騒動のタネ

律華 須美寿

騒動のタネ

 正直な話、私は受験生失格だと思う。勉強にそこまで熱を入れることも出来ず、だからと言って部活動に専念するわけでもなく、就職やらボランティアやらのために活動しているわけでもない。毎日適当に学業をこなし、適当に塾に行き、適当に課題をこなして過ごしているだけに過ぎない。こんなので本当に大学受験が成功するのか甚だ疑問でしかないが、もうここまで来てしまってはどうしようもあるまい。手持ちの武器だけで何とかすることを考える時期である。

「……はぁ~……」

 冬の訪れを肌で感じる夕暮れ時。トボトボと帰り道を歩く私の口から漏れ出るのはため息のような何かのみ。もっと勉強しとけばよかった。今更過ぎる感想だ。今まで何度も注意されてきたと言うのに。何を今更。

「……だって……勉強とかつまんないじゃん……」

 同時に溢れ出す心の底からの弁解。誰がどう聞いても『言い訳』にしか聞こえなかっただろうが、本当のことなのだから仕方がない。歴史の年表を暗記し、数学の公式を頭にぶち込み、古文の活用形やら文章題の解き方理論やらを理解したところで一体何になると言うのか。そんなものを将来使うだなんて全く考えられないし、そんなもののために費やす努力や集中力など無駄にしか見えないではないか。どうせ試験の翌日にはすべて忘れてすっからかんになるのだ。だったらハナから覚えようとしての意味がない。

付け焼刃の知識なんて何の役にも立たないと言ってきたのは他でもない、先生方ではないか。その口で私に受験勉強の必要性や重要性を解きたいのなら、せめて一夜漬けと一年漬けの違いについて納得のいく解説をして欲しいものである。

「あぁ~! ホンッ……ト、納得いかない~ッ……!」

 でも本当に納得できないのはこの自分の性格なのだ。追い詰められてどうにもできなくなるまで動くことが出来ないこのものぐさな性分なのだ。それでいて屁理屈じみた自己便宜だけは放っておいてもスラスラと出てくるこの口が憎い。この脳味噌が恥ずかしい。すべてこいつらのせいだ。悪いのは私じゃない。私の体を操るパイロットの不手際なのだ!そうに違いない。絶対そうだ!

 どんどんと思考の方向がくだらないものへと成り下がっていくのが自分でもわかる。しかしは宇治待ってしまったものは急には止まらない。止めどなく、目的地も分からないまま加速だけし続けていく脳の回転が余計に自分自身へのいら立ちを高めていく。

「あーもうッ! 頭くるなァ~ッ!!」

 そうして生まれた熱量が、最も下品な形で爆発する。

「もう……どうにでもなっちまえッ!」

 足元の小石を、思いっきり蹴り飛ばした。実は脚力にはそれなりに自信がある。これでも元陸上部だ。メイン種目は短距離走。中学生の青春を全て捧げる覚悟と共に、これでもかと足は鍛えてきた。

「おお~…………飛んだ飛んだ」

昔取った杵柄とはよく言ったものだ。ローファーのつま先で綺麗に捉えた黒っぽい石ころは見事な放物線を描きながら高速回転し、道路を隔てた向かいの歩道まで飛んでいく。左右を見ても車はない。通行人もいない。あれなら恐らく、あのまま歩道にぶつかってそれでおしまいだ。自らの衝動的な行動に一瞬肝が冷えたが、何も事件は起こさなくてよかった。

「……拾いに行くか……?」

 とはいえ蹴ったのは私だ。行方を見守る義務くらいはあろう。謎の使命感に駆られるまま、左右をもう一度確認。車は来ない。よし。一気に走って向こう側へ。

「……んで……石……は…………?」

 もう一度キョロキョロ。辺りにそれらしき影はない。はて、そんなに遠くへ飛んだようには見えなかったが。

 生垣か?それとも木の上か?思いつく限りの場所に目を向ける。ない。

「じゃあ、中……?」

 すっかり葉を落とした生垣に首を突っ込む。葉がないおかげで捜索はやりやすいが、何分枝が腕や頬に刺さって来て痛い。不快感極まりなかったが、これでも毛虫に刺されるよりはましだと己を律して隣の柄だの山も確認。ない。そのまたむこうも、ない。

