悪夢を見る薬

 医学的に、悪夢の正確な発現機序は明らかになっていないが、発熱、過労、ストレス、アルコール摂取で引き起こされることが多い。また、子供の方が悪夢を見やすいことも知られている。経験的に頷ける部分が多いのではないだろうか。

 そして、医療関係者なら当たり前のように知っていることだが、市場に出回っている薬剤の中には、副作用として悪夢を引き起こすものが存在する。皮肉なことに、睡眠薬の中にさえ悪夢を惹起するおそれのあるものが存在し、不眠症治療のために処方された薬剤のせいで新たな睡眠障害が起こるという本末転倒な事態も十分に出来しうる。その場合、異なる薬剤に変更するだけで、悪夢はぴたりと止むという。


 私は、何年か前から突然、春先に花粉症の症状が出るようになり、年々それが目に見えて悪化しており、頭痛や軽い熱発、目のかゆみがひどく、正直、日常生活に少し支障を来すほどなのだが、薬を一切飲んでいない。

 理由は単純で、TVのコマーシャルでもお馴染みの最も有名な抗アレルギー薬で悪夢を惹起されたことがトラウマとなっているからだ。その薬に悪夢の副作用が見られることについては、添付文書にもしっかり記載されていたので、稀な事象と侮って気にしていなかった私の問題である。質の悪いことに、その薬は、「眠くなる」上に眠った先で「鮮明な悪夢を見せてくる」ことから、私にとってはもはや精神攻撃用の兵器にも似た代物だった。三月の末ごろになると、目のかゆみのせいで寝付けないことが頻発しているが、悪夢で睡眠の実体を奪われるより何十倍もマシだと思っている。


 では、薬剤の副作用で見る「鮮明な悪夢」というのは一体どのようなものなのか? 実際の症例報告では、処方されていた薬剤の名称をはじめとする現実世界での経緯が記述されているだけで、『恐い夢を見るようになり、そのたびに驚声をあげ、家族や友人を起こしてしまう』や、『恐ろしく、不安を起こさせる悪夢』などの描写はあれど、当然ながら、その具体的な中身にまで言及しているものは見つからなかった。そもそも、悪夢の苦痛度尺度に関する研究でも、夢の内容については『自分が飛ぶ夢』『自分が落ちる夢』『自分が何かに追いかけられる夢』など、いくつかの類型が示されるにとどまっており、学術的には夢の内容の詳細に踏み込む必要など微塵もないことがうかがえる。

 言われてみれば確かに、日常生活においてすら、「昨日見た夢の話」を聞かされることほどつまらないことはない。現実でないし、何の役にも立たない。夢なんてたいてい、脈絡もなければオチもなく、他人に語るほど洗練されているわけがない。悪夢を巡る怪談のほとんどは、話を成立させるための作為が介在している。

 それを踏まえて、私の悪夢について少しだけ説明させてほしい。


 私の悪夢はおおよそ全て、ペーパーテストを受けている場面から始まる。全然勉強していない状態で筆記試験に臨み、テストの問題が全くわからないという焦燥感、危機感みたいなものが、私の中の根源的な恐怖なのだと思う。社会人になって以降、完全に解放されたはずの状況であるので、薄々、夢だと気付いて良さそうなものだが、微塵も理解できない試験問題を前に、敗北感や屈辱感なども綯い交ぜとなった精神的な苦痛をたっぷりと味わわされる。

 試験の時間が終わると、試験の出来について誰かと話し合う場面に移行する。それが誰であるかは時によって変わる。中学時代からの旧友が学生時代の姿で出てくることもあれば、大学時代の既に死んだ知人が訳知り顔で語ってくることもある。職場の同僚と私の妻がなぜか一緒に話しかけてくることもあれば、鏡の中の自分しか話す相手がいないこともある。私の人生で関わった誰かが、無作為に選ばれて出てくる印象である。久しぶりの再会でそれが誰であっても、なぜか問題なく会話できる。悪夢の中の自分の方が、現実より少しコミュニケーション能力が高い。

 大抵の場合、ここで目が覚める。いつの間に眠っていたのか、眠る前の状況を咄嗟に把握できなくて焦る。たいていは自室にいるが、家人がいないことを把握したあたりで、まだ夢の中だと気付く。そして、いつもの不可解な登場人物が右脳から去来することを確信する。

