身の回りにある差別

あじさい

* * *

 こういうとき、具体的な地名は出さない方が良いのだろうか。


 僕は中部地方の、どこを見ても田んぼと畑と山ばかり、たまに川がある田舎で育った。

 違う県の大学をこの3月に卒業し、4月から東京に行く。

 すでに福岡で働いている兄の様子から考えて、一度社会人を始めてしまうとしばらくは帰れないだろう。

 そう思った僕は、2月の卒論提出やサークル同期との卒業旅行から3月の卒業式までの間、東京の新居に引っ越す直前に、何日か実家に帰っておくことにした。

 高校時代は反抗期で怒鳴り散らすことが多かったし、父の酒癖と母の小言は相変わらずだったけど、今になってみると、勝手知ったる地元で、衣食住を両親に世話してもらえたあの頃は、とても快適だったと思う。

 面と向かってはさすがに言えないけど、あの頃のことは申し訳なかったと思うし、辛抱づよく僕を育ててくれたことに、心から感謝している。



 さて、実家にいる間に、父の提案で、同じ県に住む父方の祖母を訪ね、卒業と上京について報告することになった。

 祖母のすぐ近所に父の兄、僕の伯父が住んでいるが、祖父はもう亡くなっていて、祖母は広い家に1人で暮らしている。


 率直なところ、僕は、というかおそらく父も、この祖母には苦手意識を持っている。

 ただ、父にとってはやはりたった1人の母親だからか、祖母をあまり邪険じゃけんにしないようにしていた。


 たしかに、祖母は昔から僕たち孫を可愛がってくれるし、僕たちの所に押しかけたり、母をいびったりするようなことはしない。

 兄と僕が大学に入学したときには、入学祝いとして大金を出してくれたし、僕たちはみんなそのことに感謝している。

 ただ、普段冷静な父と違い、極端なおしゃべり好きで、感情の起伏が激しい人でもある。

 話し相手が立ち去らなければ、たぶん5時間でも10時間でも延々えんえんとしゃべっている。

 話が楽しければどんどん声を大きくしていって、それはまだ良いのだが、1つ気に喰わないことがあると金切り声を上げ、相手の全てを罵倒ばとうしてもなお気がまず、同じ説教を何度もループする。

 だから、父も僕も祖母をあまり刺激せず、なるべく早く話を切り上げ始めるようにしていた。


 祖母の長話に対抗できるのは、僕が知る限り、僕が小学生の頃に亡くなった祖父と、母だけだ。

 どういうわけか、祖父は息子の父さえ疲弊ひへいする祖母のおしゃべりと罵倒を、ニコニコの笑顔でずーっと聞いていられる人だった。

 亡くなる直前、入院した病院のベッドの上でも、共同の病室なのにさっぱり静かにしない祖母に顔を向けてニコニコし続けていた。

 一方の母は、これまた不思議なことに、助走がなくても常に祖母に負けないテンションでおしゃべりを始められるし、祖母が話の途中であっても怒らせずに自分の話をじ込むことができる。

 しかも、祖母が思わぬ話題でいきなりキレ始めるのは同じだが、母はそこに適当に同調しつつ、いつの間にか祖母の関心を平和な話題に向けさせるすべを知っていた。


 話を戻すと、祖母はこのように、父と僕にとっては手強い相手だったが、とはいえ、何のあいさつもしないのも落ち着かないので、上京前に会っておくことにした。



 父、母、僕の3人は、父の車で2時間ほどかけて、祖母の家に行った。

 2歳下の祖父が10年以上前に亡くなっているにもかかわらず、祖母は昔から僕がイメージする通りの姿で、昔からいつも元気だ。

 これはもちろん喜ばしいことだが、そのせいで親族みんなの気がゆるんでいるのを見ると、祖母が少し可哀想な気もする。


 着いて早々、大学生活と就活について色々聞かれたが、父と母がそこそこのところで祖母を制してくれた。

 仏壇にお線香をあげ、みんなで車に乗って、山の上の霊園にある祖父のお墓にお参りした。

 その後、昼食のため「餃子の王将」に行った。

 祖母はエネルギッシュな割に小食で、自分では何も頼まない。

 父がラーメンや天津飯てんしんはんのついでに注文する餃子を、いくつかまむだけだ。



「あんた、大学には本当にいい人がいなかったの?」


 祖母が言う「いい人」とは、僕の恋人になる女子のことだ。


「さっきも言ったけど、いなかったよ」


「本当に誰もいなかったの?」


「まあ、うん」


「本当はいたんじゃないの? それか、あんた、女の子に色々求めすぎなんじゃないの?」


「それもさっき言ったけど、僕は哲学の話ばっかりしがちだから、話が合う人がめったにいないんだよ」


「そうなの? でも、1人くらい残ってそうなものじゃない?」


「残ってないよ。というかそれ以前に、そんな人いないんだよ」


「でも、そういう学部なんでしょ?」


「おばあちゃん、僕は文学部じゃなくて、国際コミュニケーション学部の国際教養学科だよ」


 こういうとき、なるべくおだやかに、辛抱づよく紳士的な態度を保つのが、祖母の機嫌を損ねないコツだ。


「父さんは文学部の哲学科だったし、僕も影響を受けてるけどね。僕の同級生は別に哲学好きじゃないし、デカルトやスピノザのことも名前を知ってる程度だから、突っ込んだ話はできないんだよ」


