迂闊さと戸惑い、或いは割れ鍋と綴じ蓋の二人

熊坂藤茉

案外こういうのって自分じゃ分かんなかったりするもんだ

 にこにこと甘い微笑み――目は全然笑ってない――を浮かべながら、眼前の先輩が口を開く。


「なあ、覚えているか? 『たとえ言い訳だろうと相手に対して必死に言葉を尽くそうとするその姿勢は評価したいと思うし、尽くした内容によっては実際に評価するつもりだ』と僕が言っていた事を」


 びくりと身体が震える。ちらりと視線を上げてみれば、椅子に腰掛けてどこか優雅に足を組んだ先輩が、冷え切った床に正座した俺を見下ろすようにして視線を寄越していた。


「覚えている、よな?」

「はい」


 もう俺は「はい」としか言えない。実際覚えているし、そうでなくとも肯定するしかないような圧倒的な言霊。


「なら、言い訳を聞かせてもらおう。出来るよな? お前は僕の後輩の中でも特に素直でいい子だ。正直に丸ごと全部何もかも詳らかにすればいいだけ。なあ、そうだろう?」


 ゴゴゴと音でも聞こえて来そうな場の空気。一体、どうしてこうなったのか――



「健康診断があると分かってるのに前日事に及んだのはまあいい」

 あ、いいんだ。

「夢中になって噛み跡やら鬱血痕やらを付けるのもまだ許そう」

 えっ、俺許されちゃた。

「だがな。だがな?」

 ひくりと先輩の口元が引き攣る。どうしよう、経験上この顔してる時のお叱りはめちゃめちゃヤバイ奴だ。



「職場の人間が痕やら跡に言及してる最中に『えっ俺そこには付けてない筈』と口を滑らせ、自分がどこに痕跡を残したのかもうろ覚えで、しかも自ら暴露してしまった事実に焦った末に『先輩は俺のッスから!』と混乱のまま口走った事に対して、お前はどう弁解を聞かせてくれるんだ?」



 うん駄目だコレ全面的かつ完全に俺が悪い奴だー!



* * * * * * * * * *



「ええ、と」

「うん」

「弁解……と言うか……」

「うんうん」

「その、っすね……」


 しどろもどろになりながら、両手でろくろを回すみたいなポーズを取ってしまうが、これどうしていいか分かんない時に取る奴なんだなー、なんて一周回って冷静な俺がいる。なお状況は全然改善されてない。ヤバイヤバイマジでヤバイ。


「なんかもうマジですいませ」

「僕は謝れなどと一言も言っていないが?」

「はいすいません!」

 どうにもならずに謝り倒すしかないと口を開けば「そうではないだろう」と喰い気味に来られるし、テンパっている俺はそれにすら反射的に謝ってしまう有様だ。あぁ~~~もうさぁ~~~これさぁ~~~~~!


「再度言うが謝れとは言っていないぞ。説明をしろという話をしている。説明を、しろと」

「はい! いや、あの、だから……」

「だから?」

 ふ、と微笑むようなそれは慈愛から来るモノにも嘲笑から来るモノにも見えて、つまり俺がどんどんめちゃめちゃになっていく。い、言い訳……言い訳って言うかとにかくなんか言わねえと……!


「あ、あの!」

「僕はな」


 とにかく何かを言わなければと口を開いた瞬間、先輩が言葉を紡ぐ。どこか、遠い目――複雑そうな、どうしていいのか分からないという顔をしていた。


「今現在、お前と恋人関係にあるだろう」

「……はい……」

「そこに不服はないんだ。そもそもお前は現在進行形でお前以外の相手に失恋と片想いをこじらせ続けている僕を『そういう一途な先輩に報われて欲しい、大事にしたい』と言ってくれて、諸々承知の上でこうして想ってくれているわけだからな」


 俺達二人の間の前提条件の再確認。そう、この人は幼馴染の女性――結婚したし少し前に子供も出来た歳上の人――への気持ちを今でも持ち続けているし、俺だってそれは承知の上だ。

 先輩自身、そんな片想いの相手と俺が同率一位になるくらいには恋愛感情をいだいてくれているからこそ、全ての始まり……酔った俺のやらかした事を許して受け止めてくれている。なんなら俺のどういうとこが好きとかそういう事まで伝えてくれる。あれ、もしかして俺結構恵まれてる?


