これは私が体験した恐ろしい話です。その2

樹村 連

妻の料理

 いや、今も忘れませんよ。忘れる方がおかしいでしょう、あんな事件。…もう二度と警察官なんてやりません。え?詳しく聞きたい?…しょうがないですね。これが最後ですよ。心して聞いてくださいな、後悔しても知りませんよ?


 A市の某建設会社に勤務するBは、結婚してちょうど2年目を迎える。しかし彼は単身赴任をいきなり言い渡され、かれこれ半年、最愛の妻と会えていない。

「ふあ〜あ。たまにはあいつの作った料理が食いてえなぁ」

 そんな独り言を言っていると、スマホが鳴った。偶然にも妻からメールだ。開いてみる。

『毎日ご苦労様。最近会えてないけどあなたのこと、考えない日はないわ。いつでもいいから帰ってきて?料理の支度はいつでもできてるから』

 この一文がBの決意を固めることになった。


 Bが自宅の、といっても小さなアパートのチャイムを鳴らすと妻のQが出てきた。

「お前が寂しそうにしてたから帰ってきたぞ」

「あらあ、やっぱり帰ってきてくれたのね!よかったわ。ずっと待ってたのよ。さあ上がって」

 Bは久しぶりに吸う妻の匂いに心から感激した。


「お前がいないと生活の何もかもが大変だよ」

「でしょう?無理して単身赴任する必要なんかなかったのよ」

「やっぱり夫婦でいるのが1番だな!お前を舐めまわしたいほど大好きだ」

「ふふっ!私もあなたを食べちゃいたいほど大好きよ」

 BとQはそうやっていちゃついた。


「そういや腹減ってきたな…」

「そうね、ちょっと早いけど晩餐にしましょうか。お茶入れとくから、飲んで待っててね」


 Qはお茶を出してきた。コーヒー派のBにとっては茶はかなり久しぶりだ。一口含むと全身の力が抜けていくようだ。また一口、もう一口。Bは意識が遠のき、いつのまにか眠ってしまった…。


 まだ26歳の新人警官、Eは『隣の部屋から異臭がする』という通報を受け単独でとあるアパートを訪れた。通報したのは初老の男であった。

「たしかに変な匂いしますね」

「でしょ?ガスでも生ゴミでもない。嗅いだことないですよ、こんなの」

「お隣にはどなたが?」

「女性が住んでます。旦那さんがいるみたいですが、単身赴任してるそうで」

 Eは管理人に来てもらい、鍵を開ける準備をした。そして隣の部屋のチャイムを押した。しかし応答はない。

「すいません〜?あのう、〇〇さんいらっしゃいますか?大丈夫ですか?」

「変だな。いつもはすぐ出てくるのに」

 管理人も怪訝そうな表情を浮かべている。

「留守ですかね?」

「いや、さっき旦那さんが帰ってきたのを見たんでさすがに誰もいないわけはないですけど…」

 Eは管理人の許可のもと、鍵を開けて中に立ち入る事を決めた。


「開けますよ?〇〇さん?いますか?いたら返事し…」

 部屋に立ち入ったEは絶句した。そこには地獄のような風景が広がっていた。居間には真っ赤に染まった肉の塊と臓物のようなものが広げられ、そのすぐ横のキッチンに大きな鍋があって、ぐらぐらと火にかけられている。鍋の端から指のようなものが見えた。いや、これは指そのものだ。Eは視線を移し、それを見てしまった。男の顔がこっちを見ている。目玉を抉り出されてぽっかりと開いた二つの空洞から赤い液体が滴っている。

 Eが呆然と立っていると、キッチンの隙間から服を真っ赤に染めた女が姿を見せた。手には包丁を持ち、無表情でこちらを凝視している。するといきなりそれはEに飛びかかった。Eはこの瞬間に現実に引き戻され、反射的に防御をとった、だがEはまだまだ素人、切り付けられて馬乗りにされてしまった。ところが、いきなりガン!という音がしたかと思うと女は包丁を落として仰向けに倒れた。硬い金属でできている消火器を持った管理人が息を切らしている。

「早く!!警察を!!救急車も!!」

 管理人の迫真の大声を聞きながらEはすーっと意識が引いていった。


 翌日、『アパート人喰い女事件』という見出しで新聞の一面が飾られた。某市のアパートに住む女が、単身赴任中の夫がたまたま帰ってきた際に夫を眠らせ殺害、全身をバラバラにして食そうとしていたという内容であった。この事件で容疑者の夫が死亡、最初に駆けつけた警官が怪我を負った。阿部定事件以来とも言えるこの猟奇的事件は日本中を騒がせ、話題をさらった。被疑者の女は『夫が好きだったから食べようとした』と供述しており、しかし『食べようとしただけで殺すつもりはなかった』『私に非はない』と主張しているとのことだ。


 どうでしたか?怖かったでしょ。先輩の警察官でもこんな修羅場に遭遇した事ないと言ってましたし、お化けより人間の方が100倍恐ろしいんですよね。え?あの時負った傷?…そりゃまあ、もう怪我自体は治ってますよ。ほら、手の平に。一文字に切られた痕が…今もね。

 え…?とある刑務所から…死刑囚が脱獄?女?やめてくださいよ、もう。私、今でも思い出しちまうんです。あの時にあの女、『夕食を食べにきてくれて嬉しいわ』って言ったんですよ?

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これは私が体験した恐ろしい話です。その2 樹村 連 @dotrine

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