、そうですね。私の仮説が外れたら、次は法曹関係者が怪しいので、裁判所と検察庁に協力してもらうしかなくなります。ただ、それはもう私個人で動ける範囲を超えていますし、現実的でないです」
私は、唸るしかなくなっていた。
「しかしすごいですね。絶対カクヨムで公開できない話ですね」
「いや、全然書いて良いですよ」
「は? 良いわけないでしょ。完全に機密情報ですよ」
「出鱈目なんで」
「え、どこからですか」
どこからでしょうね、と笑いながら、S・Tは、席を立った。
「お手洗いに行ってくるんで、酔鯨を頼んでおいてください」
「は? いいんですか?」
呆然としている私を残して、S・Tは跳ねるような足取りで個室を出て行った。この女も相当酔っぱらっているのではないか、と私はその時にようやく気付き、日本酒と一緒にお冷を二つ注文した。
検閲の段階で、どうせ素面のS・Tが該当部分を消すように求めてくるのだろうと思っていたが、『カフェ紹介サイトCに関する部分は別にそのままで構いません。ただ、私はそんなに酔っぱらっていません。酔鯨のくだりは、むしろ今迫さんに忖度しただけで、他意は無いですので、誤解なきよう』という旨が返ってきたので、もうこのまま載せてしまうことにした。驚くべきことに、長い夜はまだ続く。
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