「…………あれ……?」

 もしや道路の上か?流石にマズいぞと首を持ち上げ、黒いコンクリートの中に不審な突起物がないかと懸命に目を凝らす。そうして何度か目線が道路を往復した、その直後。

「……きゃあああああっ!?」

「!」

背後から、声が響いた。

「悲鳴……! ……女の人だ……!」

 私の背後、そこには背の高いフェンスとまばらに生えた低木に囲われた一軒家がある。

「…………もしかして……!」

 悲鳴の出どころは、間違いなくここだ。


「すいませんッ!」

 脳裏に浮かんだ最悪の可能性を振り払うように駆けだす。乱暴にフェンスに手足を駆け、よじ登る。

「え……えっ、あ……!」

「ごめんなさい! 悲鳴が聞こえて!」

 頭を出した場所にいたのは品のよさそうな中年のご婦人だった。パーマを当てた白髪がなんとも優雅でお洒落だ。そしてその顔には、身に纏うオーラとは明らかに似つかわしくない恐怖と困惑の色を張り付けている。

「だ……誰……!」

「あ……言永ことながひかりって言います……。 ……そこの高校に通ってる…………って、そうじゃない!」

 ご婦人の当然すぎる質問に馬鹿正直に答えてしまった。そんなことしてる場合じゃない。綺麗に枯れて真っ白になった芝生の上に飛び降り、もう一度夫人の顔を見る。

「えっと……私、そこをその……歩いてて。 帰宅路で……。 ……それでその、あ~……お姉さんの悲鳴が聞こえたので、つい……スミマセン」

 嘘は行ってない。言わなければならないことを端折っただけだ。スカートの端を軽くつまみながらいい斬れば、ご婦人はどうやら私の説明に納得してくれたようで、胸の前で両手を組みながら不安そうに口を開いた。

「そうなの……。 お騒がせして申し訳なかったわ……。 わたくし、先ほどリビングでお茶しておりましたら、急にお部屋に『これ』が飛んで来まして……」

 見ればご婦人の掌には何かが握り締められている。見覚えのあるサイズ感。思わず喉がゴクリと鳴る。

「そ……それは……どのような……?」

「これ? ……これ……これは……」

 夫人の手が開かれる。身を乗り出して受け取る。これは。

「…………タネ?」

 黒っぽい、クルミのような物体だった。

「そう見えるでしょう? ……しかもこんな時期に……私もう吃驚してしまいまして! ……たぶん、烏か何かの悪戯だと思うけど……ごめんなさいね。 やっぱり、無駄に騒いじゃった」

「いえいえ……そんな……」

 思わずほっと胸をなでおろす。良かった。私の石じゃなかった。私の衝動のせいでこんな上品なお方に迷惑をかけたとなればただでは済まなかった。それは決して、弁償だとか賠償だとかいう問題だけを指している訳ではない。私の心がとても保ちそうにない。良心の呵責に耐えられずに心が潰れてしまいそうだ。

「だから、大丈夫よ……。 あ、出て行くときは表の扉を使いなさいな。 今開けて……あっ、お茶飲んでく? 淹れたてなのよ。 折角だし如何?」

「いえいえそんな! 私はもう帰ります……ホラ、帰りの電車とかあるし……」

 あらそう?残念そうに踵を返すご婦人。すみませんまた嘘つきました。本当は、即刻ここを立ち去りたかっただけです。もう何か、心が一杯一杯です。

 何もなかった安堵やら、先ほどまでの緊張感やらで無駄に疲れ果てた身体で芝生の残骸を踏み新る。青々と茂っているときとはまた違った硬さが足の裏に伝わってくる。この庭を手入れしているのはこのご夫人一人なのだろうか。旦那さんはいないのだろうか。子供は。

「…………」

 余計なプライベートなど詮索する気はさらさらないが、気にならないと言えば嘘になる。見れば丁寧に手入れされた花壇もあるし、冬に咲く花……品種なんてわからない……もいくつも植えられているし、もしかしたらここは、あのご婦人の憩いの場なのかもしれない。