 もっとも、畑違いで話が通じないのはお互い様だけど――と付け加えるより先に、祖母が言った。


「あんたの話は難しいね。でも、とにかく、あんたもいい人を探す努力をしないとね」


「そうだね」


 結婚願望は特にないが、僕は調子を合わせるためにそう言った。


「わたしとおじいちゃんはお見合い結婚だったのよ。あんたもお見合いしてみたら? きっといい人が見つかるよ。ねえ、ゆかりさん?」


 ゆかりは母の名前だ。

 突然話題が飛んできたにもかかわらず、母はやっぱりおくせず祖母の話に乗っかり、さっぱりカノジョを作らない僕について色々愚痴ぐちった。

 だが、その話はいつの間にか、父の幼少期のことに移っていった。



「あんた、東京に行ってもゲイ・バーなんか近付いちゃダメよ。ホモにつかまっちゃうからね」


 祖母にそう言われたとき、僕は脈絡みゃくらくのなさに驚くと共に、強くショックを受けた。


「どうしたの、急に?」


 そう聞くのがやっとだった。

 現在、男性同性愛者を「ホモ」と呼ぶのは差別的な用法だと思うが、とっさには訂正ていせいできなかった。

 話がこじれそうだし、『そんなに詳しいなんて、あんたホモなの?』と言われたらどうしよう、と思った。

『いや、僕はホモじゃないよ』

『ホモじゃないなら、むやみにホモの肩を持つんじゃないよ。疑われるから』

 なんてやり取りをすると想像したら、それだけで憂鬱ゆううつだった。


 僕自身は同性愛者ではないが、性的マイノリティが社会的にも政治的にも差別されている今の状況は変わるべきだと思っている。

 同性愛が先天的なものであるにせよ、後天的なものであるにせよ、人間には(他人に迷惑をかけない範囲で)自分らしく生きる権利があるはずで、他人が個人の私生活にみ込み、アイデンティティを規定しようとしても、みんなが生きづらくなるだけだと思う。


 ただ、もし僕自身が同性愛者だと疑われるのなら、事実に反するので否定したくなるだろう。

 しかし、強く否定すると、まるで『同性愛者だと疑われるなんて不名誉だ』と言っているかのようだし、祖母のような人の持つ同性愛者への嫌悪感に同調することになるのではないかと、それが心配だった。

 差別に加担するくらいなら、同性愛者かもしれないと思われた方がマシな気がするが、そうすると僕は祖母から差別の視線を向けられ、逆上され、何時間も、あるいはその後何日かに分けて、説教を受けるかもしれない。



 2時間後、祖母の家を後にし、実家に帰る車の中で、運転席から父が言った。


「おばあちゃんは、考え方が古い人なんだよ」


 父いわく、祖母は昔から、

『いつまでも結婚しない人間は信用ならない』

『最近日本がおかしいのは母親が育児をサボるせいだ』

『中国人の観光客が町に増えて嫌だ』

 などと言ってはばからなかったらしい。

 祖母はそういう時代に青春を過ごしたし、結婚してからは専業主婦としてせまい世界に生きてきた。


 世間も、2000年代に入ってしばらくは古い価値観のままだった。

 TVドラマやバラエティ番組では、だいたい30歳を過ぎても結婚しない男女は何かしら問題を抱えた人間として扱われ、家事・育児をひとりでになう女性が良妻賢母、女性のかがみえんの下の力持ちとして称賛しょうさんされ、外国と比較して日本がいかに優れた国か、日本人がいかに礼儀正しく誠実な民族かが強調されていた。

 当然、新聞や出版社もそれに追随ついずいしていた。


 2010年代後半以降、SNSの影響力拡大にともなって世間の倫理観は大きく変動しつつあるが、ITどころか新聞にさえうとい祖母は、相変わらず昔ながらの価値観のまま、今にいたっているという。


「同性愛者のことも昔から嫌いなんだよ。オネエ・タレントが出始めたときも、太陽族とかヒッピーみたいな一時いちじ流行はやものとしか思ってなくて、『早く終わってほしい』って言ってた。でも、気にするな。深い考えがあるわけじゃない。世間が認めればいずれ認めるようになるよ」


 父の言い方は妙に思いやりがこもっていた。

 このときになって僕は、もしかして父は僕を同性愛者だと疑っているんじゃないか、と思った。

 誤解を解くべきだろうか、黙っているべきだろうか。


 迷っている間にも、車は走り続ける。

「あれ? この辺って、前からこんなだったっけ?」

 と母が言ったとき、僕はすっかりタイミングを失った。

 父がこころよく返事をする。

「古い建物を更地さらちにして、新しくショッピングモールを作るらしいよ。それにしてもずいぶん大きい施設になりそうだけど」



 差別や偏見はそこかしこにある。

 僕たちはそれに立ち向かう機会を持ちながら、そうしなくていい理由を探している。

 言い訳をくり返している内に、差別は社会を、人々をむしばんでいく。

 時間の経過が免罪符となり、意識と関係性はり固まり、地層のように誰にも動かせなくなる。

 動かせるものがあるとすれば、それは個々人ではなく、「社会」そのものか、それに干渉かんしょうし得るほどの大きな力だけだ。

 ――いや、これもまた、ただの言い訳にすぎないのかもしれない。


 福岡にいる兄が昨年、カウンセリングに通う中で、『もしかすると自分はバイセクシャルかもしれない』と思い始めた事実は、今のところ僕しか知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

身の回りにある差別 あじさい @shepherdtaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