4.呪いを止める方法


「ふむ、やはり呪いによる死を防ぐとその呪いは弱まるようだな」


 薄くなった刺青を紫苑は顔を近づけてまじまじと見つめる。


「では行方知れずのもう一つの呪いを解けば、俺の不死の呪いは解けるということか」

「恐らくその可能性は高い――が」


 袖を降ろし、紫苑は魁閻を見上げる。


「お前様、毒を盛られて死にかけたことがあったといっていたな」

「あ、ああ……生死の境を彷徨い、目覚めたらこの刺青が入っていたのだ」

「何者かが呪いをかけたのか? なにか心当たりはないか?」


 魁閻を見上げる赤い瞳は好奇心に揺れていた。

 美しい女子ではあるが、紫苑はまさに奇人。彼女に素肌を見られることにもすっかりなれた魁閻は、袖を直しながら答えた。


「……目覚めたとき、母が奇妙なことをいっていた」


 考え込むような魁閻に、紫苑は続きを促すように首を傾げた。


「もう大丈夫ですよ。魁閻。もう、なにも恐れるものはありません。貴方は必ず母が守ります。例えこの命に代えても――と」

「ほお……ほお、ほおほおほお……」


 にやり、にやにやと紫苑が破顔していく。

 徐に魁閻の腕を取ると、がばりと大きく袖を捲り再び刺青を凝視しはじめたではないか。


「お前は一体何なんだ突然。さすがに気味が悪いぞ」

「お前様の母君はその後どうしている」

「死んだ。俺が目覚めた三日後に」

「彼女の名は?」

芙蓉ふようだ」

「ほおほおほおほおほおほお。なあるほどなあ……」


 紫苑はしきりに頷きながら、魁閻の全身をなめ回すようにぐるぐると周囲を歩いている。


「母の死のなにがそんなに面白い」


 魁閻が不快感を示すと、紫苑はようやく彼の眼前で足を止めた。


「いや失敬。お前様の母君の死を面白がっているわけではない。ただ、私がここ最近看取った女の中に『芙蓉』という女はいなかったな、と思ってなあ」

「……まさか」


 魁閻からさっと血の気が引いていく。

 先程、紫苑はいっていた。この後宮で死ぬ者を看取ることが死妃の勤めだと。

 彼女が母の死を把握していない。それが表わすことはつまり――。


「探すべき魂はということだな」

「そんな……母上の魂は天に昇らずまだこの地を彷徨っているというのか!?」

「恐らくそうであろう。お前様の母君は、自らの命を糧にお前様を守るために呪いをかけた。人を呪わば穴二つ。たとえそれが愛する息子を守るためだとしても、呪いによって死んだ彼女の魂は逝くべき場所に逝けずにいる」


 その言葉を受け、魁閻は呆然と俯いた。

 儚げだが美しい母。生母でありながら、珍しく乳母をもたず女手一つで魁閻を育てあげた。

 いや、元々身分の低い侍女だった母は皇帝である父が見染め妃にしたのだ。そのため、魁閻とその母は幼い頃から周囲に疎外されていた。


『魁閻。魁閻……可愛い子。貴方の赤茶の髪、赤い瞳……若い頃のお父上そっくりですよ』


 幼い自分を膝に乗せ愛おしそうにいつも頭を撫でてくれていたことを思い出す。


『貴方に命の危機が迫ったら、母がこの命に代えても貴方を守りますからね。愛しい愛しい私の宝物』


 その優しさが時折怖いと感じたこともあったが、それを魁閻は心の奥にずっと隠していた。

 母は底抜けに優しかったから。孤独だった魁閻は、母の愛をなによりも大切に想っていたからだ。


「彷徨う魂を見つける方法はないのか」

「魂は常人の目には見えぬ。私とて、尸蟲や蟲の姿となって現れなければ認識することはできない」

「なら、ここに死にかけた者がやってくるまで大人しく待っていることしかできないのか」


 悔しげに拳を握る魁閻を紫苑は見つめ、そうではない、と首を振った。


「お前様がこの下らぬ争いに終止符を打てばよい」

「は――?」

「人が死ぬのは……いや。そもそも、原因は後継者争いがはじまったからであろう」

「父を――皇帝を止めろ、ということか?」

「たわけ。もっと簡単な方法があるだろう」


 難しい顔をする魁閻を鼻で笑いながら、紫苑は平然と言葉を続けた。


「お前様が次の帝になればよい」

「お前は自分がなにをいっているのかわかっているのか……?」

「ああ。私は至極真っ当だ。お前様が帝に後継者だと認められれば、争いは収まる。そして、お前様が帝になれば皇居も後宮も自由に動け、彷徨う魂――死にかけた者も見つけやすくなるだろう」

(この女は――)


 平然と、なんて恐ろしいことをいう悪魔のような女なのだと魁閻はたらりと冷や汗を流した。

 帝になろうなどと今まで一度も思ったことなどなかった。

 だが、そうしなければ大勢の人が死ぬというのであれば、母が逝くべき場所に逝けないというのであれば――選択肢はあまり残されていなかった。


「帝になれ、魏魁閻。全ての死を跳ね返す不死身の王はなんてとても面白そうではないか」


 妖美に笑う死妃を照らすように、黒葬宮には眩いほどの朝日が差し込んでいた。

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