「…………はぁ」

 嗚呼、お茶のお誘い断らない方が良かったかな。夫人の植物のお話、聞いてみたかったかも。私、いつもこうだな……。衝動的に行動して、いつも悪い方の結果を選択してしまう。さっきの石ころもそうだ。ご婦人に何もなかっただけで、もしかしたら、もっと悪い事態を招いていたかもしれないんだ。

「…………でもまぁ、何もなかったし……」

 そう。何もなかった。何もなかったのだ。これでこの話は押しまい。これですべて、終わり――

「まあ!」

  半分飛んでいた意識が強制的に覚醒する。見れば、目の前でご婦人が足を止めていた。どうしたのか。もう門はすぐそこなのに。

「どうし――」

「ペロちゃん!?」

 私の言葉は遮られた。止める間もなく、夫人は駆けだす。

「…………あ」

 向かう先に、犬がいるのが見えた。黒い犬だ。大きい。

「あ……ああ……」

 犬は地面に横たわっている。浅い息をしている。眠っているのか。或いは。

「あ…………あ……あああ……っ……!」

犬の足元に、黒い小さな石ころが見えた。

「ペロちゃん! ペロちゃんどうしたのッ! しっかりして!!」

「……あああああ――――ッ!!」

 ペロちゃんと呼ばれた犬の頭から血が流れている。

 私か。私の石ころか。

 私の蹴った石ころが、ここまで飛んできたのか。

「そ……そんなはず…………ッ!」

 そんなはずはない。距離があり過ぎる。第一犬に当たるなんて予測できるはずもないじゃないか。そんな、こんなこと。私のせいじゃない。

「私の……私のせいじゃ……!」

 思わず後退る。両手に力が入る。

 ――パキッ

「え……?」

 小さな破裂音が聞こえた。どこからだ。いや、考えるまでもない。

「な……なに……これ……?」

 手の中にクルミがあった。ご婦人が見せてくれたあのクルミだ。見せてもらうとき受け取ってそのままだった。

 そんなことはどうでもいい。

「どうして……これ……?」

 問題は、種が割れていることにあるのだ。

 種が割れて、芽が出ているのだ。


「ペロちゃん! ねえ、ペロちゃんッ!」

 夫人の悲鳴が遠くのことのように感じる。実際は目の前で起きていることなのに。私のせいで起きていることなのに。

「……違う……!」

 うわ言のように繰り返し、首を振る。そうだ。違う。違うはずだ。私のせいじゃない。だって、石が犬に当たったという確証すらないのだ。あの石は何処か別の所から飛んできたものかもしれないのだ。そう。私の石である証拠はない。だからだから私のせいじゃない。

「――あっ」

 念じれば念じるだけ、体が重くなっていく。まるで全身が石にでもなっていくかのように。

 皮肉な話だ。石を蹴ったせいで石になるなんて。因果応報もここまで来ると滑稽だ。

「あなた、お嬢さん! 電話して頂戴よ! 病院に電話ッ!」

「あ……あ……」

 ご婦人が振り返ることもせず、私の方向に腕を振っている。そうだ。電話だ。動物病院だ。医者に見せればまだ大丈夫かもしれない。まだ、あの犬は助かるかもしれない。

「ねえ、聞こえてるの! ねえ!」

「あ……あ……っ、あ……」

 返事が出来ない。喉まで石になったかのようだ。門まで続く玄関前の通路に頽れたまま、ノロノロと携帯電話を探して手を動かす。

「う……うごか……ない……?」

 なぜだ。体が全く動かない。本当に石になったわけでもなかろうに。縄で縛られたみたいに動けない。どういうことだ。これは、流石におかしい。

「……う……」

「ねえったら!」

 原因を探らねば。そう思って首を持ち上げたのと同じタイミングで、ご婦人の悲鳴が更に大きくなる。

「電話よ電話! 早くしないと……あなたのせいで、ペロちゃん本当に死んじゃうじゃないッ!」

「そっ……!」

 そんな!動かない喉で訴える。違う。違うのだ。それは私のせいではないのだ。その石が当たったことは偶然なのだ。私に敵意はなかったのだ。それに、電話もしたいのにできないだけなのだ。どうしたことか体が動かないのが悪いのだ。私は悪くない。私は悪くない。私は――

