これは私が体験した恐ろしい話です。

樹村 連

タクシー

 まあ私も長生きしてようやく60歳、今まで生きてきたのが嘘のようです。これまでタクシー運転手をしてきていろんなお客さんに出会いました。酔っ払い、アベック、タクシーで集団登校をする学生。不特定多数と触れ合える仕事なわけですから、会う人も様々、十人十色です、本当に。

 で、本題ですが。私が長いこと運転手やってきて1番怖かった話をしましょうか。あれは確か20年前。真っ暗な夜中、私が駐車場でのんびりしていた時でした。


 ガラス窓をコンコンと叩く音で、タクシーの中の運転手はぼんやりしていた意識を覚醒させた。横を見ると、女性が1人立っている。

「すみません。X霊園まで乗せてくれませんか」

 女性は髪が長く、色白で、上下真っ白な服装をしている。

「え…ああ、はい、どうぞ」

 運転手は乗車を受け入れた。もう夜中の2時ごろ。普通、人は出歩かない時間だ。

 女性は後部座席に乗り込んだ。ふと見ると、彼女は手に何か抱えている。赤子だ。顔は見えないが、手足らしきものがあるので少なくとも人だろう。運転手は車を発進させた。


「こんな夜中にすみません」

 女性はぽつりと呟いた。運転手はビクッとしたがすぐに冷静になった。

「気にしなくていいですよ。うちの業界では普通です」

「ありがとうございます。…あの、X霊園まであとどれくらいですか?」

「そうですね、結構ここからは遠いんで、2時間はかかるかもですね」

「急いでください。夜明けになるまでには着いていなければならないんです」

 運転手は?と感じたが、特に問わず、運転を続けた。


 女性も運転手も無言のまま、走り続けた。途中、気分が悪くなりはしないかと運転手は何度か超えをかけたが女性は落ち着き払って、か細い声で大丈夫だと言うばかり。次第に運転手はなぜか悪寒を感じてきた。冷や汗もかいている気がする。


 X霊園に着いたのは午前4時を回った時間帯。空はまだ漆黒で、月も出ておらず雲で星が隠れ、真っ暗闇だ。

「ありがとうございました。おいくらですか」

「ええと…8070円になりますね」

「細かいの無いんですけど、いいですか」

 そう言って女性は一万円札を出してきた。しわくちゃでゴワゴワしていたが運転手は構わず精算した。実はもう体がかたかた震えていたのだ。

 手汗が滲むのを感じながらお釣りを用意した。千円札を2枚、100円玉は9つ、10円玉を3つ女性に渡す。

「ありがとう」

 女性はそう言ってニヤッと笑い、タクシーを降りた。あまりにも不気味な笑いだった。先ほどの静かな雰囲気には絶対似合わない、道化のような微笑みだった。


 運転手は女性を見送った。彼女は霊園の方向へ歩いていき、姿は闇に溶け込み見えなくなった。ふと運転手は気づいた。あの女性が抱えていた赤子、泣いたりしなかったな。恐る恐る、後部座席を見る。シートはじっとりと濡れていた。運転手はお釣りを渡す際に1000円札を1枚余計に渡したうえ、シートに赤ん坊のおしっこをかけられてしまったのである。


 どうでしたか?怖かった?いやあ、もちろん私もあの時は心臓が止まるほどビビりましたよ。え?女性は幽霊だったのかって?いえいえ、そんなわけないですよ。人間ですよ、生身の。だって興奮した私がタクシーを急発進させて進んでいたら偶然にも道の先を歩いていた彼女を赤子もろとも、轢いてしまったんですからね。

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これは私が体験した恐ろしい話です。 樹村 連 @dotrine

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