3.死妃の務め
はじめのひとりは 転んで頭を打ち付けた
つぎのひとりは 毒味で倒れ
さらにひとりは 池で溺れる
それまたひとりは 病に倒れて
さいごのひとりは 塔から落ちた
「どういうことだ」
ずらりと横一列に並んで横たわる五人の侍女を魁閻は唖然と見下ろしていた。
マオの報告のすぐ後、黒葬宮に続々と侍女たちが運ばれてきたのだ。
頭に縫い跡があったり、顔色が土色だったり、荒い息をしていたり、全身に包帯を巻かれていたりと、息はあるようだが全員意識を失っていた。
「死妃様、どうぞお定めを」
「朝早くからご苦労であったな。後は私に任せろ」
やってきたのはこの後宮の侍女たちを全て統括する筆頭女官だ。
位が高い彼女がわざわざこんなところに来るなんて、と魁閻が不思議に思っていると目が合い身じろいだ。
「ああ……皇子は私の客人だ。わかっておるとは思うがくれぐれも、このことは他言無用で頼むぞ
「は――」
香笙と呼ばれた筆頭女官は深々と頭を下げ、何事もなかったように宮を後にした。
「これは一体どういうことだ。何故侍女たちがここに――」
「彼女たちの死を見定めるのが死妃である紫苑様の勤めだからです」
立ち尽くしている魁閻の立場に臆することなく「邪魔です」といい放ったマオはなにやら準備を準備を進めている。
木盆には長い針が五本ずらりと並んでいた。
「この後宮、ひいては皇宮で死に瀕した者は皆黒葬宮に運ばれてくる。死すべき時に死ぬ者の死を看取り、死すべき時ではない者の死を食い止めるのが死妃の務めなのだ」
紫苑が手を挙げると、水盆を持ったマオが傍に寄る。
その中に浸けられていた榊の葉を手に取ると、伏せる侍女たちを撫でるようにそれを払う。
「五名のうち四名は、死すべき定めではない」
五名をじっと見つめる紫苑の瞳は仄かに赤く光る。
「それは、俺の呪いによって死が跳ね返された者なのか」
「否。これは呪いが跳ね返り死んだ者の呪いだな」
「亡くなった兄や姉が彼女たちを死に追いやったと?」
そうだ、と紫苑は迷いなく頷いた。
「死を跳ね返された者は見定める間もなく死に至る。故に、魂が逝くべき場所に逝けずに彷徨い続けることとなる。看取られなかった死はさらなる死を招く。呪われた彼女たちが死ねば、さらに死の連鎖は続いていく。そうして人が死ぬ度に、お前様の刺青は広がり――やがて後宮中の人間が死滅するだろう」
「そんな……! どうすれば死の連鎖を止められる!?」
「だからそのために私がいるのだと、何度も申しておるではないか」
少し黙っておれ、と諫められ魁閻は一歩後ずさった。
「まあ、折角の機会だ。手を貸してもらおう――マオ、針を」
「こちらに」
先ほどの木盆から長い針を持った紫苑は、右から一、二、間を開けて四、五人の侍女の眉間にとん、と針を刺した。
「マオ。はじめるが、準備はよいか?」
「はい。戸締まりは万全です。いつでもどうぞ」
「魁閻、お前様も呆けておる場合ではないぞ。そろそろだ――」
すると針を刺した四人の眉間から黒い煙がふわりとたち昇ってきたではないか。
黒煙は徐々に形を模し、蜘蛛に、蠍に、百足に、蛾になった。
「虫!?」
形を成した虫たちは目にもとまらぬ早さで動き出した。
「魁閻! 出てきた蟲を殺せ! 絶対に逃がすな!」
「なっ――!?」
魁閻が驚くよりも先に、紫苑が素早く長針を投げ、壁に蜘蛛を突き刺した。
「――魁閻様は百足を!」
マオも迷いなく短剣をふり、蠍と蛾を切り刻む。
残すは百足一匹。うぞうぞと床を蠢く細長いそれを見るだけで魁閻は身の毛がよだった。
「いきなり無茶をいうな! ああ、くそっ!」