「だけどな、僕は人であってモノじゃない。モノではないんだ。それを踏まえた上で『先輩は俺のッスから!』と混乱しながら高らかに宣言したのはどういう了見なんだ?」

「あ、あぁ~~~~~~~~~~」


 そこ!? 引っ掛かってたの、引っ掛かってたのそこッスか!? いやまあそれはそうッス実際問題言い回しとしてモノ扱いになったしそもそも言っていいかどうかの確認も何にも一切合切なしだった! マジのマジで俺が悪い奴だったー!


「大体だな!」

「はい!」

「……大体、だな……」

「はい……?」

 勢いよく声を張り上げたと思えば、どことなく尻窄みになる言葉に首を傾げてしまう。あれ、なんか様子がおかしくね……?


「……そう告げられた僕のこの感情は、一体どう受け止めて今後持ち続けたらいいんだ……」

「へ」

「俺の、って。俺のだ、って……」

 じわりと頬や目元を染めて視線を彷徨わせているそのさまは、どう見ても戸惑っているだけにしか見えなくて。えっと……これは、もしかすると……。


「先輩」

「どうした、理路整然とした言い訳を組み立てられ」

 言い訳ではないけど、絶対に言わなきゃいけないことは把握した。


「好きです」

「知ってる」

 俺にとって大切な事を伝える。


「大好きですよ」

「知っている」

 なによりも当たり前の事を告げる。



「俺は、先輩しか見てないッス」



 彼にとって、どんな事より特別な事実を口にした。



「――分かってる。分かっている!」

 椅子から降りてぽかぽかと俺の胸を殴打するそれに、案外力が入ってるのがじわじわ来てる。やー、こういうとこちゃんと男の人なんだよなあホント……。

「うん、そんな気はしてたけど。自分だけを見てる、自分だけだって相手に言われて、わけわかんなくなって困っちゃったんすね」

 それも、いつもの困ったような笑顔を浮かべるだけの余地もないくらいに。


 なにせこの先輩は失恋進行中の片想い相手に「勝手に好きなままでいるから」と宣言して、実際それを了承されてるようなちょっと複雑な関係性を構築してるような人だ。誰かからのたった一人として自分が選ばれる事を、思考の隅に追いやって……なんなら、可能性から消していたのかもしれない。


「僕は彼女の事が好きなのに、愛してるのに。想いが届かなくたってずっと好きなのに。なのに、お前は僕だけだ、って。僕だけがいいんだと。なんで、どうしてこんな不誠実の塊みたいな男に引っ掛かるんだお前は……!」

 瞳に涙をにじませながら、かつてないほど本気で声を荒げる先輩。俺に出来るのは言い訳を並べ立てる事じゃなくて、素直な気持ちを伝える事だけだ。


「自分を不誠実だ、って断言出来るくらい優しいいい人ですよ、先輩は。だってほら、ちゃんと俺にだってその人にだって、自分の気持ちを何もかも伝えた上で相手に判断させてるじゃないっすか」

 なんなら正直すぎるきらいすらある。嘘とか隠し事、下手通り越して吐けないレベルなんだよなあ。


「俺が先輩しか見てないってのを嬉しいと思ってもらえたら俺も嬉しいし、そうでなかったとしたら、まあ、それこそ前に先輩が言った通りっすよ。『恋愛なんて男女関係なくなるようにしかならない』んだから、俺らなりの着地点を気長に探していきましょう? ね?」

「……うん……」

 ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。ぐしぐしと俺の服に顔をこすりつけて拭いた先輩がこちらに視線を上げたので、ちゅ、と唇を落としてみた。えっ待って今この人凄い可愛い顔したんだけど流石にこのタイミングでやらかしたら愛想尽かされるよな? 尽かされる奴だよな?


「僕の気持ちの折り合いは、ゆっくり付けていく事にする。……その、悪かったな」

「いや、可愛い先輩が見れて俺は嬉し」

「だがそれとこれとは話が別だぞ」

「えっ」

 ぴた、と思わず硬直する。おかしいな、つい今し方綺麗に話がまとまった気がしたんだけど。


「職場で口を滑らせた、という事実に関しては――完全に別の話だよ、なあ?」

「あ、あはははは……」

 そうだ、それが残って――よりにもよってな所が思いっ切り残ってた!


 結局その後必死に誠意や日頃と今回の件に対しての謝意を伝えて妥協をしてはもらえたけど、やっぱりつまるところアレなんだな。



 言い訳よりも、素直にちゃんと話をしよう。大事な人なら尚更だ。

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迂闊さと戸惑い、或いは割れ鍋と綴じ蓋の二人 熊坂藤茉 @tohma_k

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