邂逅


 ぼくは猫だ。つめたい夜と夜のあいだを縫ってひとり歩く。女神さまが通ったあとの月影の上をひたりと歩く。夜の到来に胸を撫で下ろした樹木たち。その根元を歩く。ぼくは猫だ。あたたかなしとねを抜け出した。つめたく果てない夜に生きると決めた。ぼくは獣。もうだれも、ぼくを探さないでほしい。そう書いて、新聞の上にメモを置いたばかり。


 コンクリートの塀の上に飛び乗った。柿の木の枝に飛び移った。一軒家の屋根の上に飛び登った。下の老夫婦は、眠っている。頭上に広がる、満天の夜空。宇宙は広いと思い知る。今まで暮らしていた愛の狭さを思い知る。


 氷のように冷たい瓦の上を歩く。何もない町に透明な夜が満ちている。そんな気配がするのだ。なかまの猫たちもきっと、息を潜めているだろう。感謝こそするけれど、明日からは、もう彼らのことを考えたりはしない。生きていても死んでいても、あのときそこにいた、ただそれだけの事実さえぼくにあれば、あとはすべては女神さまの手のなかに、預けてしまうと決めたから。


 一陣の風が吹いて、ぼくのヒゲが揺れた。ざわざわざわ、さわさわさわと、黒毛が撫でられる。屋根の一端まで歩いて、庭木の柘榴を見下ろして、宇宙を仰いだ。星が瞬いている。きれいだ。昼間の空より、夜の空が好きだ。きっと飼い主さまも、同じことを思ってくださるだろう。


 星がまたたく。星がながれる。ぼくは思わず、手を伸ばした。掴めずながれ消えてゆく命の光。常世の闇に安んじてそっと瞼を閉じた流れ星。尻を窄めて燃え尽きる。ただ刹那の光を得るためだけに、生まれたぼくら。星がまたたく。星がながれる。もう十分、愛された。もう十分、ぼくは光った。これからはだれもぼくを愛さないでくれ。星を掬い損ねた濡れた爪先。波紋がひろがる、夜空の海。海底に沈みゆく星の亡骸。


 風が吹いた。星影はさらわれ、あたりは真っ暗になった。するとたちまにちに、闇がぼくの顔前に一点、集中しはじめ、しだいに濃くなってゆく。影がひとの形を成してゆく。凹凸が生まれる。ひどく馴染みのある、人の姿。ぼくのせまい箱庭だった人。闇が笑いかける。波紋が広がるように、つられつられて、ぼくも笑う。手をのばす。闇にふれる。ああ、最期か。もうこれで、おしまいなのか。


 風が流れる。星が流れる。月が閉目する。雲が祈る。音が消える。永遠に。目を開く。もういない。笑うあいまに、星がながれる。伸ばした手の先で、流れ続ける星の雨。光っては沈む。光っては沈む。爪先に残った火花の欠片。抱き抱えて夜になる。ぼくは誰も愛さない。明日からはひとりきり。あなたを失ったのだから。


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