「ぐ……っ、うう…………?」

 体を支配する何者かの重圧が高まるのを感じる。何故だ。こんなことをしている場合じゃないのに。どうして。

「もういいわ……電話してきます!」

 ご婦人が立ち上がった。とうとうこちらにはひと目もくれなかった。それも当然か。見ず知らずの女子高生より愛犬の方が大事か。返事を返さないことへの不信感なら、愛するものへの心配が加算されている方がより重要か。

「あ……っ、が……くう……」

 しかしこれは何なのだ。どうして私は動けない。ご婦人が去ってしまった以上、これは私が一人で解決しなければならない問題になってしまった。身をよじりながら考える。まさか、 毒蛇にでも噛みつかれたのか。

「か…………っ!」

 もしそうだとしたら、やはり悪いのは私なのだろうか。犬に石を投げつけたことへの報いなのだろうか。

「…………」

 何もできずに空を眺める。思い出されるのは直前のこと。何故私は石なんて蹴ってしまったのだろうか。何故私はご婦人の誘いを断ったのだろうか。何故私は、犬を助けに行けなかったのか。

「…………」

 思い出せばキリのない後悔の山。そのすべてに一つずつ『私は悪くない』と言って回ることはたやすい。しかしそういう私の性格が今回の問題を起こしたのではないか?本当に私は、悪くないと言えるのか?その資格があるのか?

「………………」

 出来るなら、言いたい。言ってしまいたい。呼吸すら危うくなっていく中で、ぼうっとそう考える。口の端に何かが当たる。何だこれは。わからない。わからないがどうでもいい。もう私には関係ないのだから。私は何も、悪くないのだから――

「――バウッ!」

 薄れていく意識の中で、犬の抗議の悲鳴が聞こえた気がした。


 動物病院への電話を済ませたご婦人が戻って来て最初に見つけたものは、庭を元気に走り回る愛犬の姿だった。ペロちゃんはひんやり冷たい飛び石の感触を楽しみながら昼寝をしていただけだったらしい。頭の血に見えたものは、この件とは無関係に出来たカサブタを、ペロちゃん本人が引っ搔いて剝がしてしまっただけのことだったらしい。

 呆気にとられるご婦人を放っておいて上機嫌なペロちゃんは、口に加えたものを振り回しながら私の周りを駆けまわっていたらしい。植物のツタが巻き付いたまま倒れていた私の周りを。

 何が何だかわからなかったが、とにかく起きた私は結局ご婦人のお茶を頂いてから返された。未だに足はふらつくが、先ほどまでより大分ましにはなった。

「あれは……何だったんだろう……」

 ペロちゃんの咥えていたもの。どう考えても異質なあれについて考えることは、もはや無意味なようにすら感じられた。

 割れた場所から細長い緑のツタを何本も生やしていたクルミ。正確には、クルミのような何か。あれが私に巻き付いていたのは何時からか。それは考えるまでもない。私がペロちゃんを見つけ、玄関前に倒れ伏したあのタイミングからだ。

 理由まではわからない。しかし、生態を考察することはできる。

「あれは……あれは、……。 『ネナシグサ』のように自分では栄養を作らず……他所に完全に依存して生きる植物……」

 これは全てあのご婦人の見解だ。ご婦人曰く「そういう植物」はいくつも世の中に存在するらしい。その中の一部が、人の生活に目をつけたとしても、不思議ではないと。

「……寄生のスイッチは、人間の後悔の感情……かぁ。 確かに私はあのとき、自分がもの凄いことをやらかしたと思って焦ってたもんな……」

 後悔を重ねるごとに。言い訳を積み上げるごとに。あのクルミのような何かはどんどん私に目を付け、その体に入り込もうとした。

 にわかには信じがたい事実。しかし、信じない訳にはいかない御伽噺。

「まだまだあるんだ……。 ……きっとそんな、訳の分からないものが……この世の中には……!」

 既に夕日は沈みつつある。あの地平線の向こうにはどんな景色が広がっているのか。それすらも私にはわからない。この町のことですら、私にはわからないことばかりだ。

「…………勉強、もう少し頑張ってみようかな」

 冷たい風が首を掠める。肩を寄せるようにして、早足になる。

 もっと真剣に学ぼう。そう心に決めるには、十分すぎるぐらいに強烈な『教訓』だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

騒動のタネ 律華 須美寿 @ritsuka-smith

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