 小学生の頃、発熱の度に決まった悪夢を見ていた。一昔前のスクリーンセーバーに似たようなものがあったのだが、無数の円柱状のパイプがうねりながら伸長し、段々と画面を埋めていくように、瞼の裏の闇が細長い謎の構造物に徐々に侵蝕されていくというものだ。暗色を中心にした構造物が視界の端から端までぎちぎちに埋めつくされた後、視野の中央に罅が入り、白く細い腕がすうっと向こう側から伸びてきて、構造物を私の視野ごと割り開こうとする。それは、おそらく頭痛や高熱など、頭部の不快感の具現化なのだと思うが、その腕が見えたあたりで私は汗をびっしょりかきながら目を覚まし、見上げた天井が割り開かれていないことにかろうじて安堵する。

 成長に伴っていつの間にか現れなくなって、自分自身完全に忘れ去っていたはずのが、満を持して現れるようになった。

 視野の右側にだけパイプ様の構造体がうねり出し、偽りの自室の映像を、異なるレイヤーから塗りつぶしていく。眼を閉じても、パイプは消えてくれない。ただし、その悪夢の中で自覚的に、逃れようと目を閉じたことはないような気もする。早く終われ、と考えている。恐怖とは少し異なるタイプの忌避感情、嫌悪感にも似た何かが頭を占め始める。

 視界の左側については何の影響も受けない。理由はわからない。

 右側を埋める構造物に罅が入り、白い腕がぬるっと伸びて出てくる。そして、映画館で言えばスクリーンを突き破って後ろから出てくるような感覚でが登場するのだが、突き破るべきスクリーンが私の網膜みたいな状況なので、が出てくる空間は目の前に広がる夢の中の自室ではなく、私の内側ということになってしまう。そのせいか、の真っ白い腕が肩口あたりまで見えた後は、視野いっぱいに広がる長い黒髪と真っ赤な何かを認識するのが精いっぱいで、姿は見えなくなってしまう。傷口が修復されるみたいに、細いパイプがの出てきた跡を覆い隠し、構造物は元通り、私の視界の右側をぎちぎちに埋める。

 は、私の右側の口を使って私の内側から喋り出す。どうやら、私の右の体側にすっぽりと嵌まり込んでいるようだ。うまく表現できないが、そうとしか言えない。残念なことに、私の口を借りて喋るその声が不気味であったりすることはないし、やたら思わせぶりなことや恐怖を煽るようなことを言ってきたりもしない。ただ、一刻も早く起きるように私を急かすだけだ。

 そして、の声が徐々に、スマートフォンの目覚ましアラームなど、外界の音に代わっていく。それに従って、夢の世界と、視界の右側の構造物は溶けるように消えていく。私は、も一緒に自分の中から消えているのか、よくわからない不安感とともに現実世界に戻ってくる。当然、疲れは全くとれていないし、大抵の場合、違和感は半日消えない。


 私の悪夢の背景に、どんな深層心理が隠されているのかは定かでないし、もしかすると右半身の何らかの不調を警告してくれているのかもしれない。この悪夢の不快感は、どこまで行っても私だけのものだ。

 花粉症対策の薬で悪夢を見た休日の朝、当時幼稚園児だった娘と公園まで散歩に行くことになった。いつものように右側に陣取って私の右手を握ろうとした娘が、私の指先に触れるなりビクッと体を震わせ、「なんか冷たい」と文句を言って左側に回った。左手については特に何も気にせず握った。たぶん、娘の気紛れか、些細な偶然に過ぎないだろう。ただ、もう例の抗アレルギー薬を飲むのをやめようと思うには十分だった。

 その薬を飲まなくなって以来、少なくともの出てくる悪夢は見ていない。


 最近、『カフェ巡り』の件で変なストレスがあるせいか、愉快でない夢を見る機会は増えている。ただ、が出てこない夢ならば、私にとって悪夢でも何でもない。心療内科でも、夜は全然眠れていると申告している。処方された薬についても、インタビューフォームを信じる限り、副作用で悪夢を見ることはない。

 大丈夫、私はまだ戦える。

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