だが、躊躇している場合ではない。足元をくぐり抜けようとした百足に、魁閻は思いきり足を振り下ろした。
ぷちりと嫌な音と感触。そっと足を除ければ、潰された百足は黒い煙となって消えていく。
「上出来だ! よくやった!」
紫苑の歓声が聞こえ、顔をあげると四名の侍女たちの顔色がみるみるよくなっていた。
苦悶の表情が穏やかになり、呼吸も正常に戻っていくではないか。
「この虫はなんなのだ」
「
「ではこの蟲を逃がしていたらこの者たちは死んでいたということか」
「左様。お前様は理解が早くて助かる」
「だが、尸蟲がでてきたのは四名だぞ。もう一人は――」
「うん。彼女は助からない」
右から三番目の侍女。彼女の顔色は先程と変わらなかった。
それどころかどんどん呼吸が弱まり、生気が失われていくのが見て取れる。
「先程と同じように助ければよいではないか!」
「ならぬ。彼女は死ぬべき
紫苑はただ真っ直ぐと侍女を見つめていた。
「人は生まれ落ちたときに死ぬ刻限が定められている。決してそれを破ってはならない」
紫苑が歩み寄り、侍女の手を取る。
「其方、名は――ああ、
呼びかけに応えるように侍女は薄らと目を開けた。
「――ああ、貴女は死神様ですか?」
「如何にも」
「私は死ぬのですか? 恐ろしい。死ぬことは恐ろしいです……」
侍女は目に涙を浮かべている。
恐怖で体が震え、指先は白く冷たくなっていく。
紫苑は優しく微笑み、母親が生まれた赤子にするように優しく彼女を抱きしめた。
「大丈夫だ。死は恐ろしいものではない。私に身を委ねろ――眠るように安らかに、お前様は逝くべき場所へ逝けるのだから」
紫苑は先ほどのように榊の葉を振るうと、彼女の眉間に口づけを落とした。
「――マオ」
「はっ」
後ろに控えたマオが、火のついていない蝋燭を差し出した。
すると紫苑は侍女から唇を離し、そっと蝋燭に息を吹きかける。
「――な」
なんと、青色の火が灯ったのだ。
ゆらりゆらりとくゆるそれを、紫苑は侍女の口元へ近づける。
「この火はお前様の命だ。これを自身で吹き消せば、魂は体を離れ、逝くべき場所へいける」
「――ああ。なんて美しい灯。これが私の命なのですか?」
「そう。其方はこんなにも美しく生きたのだ。恐るるな。正しき死は美しいものだ。大丈夫、一息だ。さあ――」
ふっ――侍女は一息で蝋燭を吹き消した。
次の瞬間に彼女の体から力が抜け、ずっしりと重くなった。
「死んだのか――」
紫苑の腕に抱かれる侍女の表情はとても安らかなものだった。
すると亡くなった侍女の体から青い光が放たれ、それは青い蝶となりひらひらと飛んでいくではないか。
「尸蟲か!」
「殺すな!!」
そばに寄ってきた蝶を叩こうとした魁閻を紫苑が諫めた。
「それは魂だ。死者の魂は青い蝶となり、自由に天へ向かって飛んでいく。彼女は天寿を全うし、穏やかに逝けたのだ。その蝶はまた魂の循環に加わり、いつかまたこの世に生まれ落ちることができる」
マオが扉を開き、飛んでいく蝶に一礼し見送る。
優雅に飛ぶ蝶を見て紫苑もまた微笑んだ。
「私はこうして、後宮の全ての人間の死を見定め、見送っている。それが死妃の務めよ」
「だが、ちょっと待て。俺が跳ね返した死の呪いは五つだといっていなかったか?」
「うむ。まだ、呪いは終わってはいない――残りの一つははてさてどこへ逃げたのやら」
それはそうと、と紫苑は魁閻を指さす。
「刺青の具合はどうだ?」
「刺青……?」
いわれるがままに、袖を捲った魁閻は目を見張った。
「……刺青が少し消えている」
体中を覆おうとしていた刺青が薄くなっていた。
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