言い訳

ぱんのみみ

砂利のように敷き詰められた

 全てのものがこぼれ落ちた時に、指の間に残るものは何だろうか。それを確認する時が来た時に自分たちは最後に残ったそれを、愛だと呼べるだろうか。


 無機質な部屋の中、手のひらの中の装置がチッ、とアナログチックな音を立てて起動した。

『あー、イザベラ。久しぶりだな、元気にしていたか?』

 録音機を介した彼の声は酷くひび割れてしわがれて、まるでくしゃくしゃに乾いた紙のように色褪せていた。だがそれでも確かにそれは彼の――イザベラの最愛の夫の声だった。


『軍に徴兵されてしばらく経つな。その、手紙を書かなかったのはすまなかった……手紙を書くと君に会いたくなってしまうんだ。決して君を忘れてたわけじゃない! 本当だ。神に……いや、僕たちの子どもに誓う。一秒たりとも君のことを忘れたことなんてないよ。

 実はもうすぐ大きな作戦に参加することが決まってるんだ。それが成功すればようやく君のところに帰れるかもしれない……いや、まあ、うん。随分時間がかかっちゃったな。そっちではどれくらい経過したんだっけか。俺はこの戦争でわかったことがあるよ。宇宙には昼夜はないんだ』

 彼は、マークは、徴兵されその日のうちに宇宙船へと配属された。この数年で戦争の形は様変わりし、今や宇宙で地球のことを争う時代だ。そんな時代に彼は空へと旅立ったのだ。


『太陽も月も登ったり降りたりしないし時計も機能しない。君から貰ったこれはいっとう特別な勲章だが時間は刻まなくなった。なんでだろうな。ソーラー電池なんだけど』

 この人はトンチンカンなことを言っているが昔宇宙飛行士になりたいのだと夢を話していた。まさかこんな形で宇宙へ飛び出すなんて思ってもみなかったに違いない。

『あ、そうそう。それでビデオレターをとった理由なんだけどな、もし君が良かったら、産まれてくる子の名前は男の子ならアレス、娘ならエリザベス……とかどうかな。少し古風すぎる? 重すぎる? 君はどう思う? ……ああ、目の前で話をしたいよ。そうして君の黒髪に触れて、抱きしめたい。これからの日々のことを話して、それからサブスクでくだらない三流のラブロマンスを見るんだ。君の作ったスコーンと、僕のいれたエスプレッソはいつも完璧な関係だっただろう? そういう風に君と……君と一日をすごしたい。今度はそこに僕たちの可愛らしい子が加わると思うと待ちきれないよ。僕はその時、もっといい父親になれてるだろうか』

 彼は少し黙った。自分の気持ちを飲み込もうとする時に彼はいつもそうしていた。今日だって変わらない。だから普段と同じように彼は困ったように笑った。

『ごめん。少し熱中しすぎちゃったみたいだ。君と僕の子ならどんなことだってできるし……きっと僕たちも今より完璧になれる。だからどんな名前でもいいんだ。幸せなら。おっと、これは言い訳じゃないよ。ただ少し……僕のセンスに自信が無いだけ。とにかくすぐに戻るよ。また完璧に戻るためにね。じゃあね、イザベラ。次は地球で会おう』

 音声が途切れた。そしてテープは永遠に沈黙する。


 部屋の中、前のソファに座った軍人はたじろぎひとつしなかった。彼らにとって追悼に十分な時間をとってから口を開く。

「クロッカス夫人。この度は誠にお悔やみ申し上げます。これが我々が回収できた第三部隊の戦艦に残されていた最後のプライベートな音声データでした」

「夫人。酷なことを言いますが貴女は幸運だ。この戦争の被害者の多くの人は形見さえもない人がほとんどなのですから」

「…………何が、幸運だと言うの」

 彼のことを思い出す。彼の髪を、瞳を、鎖骨を、体のラインと熱と皮膚と、少ししわがれたテノールのボイスを。だけどそれら全てからはすでに鮮度が失われて久しい。だからずっと、それらが蘇る瞬間を待っていたのに。

「いいわけ、ないじゃない! 何がいいと言うの!? 何が幸運だというの!? 私の子供は、エリスは今年で三つになるわ。なのにこの人は私が身篭ったばかりの、徴兵された日のことを昨日のように話してる。この人はだって……娘のことも知らずに、娘もこの人を知らずに大人になるのよ。そうして宇宙に散らばって弔うことさえできないことを幸運だなんて、恥を知るといいわ」

「夫人。しかしそれが戦争です」

「だと言うのならば、貴方達の思い描く未来はきっと美しいのでしょうね。砂利のように人々の夢が敷きつめられているのですもの」


 出ていってください、と小さな声で告げた。軍人ふたりの用はそのくだらないカセットテープを届けることだけだ。直ぐに促されるがままに退席の支度を始める。

「最後にひとつ、ご夫人。貴方の旦那様の作戦は無事成功しました。そしてそのおかげで今日も我々はこの言葉で会話をできているのです」


 扉が閉まる。

 分かっている。未来のためにこれは必要な事だった。だがしかし、だからといってどう言えばいいのだ。犠牲になったことを喜ぶことなんてできない。父親はまだ父親になるための夢を見て、そしてそのまま星へとなった。娘はもうすぐ三つになるが何度教えても父親の概念を理解しない。しかし、彼の犠牲のおかげでこの国は今日も回っている。幸福な明日を迎えることが出来る。

 それでも。

「……それでも、いいわけなんてないのよ」


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言い訳 ぱんのみみ @saitou-hight777

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